人目があるから 2




親父の車を車庫から出して家の前に停める。
9時5分前。
車のエンジン音は聞こえているだろうから、そろそろ出てくるだろう。
けれど、ここはやっぱり迎えに行って、おばさんに一言声をかけるべきだろうと、大きく息をして隣家に向かった。
隣の家に行くのに、こんなに緊張したことはない。
チャイムを押すと同時に、玄関のドアが開いた。
出てきたのは愛しいじゃなくて、彼女の母親だった。
「ごめんなさいね、駿君。あの子、もう少しかかりそうなの。待っててくれる?」
「あっ、はい。ぜんぜん構いませんから。」
「そう、ありがと。あなた達2人が恋人になるなんてねぇ。小さい頃からはあなたの後ろばっかり着いて歩いて、懐きまくっていたからね。
当然の結果なのかもしれないわねぇ。もちろん、真剣交際なのよね?」
一瞬、おばさんの目が鋭くなった気がした。
「あっ、はい。もちろんです。」
「じゃ、いいわ。駿君を信用してるから。をお願いね。」
「ありがとうございます。」
俺は、深く一礼をした。



いくら、小さい頃から俺を知っていると言っても、娘を預けるとなれば別問題だ。
おじさんの気持ちは分からないけれど、おばさんの許可を貰えればいざと言うときにかなり有利になる。
があんまり駿君になつくもんだから、お父さんったら嫉妬してたもんよ。それでも、にそれをとがめた事はなかったわ。
だから、あの人も駿君のことは買っていると思うの。出来るだけ可愛い内にドレス着せてやってね。」
「はい。」
頭を上げて、にっこり笑っているおばさんを見る。
見守ってもらえているんだと思うと、心強く感じた。
「ごめんね、お待たせ。」
と、そこへが階段を下りて出てきた。
「もう、遅いよ。ずっと待ってもらってるんだから・・・。
もっと早く準備しなさい。
それじゃ、旦那様を会社に出すのに遅刻させちゃうでしょ。」
矢継ぎ早に繰り出されるお小言に、両肩をきゅっと持ち上げてすくめて見せる。
「はーい、ごめんなさい。ごめんね、駿。」
困った顔で俺を見上げる。
可愛いなぁと、素直に感じた。



すぐに抱きしめたいのをこらえていると、左手をに取られた。
「さ、行こ。じゃ、行ってきます。」
「はい、行ってらっしゃい。」
軽く会釈をして、に手をとられたまま歩き出す。
今までに2人で出かけた事は何度もある。
子供の頃は、その辺のお菓子屋さんへ。
学校へ、図書館へ、映画へ・・・。
俺はとよく出かけた。
友達にからかわれた事もあるけれど、やめようとは思わなかった。
妹はいないけれど、妹以上にが可愛かった。
自分じゃ気づかなかったけれど、特別に思っていた事は間違いない。
今ならそれが分かる。
だから、双方の両親たちから見れば、俺の気持ちなんか手に取るように分かっていたに違いない。
それで許してくれていたんだから、今更、俺たちの事に反対などしないのだろう。



恋人になってからまだ間がないから緊張するかと思ったけれど、の様子はいつもと変わらない。
ショッピングに出かけるからか、ちょっとはしゃいだ様子だ。
なんだか肩から力が抜ける。
車が走り出すと「CDかけてもいい?」と、尋ねてきた。
「俺の車じゃないから、そんなのあるわけないだろ。テープで演歌か懐メロばっかじゃないか。」
ダッシュボードの中をごそごそとあさっているにそう言ってみる。
「うん、そう見たい。」
がっかりしたように、勢いよく背もたれに身体を預けて、ため息を吐いている。
「俺と話をしてるだけじゃいやなのか?」
こんな言い方意地が悪いな・・・と、思いながらからかってみた。
「そっ、そんな事ないよ。駿と2人でいるの、とってもうれしいし、楽しい。
ただ、・・・。」
「ただ、なに?」
「なんて言うのかな、ちょっと緊張しちゃう。恋人って言うか、彼氏と彼女って言うか、そういう関係にも慣れてないから・・・。」
「ん、分かってる。でも、力を抜いてくれよ。
がそんなだと、俺の方がどうしていいかわかんねぇじゃん。」
彼女のひざの上にある華奢な手に、左手をそっと重ねた。
手のひらの下で、の手がくるっと裏返る。
俺の手を受け止めて手をつないでくれた。
でも、運転の邪魔にならないように、力は入っていない。
そんな気遣いさえもうれしい。
手をつないでからは、も照れながらも楽しそうにしている。
そんな様子に、ちょっとほっとした俺だった。



田んぼの真ん中にどーんと建ったそのモールは、なんだか風景に溶け込んでいなくて、妙におかしくさえあった。
異次元空間から突然出てきたみたいな・・・違和感。
それでも、この辺じゃ珍しい名前が全国区のモールだから、それなりに集客はしているみたいだ。
もし、こんなのが撤退したりしたら、廃墟になったビルが不気味だろうなぁ・・・と、そう思いながら駐車場に車を停めた。
車から出たところへ駐車場へ入ってきた車が走ってきた。
隣のに手を伸ばして歩くのを止める。
「気をつけろよ。」
そのまま、その手での右手をつかんだ。
少し冷たく感じる手だ。
細くてしなやかな手触り。
ぎゅっと力を入れたら、手の中で砕けてしまいそうな気がする。
気をつけないと、痛くしてしまうかもしれない。



エスカレーターで売り場に上がると、結構な人が歩いていた。
有名スーパーの売り場と専門店街に分かれているらしい。
「こっちに行こ。」
行きたいところがあったのか、が俺の手を引いた。どうせ、何かを買おうと思ってきたわけじゃない。
だから、彼女の好きでいい。
どこへ行きたいかと尋ねられても困っただろう。目的の店があるというのに、の足取りは進まない。目にとまった小物や洋服を次から次への渡り歩く形で、華を飛び交う蝶のようだ。
それでも、可愛いと言っては微笑み、素敵と言っては瞳をきらめかせる横顔は、見ていて飽きない。
俺も相当にやられているんだと、自覚してしまう。



が店の奥に入ってしまったので、ウィンドウにもたれて待つ。
見るともなしに通路の向かい側を見ると、1件の宝飾店。
さすがに人は少ない。
高価な商品の並ぶ店なんだろうかと、行き交う人の隙間から店の中をうかがう。
『1万円均一』『3万円均一』などの文字が読めた。
何十万もするようなものは、大事なときにとっておくとしても、それ位の値段なら出し惜しみするほどでもない。
リングかネックレスならずっと着けていられるな・・・と、が出てくるのを待って、店に向かった。



『1万円均一』じゃ男の面子がたたねぇなと思い、『3万円均一』と書かれたショーケースの前に2人で立つ。
「この中からどれでも好きなやつを選べ。いつも出来そうなくらい好きなやつな。」と、の手を放してやった。
「いいの?」
心許なさそうな顔をして、尋ね返す。
「あぁ、いいよ。」
頷きながら返事をしてやれば、「分かった、ありがとう。」と、笑顔になった。
「よろしかったら、お出しいたします。お気軽にお申し出下さい。」と、黒のスーツを着た店員がの前に立った。
「ゆっくり見たいので、決まったら声かけますから、着かないでいてくれませんか。」俺の言葉に、店員は笑顔で頷いた。
そうかと言って、離れてしまうわけにも行かないらしい。
少し横にずれてショーケースのガラスを磨いたりしている。



はと見れば、それはそれは真剣な眼差しで、リングの一つ一つを見ている。
「この『3万円』の中ならどれでもいいよ。の好きなやつ。」
迷っているかと思ってそう助言してやると、「ありがと。」と、視線もあげずに頷いた。
視線の動きを追っていると、端から端まで全部に目を通した後、数箇所を行ったり来たりしているのが分かる。
「すいません、ちょっと出してみてもらえますか?」
先ほどの店員さんに声をかけた。
が「じゃ、これと、これと、これを。」と指刺す。
店員さんは、手元のビロードのボードへとリングを出して、「どうぞはめてみてください。
サイズはお直しが出来ますから・・・。」と、ひとつづつ渡して試させてくれた。




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2007.01.30up