近くて遠い距離 2




いつもカジュアルな休日スタイルのお兄ちゃんしか見たことがなかったので、スーツ姿はとっても新鮮だ。
それに何より格好がいい。
惚れ直すというのは、こういう時のための言葉だと思った。
ボーイさんにひかれた椅子に腰を掛けたお兄ちゃんは、私を見ても何も言わない。
きっと『馬子にも衣装だ。』とか言って、からかうか馬鹿にされると思っていたのに、なんだか怖い顔をしてじっと見られただけ。
怒ってしまったんだと思った。
せっかくの美味しい料理の味が、飛んでしまって何を食べているのか分からなくなってしまった。
泣き出したい思いで、目の前の料理だけを見ていた。
向かい側に座るおにいちゃんの顔を見れないまま、お食事が終わってしまった。視線があったらきっと文句を言われる。
それが怖い。
お兄ちゃんに振られて、きっちりとあきらめるつもりでいたのに、いざ、目の前にすると、こんなにも決心が揺らぐ。
もぅ、弱っちぃなぁ、私って。



張り切ってお洒落した母とおばさんは、2人して街に繰り出す話をしている。
連れ立って席を立つと、『後は若い人たちで・・・』なんて言って、この部屋を出て行った。
ドアを閉める時に2人の顔を見た。母は頷いて軽くガッツポーズをして見せた。きっとがんばれって励ましてくれたんだと思う。
おばさんは、笑顔でウィンクしてくれた。
人の気も知らないで・・・・と、頭を抱えたくなる。
2人が出て行くとすぐに、ホテルの従業員が食事の後片付けに入った。
この部屋は、会食や商談用の部屋みたいで、宿泊施設じゃないらしい。
テーブル席の横に、ソファセットがあってくつろげるようになっている。
お兄ちゃんは、すぐにそちらに移って、食後のコーヒーを飲んでいる。
私はそんな気持ちにはなれなくて、そのままテーブルに座っていた。
目の前のコーヒーは、多分このまま冷たくなってしまうだろう。
いつ席を立って帰ろうか・・・、そんな事を考えていた。



「どうせ、うちのババアが言い出したことなんだろう。ったく、予定が狂ったな。
お前も言いなりになってないで、自分の気持ちは言わなくちゃ駄目だろ。」
お兄ちゃんが心底面倒なことのように、愚痴ってくれた。
あぁ、お兄ちゃんにとっては、私との事など面倒事でしかない。
それが分かって、ため息を小さく吐いた。
もう本当に、この恋に未来は無いんだと、それが悲しい。
けれどもここで泣くことはできないから、家に帰ろうと思った。
この気持ちを自覚してから、こうして何度も振られてきたけれど、それも今日が最後だ。
もう、終わりにしなければならないと思った。
おばさんと出かけた母がいないから、家に帰れば泣くことができる。
これ以上、お兄ちゃんの前で平気でなんかいられそうも無い。この夏はこの恋を弔っていようと思った。
きっと、夏が来るたびに辛い思いをするかもしれないけれど、その度にこの恋を思い出して哀しむのも悪くない。
そう思って椅子から立ち上がった。
着物を着ているから、動きはゆっくりだけれど、まあそれもいいかもしれない。
お兄ちゃんには、最後に綺麗な私を見てもらえたし、大変な思いをしたけれど満足している。



ドアに向かって数歩歩いた。
「何処行くんだ?」
私の背にお兄ちゃんが声をかける。
「お見合いは、お兄ちゃんから断っておいて下さい。」
振り返らずにそう伝えた。
振られに来たのだから、これでいいはず。
お兄ちゃんに断ってもらえば、私だってこれ以上は変な期待なんかしない。
私から断る勇気なんて無いのだから、お兄ちゃんに言ってもらわなくちゃならないのだ。
ドアノブに手をかけて回そうとした。早くここかで出てしまいたい。
泣くのは家に帰ってから・・・・、もう少し我慢しよう。
今振り返ったら、絶対に決心がにぶる。何も返事が無いのは、肯定した証だ。
このお見合いの話は、お兄ちゃんが断る。
ドアを引こうとした手が、ふわりと何かに包まれた。横から大きな手が伸びて、私の手をおおっている。
「駄目だ、予定が狂うだろ?もう少し待つつもりで、わざと帰らないようにしていたのにさ、ただでさえ予定が狂って早くなったんだ。これ以上狂わせるわけには行かないよ。」
その意外な言葉に、お兄ちゃんを振り仰ぐ。柔らかく微笑んで、私を見下ろしている。
私の大好きなお兄ちゃんの笑顔だ。



「ここで帰したら後がないからな。」
耳元で囁かれた言葉と状況を考えてみる。
つまりはお兄ちゃんはこのお見合いを断らないということで、それは私の事をまんざらでもないということ。
はじき出した答えに、頬が熱を持つ。
「ん、その赤くなっちゃうところ可愛いなぁ。俺の気持ちは、もう随分前からのものだったんだけどなぁ。お前はちっとも気づかなかったみたいだけど。しかも、今日は、断る気満々だっただろ?お兄さん、ちょっとへこんだぞ。そんなに嫌われてないはずなのに、って。」
重ねられた手をそのままつかまれて、お互いに向き合うように身体を回された。
「ごめんなさい。」
「ん、いいんだ。今、出て行こうとしたのは、俺とのことは嫌だって事か?」
何も言えなくて、首を横に振って答えた。
「じゃあ、いいって事?」
「うん。」
今度は縦に振って、なんとか声でも返事をした。
「俺、のこと、本気だからね。幼馴染とか、お隣の妹みたいな女の子じゃなくって、ちゃんと恋人にしたい女性としてみてるから。は、俺のこと、同じように見れる?」
「見れる。ううん、見てる。」
俯き加減だった顔を上げて、はっきりと宣言するように言った。



「ありがとう、嬉しいよ。まあ、お見合いと言っても、すぐにどうこうしようとは思ってないからさ。見かねた母さんたちが、切欠になればってやってくれた事だし。先ずは、幼馴染から恋人になろうか?」
「うん、そうだね。」
お兄ちゃんの手が頬を撫でる。
今までと同じように優しいけれど、何かが違うような気がする。
それは、心の距離感だ。
隣人としては、私たちはとっても親しく近い間柄だと言ってよかったと思う。
でも、男女としては最も遠い存在だった。
近いのに遠かった。
でも今度は、男と女として近づこうとする1歩目を踏み出した。
そう、お隣の女の子の位置から、恋人へと真逆に移動を始めたんだ。
それがとても嬉しくて、お兄ちゃんの手のひらに自分から頬を寄せた。
「これからは、『お兄ちゃん』じゃなくて、『駿』だからね。もう、お兄ちゃんは卒業だから。俺も恋人らしくするから、も俺の彼女らしく『駿』って呼んで。」
そう言って私をじっと見てる。
つまりは、今すぐに呼べって事らしい。
「しゅ・・・ん。」
「ん〜、初々しいねぇ。でも、もっとはっきりと。」
お兄ちゃんは、あぁ、今からは駿って呼ばなきゃだ。
駿は、また私が言うのを待ってる。
試しなら1回でいいのに、何で何回も呼ばされるの?
でも、惚れた弱みってやつなのかな、もうあきらめている私。
「駿。」
「はい、俺がの彼氏の駿です。」
それはそれは、とろけそうな笑顔で、駿は自己紹介してくれた。



そこまで嬉しそうだと、怒れないじゃん。
駿のバカ。





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2006.08.10up