正しい彼の落とし方 その5




当たり前だけど、お盆休みは何事もなく終わった。
主任とは、会社の上司と部下以外につながりはないのだから、
会社が休みになれば会うことはない。
主任と彼女さんは今頃どうしているだろう。
休み前に相談をしてきたすれ違いは、解消できただろうか。
そんなことを考えて過ごした。
そりゃ本音を言えば、もっとすれ違いが大きくなるといいと思う。
それだけ早く2人に終わりが来るだろうから。
けれども、一方の本音は主任の幸せを願っている。
出来ることならば、主任を幸せにするのが私であって欲しいだけだ。
私だったら、主任を不安にさせたりしない。
メールも電話も私からだっていいし、デートもおねだりする。
デートする暇がなくても、一緒にその空間にいるだけでもいい。
彼に安息の場所を与えたいと思う。



暦の上だけは秋に入った。
通っている料理学校のメニューが、講師の好みでパイ特集になった。
パイは本当に色々種類がある。
私も大好きだ。
1ヶ月かかってパイの特集が終わった頃には、
私も結構上手にパイを焼けるようになっていた。
主任にも食べて欲しいと思った。
男の人は甘いものがあまり得意ではないから、
お菓子のパイはあまり歓迎されないだろう。
でも、お惣菜のパイならきっと喜んでくれるのでは?
そう思ってミートパイの準備をした。
渡すのは金曜日。
彼女さんの目にとまりやすい日だろうと思うから。
それも、チーム全員に配ることにした。
主任が受け取りやすくする為だ。
材料費もお菓子ほどかからないし、私も気楽にやれる。



手作りを強調する為に、可愛いラッピングを用意する。
いかにも女の子と言う感じのピンクのチェックの包装箱に、
おそろいの小さいショッパー。
パイ自体はクッキングシートで綺麗に包んだ。
彼女さんに買ってきたパイだと思われない為と、
もしパイ自体は彼女さんに知られなくても、
ゴミ箱にあるラッピングには目が行くだろう。
そんな計算も入っている。
2人がお休み中に関係を修復してラブラブに戻っていないのなら、
かなり効果が期待できる。
バレンタインでもないのに、部下の女子社員に手作りのものを
貰ってくるのは、あまり面白くないことだろう。
主任はなんともないことだろうと思うけれど、
彼女さんにはかなりの効果があると思う。
前日から仕込んだパイを、金曜日に会社へと持ち込んだ。
チーム全体と言っても6人ほどだし、数は少ない。
京子さんには、お菓子の方のアップルパイも持って行った。
ご主人の分も合わせて4切れ。
日頃お世話になっているから、こっちは純粋にお礼だ。
京子さんなら、むしろご主人の分もあることを喜んでくれるだろう。



金曜日は一番残業率が低い。
パイは、終業直後にそれとなくみんなの机に置いた。
チームのみんなは快く受け取ってくれた。
もちろん主任も。
京子さんには、事情を話してご主人の分も一緒に渡す。
「へぇー、上手に作るのねぇ。
私にはこんなの無理だから、ダーリンも喜ぶわ。
ありがと、ちゃん。
でも、着々と作戦実行中なんだね。
ここの所、彼女様から電話もないし、本当に倦怠期なのかもよ。
女も27歳にもなれば、仕事に生きるか結婚を選ぶかの分かれ道に
差し掛かっているからね。
彼女様も悩んでるんじゃないの。
もし、仕事が楽しいのなら、絶対に仕事を取るだろうけれど、
結婚願望があるのなら、そろそろ主任にせっついてもいい年だし。
具体的に何も動いていないところを見ると、
彼女様は仕事を取るのかもしれないよ。
だったら、ちゃんには今がチャンスだね。
がんばって。」
主任の秘書的な仕事もしている京子さんからの情報は確かだ。
主任は本当に彼女さんに冷たくされているんだろうか。
休み前の夜にされた相談を思い出す。



もし私が主任の彼女なら、会社の女の子が手作りのパイを
同僚に配るなんて何か理由があると思うと思う。
中学校や高校の調理実習の時に何か作れば、
意中の人や彼氏に渡すものと相場が決まっている。
どんな学校でも見られるし、女の子なら一度はやったことがあるか、
考えたことがあることに違いない。
私だってそうだった。
だから、配った中に意中の人が居ると考えるのは、すぐに思いつく答えだ。
しかもチームの全員に配ったとなれば、
配った子とその人はまだ特別な関係にない。
それで、チーム全員なのだ。
後は消去法になる。
誰が私の意中の人なのか、彼女さんは推理するはずだ。



まず、その女の子に不倫願望でもない限りは、妻帯者は除外される。
ついで同性も。
異性の独身がターゲットとして残ることになる。
チームにどの位の対象者がいるのかは、彼氏である主任に聞けばいいだろう。
独身だけを聞けば変に思われることも、
妻帯者から話を持っていけば造作もないことだ。
彼女は自分の彼氏である主任を狙っている女がいることに気づくと思う。
そこで、彼女さんが主任にこんなことを要求する。
『もうこの子からパイはもちろんのこと、何かを貰わないで。』と。
嫉妬に駆られてこんなことを言われたら、困るのは主任だ。
主任だけに渡したのなら、主任も同意するかもしれない。
けれど、配ったのはチーム全員。
次回同じことがあるとして、自分だけは要らないと拒否するのは、
主任と言う立場なだけにできないと言うだろう。
同じ社会人。
会社勤めをしているのだから、その位の理解は欲しいと
思うんじゃないだろうか。
少しだけでも彼女さんに失望して欲しい。



もし彼女さんが料理上手なら、『私の方がおいしいのを作ってあげる』と、
ここで主任のハートをがっちりつかむ作戦に出るかもしれない。
私ならそうする。
パイをくれた女の子に嫉妬するよりも、自分の料理上手なところを
再認識してもらって株を上げるほうが得策だ。
仕事に出れば付き合いというものがある。
それはお互い様だろう。
彼女さんだって、ヴァレンタインにはきっと同僚や上司に
チョコを配るに違いない。
私のパイがそれと同じだと捨て置けるほどの余裕を見せるか、
それとも罪のない主任を責めるかで、彼女の度量が分かる。
私としては、嫉妬して欲しいけれど。



翌日。
チームの人たちからは、おいしかったとお礼を言われた。
中には奥さんや子供さんに食べられてせがまれてしまって、
また欲しいと言ってくれる人まで。
作戦実行の為だったから、かえって申し訳ないほど。
でも、喜んでもらえたのなら結果オーライとしよう。
肝心の主任はどうだったんだろう。
「ご馳走様。」とだけ言ってくれたけれど。
その他の言葉はなかった。
私が主任のプライベートを知る術なんてどこにもない。
また、あの夜の偶然のように、主任が話してくれるまで。
どんなことでもいいから聞きたいと思った。
例え、それが彼女さんの惚気でもいい。
2人がうまく行っていて幸せならば、
他に振り向かせる作戦を何かを考えればいいし、
結婚すると言うのなら、彼女さんもうらやむ様な誰かを見つければいい。



そう、この報われないかもしれない恋をするときに決めたんだ。
ネガティブにならないって。
後ろ向きに考え始めてしまったら、私は彼女さんにも負けるだろうし、
今後も恋に負け続けなければならないだろう。
そんな気がした。
失敗だって立派な経験だ。
だとするなら、実らない恋も恋のうちに入る。
例えそれが一方通行の片思いでも。



今、主任のことをあきらめられないのなら、あきらめなければいい。
これ以上は無駄だと自分で思えるまでは、
私の恋は終わらない・・・・と、そう思っている。
4月から数えてまだ4ヶ月ほど。
あきらめるには、まだまだ早い。





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2006.03.22up