人目があるから 3




リングひとつでそれほど変わるものでもないと思っていたけれど、どうしてどうして、手の印象がずいぶん変わった。
可愛い華奢な手が、大人っぽく見えるから不思議だ。
「予約の予約という事で、この指な。」と、俺が指定した指は左手の薬指。
の選択したリングが、お直しが必要なかった為、そのままはめて歩く事にした。
ラッピングした空箱をショッパーに入れてもらい手に提げて歩く。
「箱なんか、要らなかったんじゃないか?」そう尋ねると、「記念として必要なの。」と、唇をツンと尖らせた。
たかが箱、されど箱とでも言いたげだ。
ちらちらと視線を向ける先は、真新しいリングがはまっている指。
うれしそうで幸せそうな形をしている口元に、俺の気分もよくなる。
すぐにでもキスをしたいけれど、そうも行かないか・・・。



それでも、右手はちゃんと捕まえている。
何処か触れていたいだけだった手をつなぐという行為。
今はそれに加えての身の安全の為という理由も加わった。
リングを気にしてくれるのはうれしいが、足元と前がおろそかになってしまっている。
休憩用に置いてあるベンチや、インテリアにしてある大き目の植木鉢にぶつかりそうになってしまうし、前から歩いてくる人にも、注意が散漫だ。
いつもならそんなに怒る俺だけど、今日はそうも行かない。
そうなってしまった理由が俺にあるからだ。
だから、少し呆れた息を吐きながら、の手を引く。
これは早めに昼食を取った方が良いかもしれない。
そうすれば、いすに座れる。
その間は、どんなにリングに視線を奪われても、とりあえずは転んだりぶつかったりはしないだろう。
手近にあった案内図を見て、レストラン街へと足を進める事にした。



レストラン街への入り口でトイレに寄ろうと思った。
こういう場所のレストランには、店内にトイレがない場合が多い。
「ちょっと待っててくれな。」
トイレの表示をあごでさしながらに言うと、「ん、分かった。」と、手を放してくれた。
女性とは違い、男のトイレなど短いものだ。
まして、も十分に大人だし、心配は要らないだろう。
ハンカチで手を拭きながら通路に出てみて、俺は自分の考えが浅はかだった事に気づいた。
と見ず知らずの男が話している。
それも結構いい男だ。
ここで不機嫌全開で近付けば、相手の男に俺の狭量なところを露呈させるだけになってしまう。
大きく息を吐いて落ち着くと、ゆっくりと近寄って行った。
?」
後ろから声をかければ、即座に振り返ってくれた。
その顔は、困っていた風な表情はうかがえない。
「あっ、駿。
同じ会社に勤めている横山さん。」
そう紹介されて、軽く会釈をする。
「どうも、溝上です。」
「横山です。
で、この溝上さんが、夏にお見合いをしたって言う・・・。」
その横山とか言う男は、にそう尋ねた。
どうやら、盆に見合いした事を知っているらしい。



「えぇ、そうなんです。」
の頬がわずかに染まる。
「じゃあ、もうお話は決まっているんですね?」
確かめるように、尋ねてくる。
「日取りとかはまだですが、結婚の意志だけは固いです。」
ここは俺が言った方がいいだろう、そう思って口を出した。
「ほんとうに?」
しつこくも奴は俺ではなく、に再度確認しやがった。
「あっ、はい、本当です。
もう少し恋人気分を味わいたいなぁ・・・って、思ってて。」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような言葉で、が説明をする。
「そうですか・・・。じゃ、僕はそろそろ・・・。」
何か奥歯に物の挟まったような言い方をして話を打ち切ると、3人がそれぞれに別れの言葉と軽い会釈をもう一度交わした。
横山さんが去って行く後姿を少しだけ見送って、「じゃ、お昼食べにいこ。お腹空いちゃった。」
無邪気に笑ってが歩き出す。
俺は数歩前を行くの手を駆け寄って掴み取った。
「今の人、親しいのか?」
何気ない振りでそう尋ねてみた。
「そうでもないけど・・・、隣の課だし。さっきはたまたま声をかけられたから、挨拶してただけ。」
の会社の事は、規模も様子も良く分からない。
も俺の会社のことは知らないからお互い様だ。
けれど、あれは明らかにの事を狙っていただろうと思う。
まあ、はっきりと可能性はないと言って置いたから、大丈夫だと思うが・・・。
俺がこっちに居ない分は、どうしてもに男が居るとは思われない。
今日のデートはある意味ここで正解だったかもしれない。



不意にが手を放した。
「どうした?」
「ん、ちょっと知った人がいるから・・・。」
言葉尻を濁してはいるが、恥ずかしいから放したということか。
「駄目だよ。知り合いが居るのなら余計に堂々としていなくちゃ。俺たち婚約してるも同然なんだし・・・な。」
勝手な理論を展開している事は承知だ。
けれども、俺がこっちに居ない間の事を考えると、の恥ずかしいという思いには、目をつぶって無視させてもらうしかない。
俺がの彼氏だと、には彼氏が居るんだと、宣伝しておく必要がある。
うれしい様な困ったような顔をして、はそのまま手をつないでいてくれた。
俺がはっきりした態度をまわりに見せておけば、が1人でいても相手にブレーキがかかる。
そこが狙いだ。



俺たちの様子がちゃんとデート中に見えたのだろう。
の言う知り合いにも声をかけられることはなかった。
けれど、すれ違いざまに頭の先から足の先まで値踏みされるような視線を貰う。
まあ、仕方がない事だと思う。
には分からないようにそっと小さくため息を吐いた。
高校まではこっちに居たから、俺の知り合いにも何人か見かけたし、親しかった奴とは少し立ち話もした。
その時に仕入れた情報では、このモールは地元民が結構な頻度で買い物や食事に訪れるらしく、知り合いにも大勢会えると言っていた。
まさに、噂をばら撒いたり仕入れたり、話題を撒くにはうってつけの場所。
俺の知り合いの間でも、の会社や知り合いにも、俺たちをここで見かけたという話は広まるだろう。
俺の思う壺だ。
今日はせっかくだし、せいぜいふらふらしようと思った。



「駿が、こんなにウィンドウショッピングが好きだとは思わなかったな。結構歩いたよね。足がだるいもん。」
帰りの車の中でがふくらはぎを撫でながら言った。
「初めての所だったからな、ちょっと珍しかっただけだ。疲れたのか?」
「まあ、少しだけ。何か探してたわけでもなかったのに、ずいぶん色々見たから・・・。だから、明日は出かけなくてもいい。駿だって、疲れたでしょ?」
「ん、そうだな。
じゃ、お言葉に甘えて、明日はうちでのんびりするか。」
少し声が低くなり、言葉尻もトロンとした感じがする。
が眠くなっている証拠だ。
「うん、そうだね。それに、明日は・・・・。」
の声が、急に小さくなってしまった。
「ん、渋滞を避けて帰りたいから、3時頃には出ようと思ってる。
でも、それまでは、一緒に居られるから・・・な。」
行きと同じように重ねていた手で、子供をなだめるように、トントンとの手を数回優しく叩いてやった。
「うん、分かってる。分かってるけど・・・。」
湿り気をおびてきた声。
今にも雨が降りそうな気配だ。



目に付いたチェーン着脱場には車がなかった。
ウィンカーを出して入ると、車を停車させる。
「またすぐに帰ってくるから、そんな顔すんな・・・な?」
「うん。」
自分とのシートベルトをはずして、助手席にある身体に手を伸ばす。
腕の中に入ってきた身体を包んで、髪に唇を寄せた。
もう少し、恋人気分もいいかと思っていたけれど、こんな思いをさせるくらいなら話を進めるか・・・と、考えた。




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2007.02.10up