慣れない電話
社会人同士の恋愛だから当たり前なのだけれど、お互いの仕事の邪魔にならないように気を使う。
それがどんなに好きな人であっても。それならそれで、余計に邪魔にはなりたくない。
そこだけは、中学生や高校生の頃の恋とは違うと自負したい。
恋はとても大事だし、駿はかけがえのない人だと思う。
けれど、その思いに溺れてしまわないようにと気をつけている。
だから普段はメールが中心だ。短い言葉でも相手が自分を気にかけているという行為がうれしい。
私自身がそうだから、駿もそうだと思っている。
朝の挨拶
お昼のご機嫌伺い
夕方の仕事の終了や残業の報告
寝る前のお休み
少なくとも1日に4回。どちらか都合の良い方が先にメールを発信して、後になった方がそれに返事を出す。
時間が合えば、少しだけ通話もある。駿には内緒だけれど、私はそれがちょっと苦手だったりする。
女の子との会話なら、何時間でも出来ちゃうのに・・・。
駿と私は長い間幼馴染だった。つまり、用がなくても日常的に会って話せる間柄だった。
それは、駿が大学入学でこの地を離れるまで続いていた。
駿が大学在学中は、長期休暇のたびに帰ってくるのを待っていた。
そして、彼が何処かへ行く時に誘ってくれるのを、楽しみにしていた。
幼馴染の彼に電話する用などなくて、声は聞きたかったけれどおばさんからの情報だけで我慢していた。
こうして、恋人同士になってもその感覚はあまり変わらない。
むしろ、受話器の向こうに居る彼を意識するせいか、ぎこちなくなってしまう。
ほとんどが携帯電話での会話だから、ボタンを2回ほど押せば彼につながる。
通話料のことを考えて2人して同じ電話会社に変更したのは、つい先日のことだ。
話し放題プランというのは、遠距離恋愛中の恋人の為にあると思ったほどだ。
時間帯制限があるのはちょっとつらいけれど、それは仕方がない。
お小遣いを駿に会うための旅費にどれだけでもまわしたい私には、電話の通話料も馬鹿に出来ない。
まあ、これは、恋人をもっている人は、みんな同じだろうけれど。
駿の声を聞ける大事な電話。ボタンを押すだけの作業のはずなのに、私の心臓はうるさいくらいにドキドキする。
仕事が終わって家に帰るまでに駿から電話が来なければ、私からかける事にしている。
そう決めていないと、電話できないから。
駿との電話の為に通勤途中に話題になりそうなことを見つけることを忘れない。
近所のお店の閉店や開店。
季節の花を咲かせる花壇の様子。
私の目で見た面白い事や可愛いもの。
駿も知っている景色の中で、少しだけ何か変わったことを何でも。
そうしないと、2人の会話は途切れてしまうから・・・。
まるで、ラジオの放送事故のように沈黙が訪れてしまう。
すぐ横にいてくれたら、そんな沈黙は少しも怖くない。
小さい頃からそばに居る事に馴染んでいるせいか、会話などなくても平気だ。
お互いが邪魔にならない。
それが、電話を通して話をすると、ずっと何か話していないと怖くなる。
だからと言って、電話が嫌なのかと言えばそんなことはない。
受話器の向こうで私だけに話しかけていてくれる駿を思うと、独占できている幸福感でいっぱいになるし、とてもうれしい。
けれど、その為には電話で話し続けなければならない。
それがとっても大変なのだ。
まるで、幼児の我が儘のようで恥ずかしい。
やっぱり、会話なんてなくてもいいから、電話よりもそばに居たい。
そうすれば、指先が少しだけ触れているだけで満足できる。
その、自分のものではない駿のぬくもりを感じるだけで・・・それだけでいい。
私がこう思っているのと同じように、駿も思ってくれていればいいなぁって思う。
とても、その事を尋ねる勇気はないけれど・・・。
他の遠距離恋愛のカップルたちは、それをどうやって確かめているのだろう。
不安にならないのだろうか?
距離に負けそうにならないのだろうか?
思わず、ため息が漏れた。
このことを考えると、堂々巡りが始まってしまうから。
子供の頃年末になると、あるシリーズCMが話題になっていた。
それは、遠距離恋愛の恋人たちが、クリスマスにだけでも会おうとして新幹線を使って待ち合わせをするというものだった。
駅の構内を新幹線の改札へと急ぐ女の子。
階段を上り、ホームへと駆け上がる。
彼の乗った車両の停車位置に立ち、恋しい彼の姿を探す。
そんな感じのCMが、街がクリスマスのイルミネーションで飾られる季節になると、流れたものだった。
恋人がクリスマスに会うために、距離という障害を越えて会いに来る。
あの頃は、なんてロマンチックな話だろうと思っていたけれど、今は違う。
同じような恋をしているから、切なくなってしまう。
それだけじゃない。
駿に会いたくなってしまう。
お気に入りの漫画も遠距離恋愛を扱ったもの。もちろん愛読の小説も。
リアルでこんなに辛い思いをしているのに、何もそんなものに目を向けなくてもいいんじゃないかと我ながら自分の嗜好を思ってしまう。
他の人から見たって、きっと自虐的なんじゃないかと思う。
でも、こんなに辛い思いをしているのは、私だけじゃないんだって、そう思い込む事で何とか気持ちをなだめようとしているのかもしれない。
そう自己分析したりしている。
ただ、それには弊害がある。
その、遠距離恋愛のお話がハッピーエンドで終わればいい。
私もそうなるようにがんばろうという気持ちになるから。
それに、駿との未来を夢見ることもできる。
でも、物語の2人が距離に負けて別れてしまったり、近くにいる人に心がぐらついて浮気をしてしまったりすると、落ち込んでしまうのだ。
駿は、大丈夫。
そう思っているし、信じている。
それでも、浮かんだ疑惑や妄想はとどまるところを知らず、どんどん膨らんでいってしまう。
電話は、そんな不安や妄想を解消する為の手段。
遠くに離れていても、受話器を片手に話している時には、私だけが駿を独占している。
そう感じられるから・・・。
駿の生活環境や仕事の忙しさを考えて想像してみる。
そして、それを踏まえて私に日に何度かのメールをし、短くではあっても電話での会話をする事を足してみる。
私がそうだからというわけじゃないけれど、オフの時間には短くても私のことを考え、行動している・・・としておく。
その合間を縫って、他の女の子のことを思い行動することが出来るほど、駿は器用で浮気性な男ではないはずだ。
少なくても、私の知っている駿お兄ちゃんは、そんな人ではなかった。
6歳の歳の差があっても、私は小さい頃から駿を異性として見て来た。
だから、彼の中学や高校時代の女性遍歴も見ている。
女性と交際しているのを、隠そうともしなかったから全部知っている。
もちろん、子供だからという理由で私はいつも対象外だった。
正直、黙ってみているのは辛かった。
けれどそのおかげで、駿の女性への対応と誠実さを知ることが出来た。
誰かを彼女と決めて付き合っているときには、浮気したとか二股をかけたとかはなかった。
別れを告げるまでは、大切にしていたみたいだった。
だから、駿とは少しだけ苦手な電話だけれど、今夜もその時間を大切にする。
億劫になってしまったら、この遠距離恋愛は続かなくなってしまうから。
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2007.04.28up
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