正しい彼の落とし方 その4




主任と親しくなるチャンスは、なかなかやって来なかった。
会話を増やそうと狙っているうちに、春が過ぎて夏が来てしまった。
ボーナス直後に納涼飲み会が行われた。
前回の歓迎会や会社での事務的な話よりは、
もう少し実のある会話をしたいと思った。
仕事も落ち着いてきているし、主任よりも彼女の年齢を考えると、
こちらもあまりのんびりと構えているわけにもいかない。
結婚話が出てもおかしくないからだ。
まあ、一般的に言って春と秋がそのシーズンとするのなら、
春から初夏へ向かっている今、この春の挙式はないはずだ。
でも、3ヶ月前くらいなら予約可能な式場もあるだろうから、
この秋に・・・ってことだってありえる。
そろそろ動き出そうと思った。
ぐずぐずなんかしていられない。



飲み会は、アットホームな感じでとても楽しかった。
2次会が終わって、私は帰ろうとしていた。
ダーリン命な京子さんはすでに1次会で帰ってしまっていたし、
急がないと終電が出てしまう。
お給料に余裕のない私が、タクシーを使うのはお財布に響く。
「お疲れ様でした。
それじゃお先に失礼いたします。」
次に行くと言う独身組みに別れを言って、駅に向かって歩き出した。
主任はどうするのかなと様子を見たけれど、
次に行くと言う女の子たちに囲まれていて、苦笑していた。
残念だけど、今夜は私にはチャンスがないみたい。
楽しくないお酒は、飲みたくない。
それに、女の子たちに囲まれている主任も見たくない。
義理は果たしたと思う。
数歩歩いたところで、私の横に並んだ男の人がいた。
「待って、佐々木さん。
駅に行くんでしょ?
一緒に行こうか、酔っ払いに絡まれると危ないから。」
声は主任のものだった。
「行かなくていいんですか?」
「ん、まあ良いだろう。
いつまでも上司がいるのも無粋と言うものだし。」
そう言って、主任は大きく息を吐き出した。



主任と私の使う路線は偶然にも一緒なのは知っていた。
でも、駅まで一緒だとは思わなかった。
私学の大学を3校抱えている学生街。
大学がその内の1校だったので、そのまま住んでいる。
いずれは、もっと駅に近いところか、会社に近いところへ移ろうと考えていた。
でも、学生街だからこそ、アパート代も物価も安い。
それに大学が古いせいか意外と都心に近い。
そんなこともあってここを離れる気にはならなかった。
私は駅から徒歩10分ほどの学生が多いアパートだ。
「僕は大学がここの駅でね。
もう学生街に住むには年を取っているんだけど、離れがたくてね。」
「私もです。」
そう笑って右上45度にある主任の顔を見上げると、
「奇遇だなぁ。」と笑い返してくれた。
それからは、時々残業で帰りが一緒になった時は、
送って貰ったりするようになった。
そつなく紳士な態度でレディ・ファーストをされてしまうと、
主任はあの美しい彼女もこんな風に扱っているんだと思ってしまう。
ううん、もっと大事にしているに違いない。
これは嫉妬と言うものだと、醜い感情なのだと分かっているけれど、
沸き出でてくるものを止めようがなかった。



夏季休暇を前にして、連日残業の嵐に見舞われていた。
まあ、上手くやる人はそこそこの時間で帰れるものだが、
その日に限って私は主任と一緒に仕事をしていて、
夕ご飯は店屋物で主任はカレー、私はオムライスで済ますと、
2人だけになったオフィスで黙々と作業をしていた。
集中しなければならない仕事を先に終わらせて、
後はそれらを仕分けして袋詰めの作業となった。
ここまでくれば話をしても大丈夫だ。
そう思ってもいきなりプライベートなことは聞き辛い。
どう切り出したものか・・・・そう考えていた私の鼓膜に、
「佐々木さんを女性と見込んで尋ねたいことがあるんだけど、いいかな。」と、
主任の探るような言葉が飛び込んできた。
「はい、いいですよ。どうぞ。」
女とは認められているのだと、先ずはそれを喜ぶことにした。
ただの部下と思われているよりは良い。
口にするのをためらう事のようで、主任はなかなか話しをしない。
けれども急かすのも嫌な感じだと思って、そのまま待った。



「実はさ、プライベートのことなんだけれども、付き合っている人が居るんだ。
なんだけど、その彼女が最近冷たいって言うか、
仕事優先って言うかさ、そんな感じで・・・・。」
「お勤めしてれば仕事優先になるのは仕方がないと思います。
まして、主任の彼女さんって噂ではキャリアだって聞いてますから、
私たちのような事務職とは同じと言うわけには・・・・・。」
主任から質問があったとはいえ、彼女の弁護をすることになるとは・・・。
正直言ってちょっと落ち込む。
けれども、決して悪意のあることを言うつもりはない。
私が彼女のことを悪く言えば、主任は絶対に彼女の肩を持つだろうし、
私のことを悪く思うに決まっている。
それじゃせっかくのチャンスを活かせない。
主任には彼女に対する不満を増やしてもらわなければならない。
「そうかな。」
「そうですよ。
彼女さんだってきっと主任と一緒にいたいと思います。
同じ女ですもの分かります。
好きな人とは出来るだけ一緒にいたいですもん。
でも、仕事も大切なことですから。
主任の思い過ごしじゃないですか?」
「かもしれないけど・・・・」
どうやら、私の言葉では主任の疑心暗鬼は、鳴りを潜めなかったらしい。



「お仕事が忙しくても、電話とかメールとか色々コミュニケーションの方法は
あるじゃないですか。
会える時間ができるまでは、それで我慢してください。
こっちも結構忙しいですから、彼女さんが会いたくても
今は主任にも時間がないんじじゃないですか?」
「電話にメールか・・・・・。」
「彼女さんから来なくても主任がすればいいんですよ。
きっと待ってると思います。
女って欲張りなんですよ。
自分だけじゃなくって、相手からも電話して欲しいって。
いつも自分からじゃ、相手の心がこっちに向いてないんじゃないかって。
不安になるんです。
私が好きな分だけ、相手にも求めてしまうんです。」
それまでしていた紙を扱うカサカサとした音が急にやんだ事に気づいて、
主任の方を見た。
手が止まったままで宙の一点を見つけているような表情の主任。
「主任?」
「あっ、あぁ、すまなかった。
ちゃんと聞いていたよ。
とても参考になった、ありがとう。」
「いいえ、お役に立ててよかったです。」
そして、私たちは残りの仕事に集中した。



手を動かしながらこっそりと主任の様子を伺う。
主任も手は忙しそうに動いているものの、
心はそこに集中していないような気がする。
私の言葉に感謝はしたものの、そんな表情はしていない。
だいたい、ああいう助言をすると『じゃあ、こちらからもしてみようかな。』とか、
『女の子ってそうなんだ。気づかなかったよ。』とか言う言葉が返ってくるのが、
普通の男の人の反応だ。
私が言ったのは一般論だった。
別に作為的ではないと思う。
友達に相談されても同じことを言うだろう。
それに対して主任の反応が薄かった。
もうそんな事は、やってみたよ。
そんな言葉が聞こえてきそうな表情。
主任なら私が言ったようなことは既にやったかもしれない。
気配りのできる人だし、その可能性はある。
それでも、彼女の反応が悪いのだろうか?
ひょっとしたら彼女から私が口にしたようなことは、言われていないのかもしれない。
だとすれば、主任は彼女から求められていないと言うこと?
私には見えないはずの主任と彼女さんの関係が垣間見えたような気がした。





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2006.03.15up