正しい彼の落とし方 その6




暑かった日々もいつの間にか涼しい風が吹くようになった。
差し入れもあまり頻繁だと嫌味になる。
あれからもう1回だけ別のパイを作って、みんなに配った。
主任からは同じ反応。
あまり手ごたえは感じない。
私のやっていることなんて、2人の絆の前では風に吹かれる木の葉程度しか
価値の無いものなのかもしれない。
そんな風に思えた。
それならそれで、早く婚約でも結婚でもして欲しい。
彼女さんが主任と同い年なら、十分に適齢期だ。
むしろ、その時期は過ぎつつあると言ってもいい。
仕事を続けるのなら、結婚しても続ければいいだろう。
子供を持たず夫婦共働きで暮らしている人だっている。
何故そうしないんだろうか?



私の心と関心は主任にしかないのに、そしてそれだけに集中していたいのに、
どうも世の中はままならない。
なぜかやたらに誘ってくる男性が現れた。
彼は自他共に認める営業課のホープだ。
2歳年上な彼は女子社員にモテモテだと聞いている。
彼に関心を寄せない私を珍しがってのことだろうと、
お稽古事や残業を理由に誘いを断り続けている。
だいたい、私は同期や独身社員の合コンにも出たことがないから、
彼氏を募集していないことは、分かりそうなものなのに・・・。
まったく迷惑に他ならない。
どうせ課に来るのなら、私の所ではなくて例のお嬢様、後藤里美さんに所へでも
行ってくれればいいと思う。
彼女はそれこそ一日千秋の思いで待っているに違いない。
おかげでなんとなく後藤さんに睨まれている。
ような気がする。
まあ、机は向かい合わせに座っていても、パソコンのモニターで隠れているから
視線はそれほど感じないけれど。
私に当たるのはやめて欲しい。
それを口にすれば、自意識過剰な女と言われるだろうから、
何も言えないのが悔しいけれど。



今日も今日とて、彼は後藤さんの机の横を素通りして、
私の席にやってきた。
その手には営業課からこの総務課に準備して欲しい
会議室の使用申請書がヒラヒラとしている。
大義名分を持っているからか、彼は堂々としばらくは居座る気らしい。
会議室使用申請書を、私の机にトンと置いて、
背中合わせの男性社員から奪った椅子を使い私の隣に座った。
「ねえ、ちゃん。」
「なんですか?
会議室のことでしたら心配要りませんよ。
ちゃんと準備しますから。」
キーボードに手を乗せて動かしながら、視線はモニターの上。
隣の男をちらりとも見ずに返してやる。
馴れ馴れしくされると主任に誤解を受けそうだから、離れて欲しいんですけど。
「ん、そのことは信頼してるから。」
「ありがとうございます。」
「だからね、お礼に夕食奢らせて・・・ね。」
女の子が上目使いでやったら、可愛いけれど大の男がやっても可愛くありませんよ。
そう、心の中で愚痴る。
「お気持ちだけ頂いておきますね。
私としても他の女子社員の皆様の恨みは買いたくありませんし、
それに、これ、私の仕事ですから。」
机の端に置かれた申請書を手にして、目の前のモニターにファイルを呼び出す。



使用日と時間、使用人数やお茶の有無を確認して、
それに見合った空いている会議室をおさえる。
それを保存して、主任やチーム内のPCへと送っておく。
会議室の使用管理はチーム全体でやっておかないと、後々大変だからだ。
「はい、会議室は予約を入れましたので、ご心配なく。
ご指定の日時にお使いになれます。」
ファイルを閉じてそこから動こうとしない彼に仕事が終わったことを伝えた。
とっとと帰れ!・・・と言いたいところだけれど、そうも行かない。
思わずため息が出た。
「そんなため息を吐くくらいなら、食事に行こう。
おいしいものでも食べれば元気が出るよ。」
能天気に何を言うのかこの人は。
ピンと張り詰めている堪忍袋の緒が、細く縮み今にも切れそうになるのを感じる。
我慢よ・・・・と、自分に言い聞かせるけれど、どこまで持つのか分からない。
早く立ち去ってください。
そう願わずにはいられない。



「うちのチームの大事な佐々木君を、そんなにいじめないでくれたまえ。
プライベートの誘いなら、せめて上司には聞こえないところでするのが、
マナーと言うものだろう。
大体彼女と夕食を一緒にしたいのは、君だけじゃないんだよ。」
斜め後ろから救いの声が聞こえた。
「えぇー、いいじゃないですか。
主任には素敵な彼女さんがいるからいいでしょうけれど、
俺にはいないんですよ。
誰かに攫われてしまわない内に、ちゃんをゲットしたいんです。
邪魔しないでくださいよ。」
情けなさそうな言葉を吐いているけれど、そんなのは演技。
いつも違う美人を連れて歩いているのをよく見かける。
もてていることも口説き上手なことも社内では有名だ。
「それは君が一人に絞らないからじゃないか。
日頃の行いが行いだから、こういう時は本気にしてもらえないんだよ。」
少し非難めいた口調で、主任が否定する。
「分かりました。主任がそこまで言われるのなら、
今日のところは引き下がります。
でも、ちゃんをあきらめたわけじゃないですから。
じゃ、また今度ね。
次は主任のいないところで誘うから、OKしてよ。」
そう言って営業課のホープ君は、私の机横から立ち去った。



彼が廊下を遠ざかる。
その靴音を聞いて安堵のため息が漏れた。
「佐々木君、ちょっといいかな。」
主任が立ち上がって私を見る。
「はい。」
私も椅子から立ち上がって主任を見た。
「じゃ、こっちへ。」
主任にそう促されて後ろをついて行く。
壁にある会議室の鍵の保管庫から1つを外して手にすると、
そのまま廊下へと出て行く。
会議室の中でも一番小さい部屋のドアの前に着いた。
開錠して中へと入る。
「そこに座って。」
一番手前のテーブルの端をさして、主任が椅子をすすめてくれた。
「はい、ありがとうございます。」
何か話があるからこそ、こうして呼び出されたことは察しが着く。
あまりいい話でないことも。
椅子をすすめると言うことは、多少長くなるのだ。
大人しく、すすめにしたがって椅子に腰をかけた。



主任も同じテーブルの角端の椅子に座った。
私たちは直角位置に座っている事になる。
横並びほど親しくもなく、向かい合うほど遠くもない。
微妙な距離だ。
「彼からは良く誘われているの?」
「えっ、えぇまあ。」
話は先ほどの彼とのプライベートなことだった。
「うちの社は、社内恋愛を禁じていないからね。
別に付き合っても構わないんだ。
でも、仕事中にああいう会話は良くないと思うんだ。」
「それは分かります。
でも、私は自分からそんな話はしませんし、
仕事の話だけしかしていません。
私が彼に気があるような風に見えましたか?」
誤解されたくなくて、声高に返す。
「ん、さっきの話を聞いていたら分かるよ。
佐々木君が本当に迷惑ならば、彼には僕から言うという手もあるんだ。
だけど、それをやると彼は二度と佐々木君に声をかけなくなるだろ?
本当は好きだったり駆け引きをしているんだとしたら、
佐々木君の都合が悪くなるじゃないか。
だから、確かめておこうと思ってね。」
薄く笑って主任が私を覗き込む。



主任が私のことを部下以上に考えてない。
そのことを突きつけられて、胸の奥が熱くなった。
鼻の中がツンとして目頭が濡れてくる。
ここで泣いたら主任を困らせるだけだ。
そう思ってぐっと唇に力を入れて涙を耐える。
「私には他に好きな人がいるんです。
ですから、主任が彼に何か言ってくださるというのなら、
そのご好意に甘えてよろしくお願いしたいです。」
一旦顔を上げて主任を見てから、頭を下げた。
「ん、分かった。
任せなさい。」
主任に守ってもらえると思うとうれしいはずなのに、素直にそう喜べない。
むしろ現実を突きつけられて、谷底に落とされた気分だった。






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2006.03.29up