正しい彼の落とし方 その3




季節は移り、ゴールデンウィークも終わり初夏の色も濃くなってきた。
主任は相変わらず格好良い。
毎日出社するのが楽しい。
仕事が楽しいんじゃないところが、申し訳ないけれど。
けれど、もちろん仕事もがんばっている。
まだまだ、主任から私に回される仕事なんて、簡単でミスしても
さほど関係のないものばかりだ。
それでも、ミスがないほうがいいに決まっているし、
簡単でも私に任された仕事となれば、おろそかにしないようにしている。
まあ、積み重ねですから・・・ね。
コピーとかお茶出しとか、伝票の整理とか封筒の宛名貼りとか。
バイトの頃の方がもっと重要な仕事をしていたように思うくらい。
でも、めげない・・・と、自分に言い聞かせる。
同じチームの先輩OLである京子さんの指導の下、
彼女の仕事を手伝うということで、主任には内緒で重要な仕事もしている。
京子さん曰く、「いつ妊娠してもいいように育てておく。」という事だった。
そんな仕事がなかったら、本当に単調でつまらなかったかも。



そんなある日。
課長が主任を呼んで資料を開き、なにやら難しい顔で長いこと話をしていた。
「これは何かあるね。」
京子さんがその様子につぶやく。
「今夜は残業を覚悟しておいた方がいいかもよ。」
そう言って、彼女はダーリンにメールを打っていた。
京子さんの勘って当たるんだよね。
だから、彼女がご主人にメールを打った時点で、私の中では確定になる。
その後、課長と話が終わった主任は、京子さんをデスクに呼んだ。
「そーら、おいでなすった。」
時代劇のような言葉を残して、京子さんは立ち上がる。
主任と話をしている彼女を見ると、結構真剣な表情。
大変なことかもしれない。
そんな不安に襲われた。
ちゃん、ちょっと来て」
京子さんに呼ばれて、主任のデスクへと行った。
「主任、佐々木さんにもお願いしてみたらどうでしょう。
彼女ならできると思いますし、私1人より早いと思います。
もちろん、私が仕上げを確認しますので。」
主任が私を見た。
いつもの柔らかい視線と違って、値踏みされているようで緊張する。
「前島さんに任せるよ。
佐々木さん、彼女の言うとおりにやって欲しい。」
「はい。」
主任の視線を受けて、しっかりと頷いた。



内容はお中元に関することだった。
季節柄もうそんな準備に入るのかと、感心する。
だけど問題は、その品物選び。
相手の望むような品物を選んで送らなければならない。
うちの会社は、一人一人の予算は決まっているものの、
相手によって品物を変えているのだそうだ。
家庭的な会社を前面に出しているせいだろうか。
相手が喜んでくれる品物を選ぶだけなら、簡単だと思う。
けれど、当節どこの会社でも交際費や接待費は削られているのだ。
たくさんの予算がもらえるわけじゃない。
だからこそ、限られた予算で最善の物を送るのは至難のわざとなる。
「課長とも話したけれど、ここは女性視点の選択をした方が、
相手のご家族に喜ばれるだろうということになったんだ。
奥さんや子供の意見や言葉は大事だからね。
そういうことだから、よろしく頼むよ。」
主任の言葉に京子さんと一緒に頭を下げた。
日にちはまだ幾分余裕がある。
私たち2人は、デパートに並んでいるお中元を見に出かけてみた。
今年の傾向と人気商品をチェックする。
メモを取りながら、色々見て回った。
たとえ自分の買い物でなくても、プレゼントの品を選ぶというのは、
仕事とはいえうれしいと思った。
京子さんに話すと「不謹慎だけど、私もなの。」と笑ってくれた。



選ぶのは楽しくても相手のことを知らない私には、とても大変な仕事になった。
京子さんと一緒でなきゃ、絶対に仕上げられない。
来年もこの仕事が私たちに回ってくるのかどうかは知らないけれど、
それでも来年担当になる誰かのためにと、資料をまとめる。
どちらかと言えば、私はその係り。
京子さんは相手を見ながら品物を決定する。
それに専念できるように、私もがんばった。
3日かけて何とか選び終えると、主任と課長へ提出。
OKが出るとそこから1日かけて確認と配送の手配。
そして、そのまとめに1日。
1週間はこれにかかった計算だ。
金曜日の午後は、本当に疲れていた。
今夜はアパートに帰っても何も作りたくない。
もっと言えば、明日あさってはごろごろして寝ていたい。
そんな予定を頭の中で組んで、もう少しだからと喝を入れる。
今日は残業をしなくてもよさそうだし、京子さんは午後からそわそわしている。
きっと、ご主人との甘い週末のことでも考えているんだろう。
まったくうらやましい。



終業のチャイムが鳴った。
すぐにでも立ち上がって帰りたい気持ちと、
どうせ誰も待っていないのだからと言う投げやりな気持ちがせめぎあう。
すぐにロッカールームへ向かっても金曜日だから混んでいるだろう。
そう考えて30分ほどは見合わせることにした。
さすがは金曜日。
瞬く間にほとんどの人がオフィスから居なくなってしまった。
ひとつため息を吐いて、椅子から立ち上がる。
お尻に根が生えたかと思うほど身体が重い。
その背に「今週は無理させたね。週末はゆっくり休んでくれ。」と、
主任の声がかかった。
思わず振り向いて「ありがとうございます。」と軽い会釈をする。
夕方だと言うのに、さわやかな笑顔。
これからあの噂の彼女とデートだろうか。
そう思うとちょっと悲しい。
さらに身体が重くなったような気がした。
あの人の、主任の、沢口孝弘のアフターファイブを、
私のものにしたいと、そう思う。



聞く人が聞けば、これはいけない感情なのかもしれない。
それでも、私はそう思うことを止めないだろう。
日々進化する気持ちは、どんどん大きくなっている。
種は主任が私にくれた。
私はその種を捨てなかっただけだ。
その種を育てることは、人に悪く言われるだろうということは、
百も承知で始めたことだ。
今は決して日当たりの良いとは言えない場所で、
みんなに隠して育てているけれど(京子さんにはバレているが・・・)
いつかはと願っている。
そう、いつかは、お日様の光が十分当たる場所に植え替えて、
誰の目に触れてもいい場所で育みたい。
ううん、そうなってみせる。
そのための努力はすでに始めている。
主任の彼女は同い年で秘書課だという。
私よりも5歳分キャリアや経験を持っている。
負けたくない、せめて気持ちでは。
疲れていて重い身体の奥に熱を感じた。



土曜日と日曜日は、お稽古事などを入れている。
もちろんキャリアアップのためのものと、女としてのものだ。
独身の女の子の土曜日と日曜日が、そんな予定というのはちょっと情けない。
けれども、主任と付き合うようになったら、土日は彼との時間に使いたい。
だったら、自由に使えるのは今しかないことになる。
そう思うことで、主任と彼女の週末から自分の目をそらしていた。
そうでもないと片思いの私には週末がとても辛くなる。
会社では、仕事が出来る社員になること。
オフでは、いい女になること。
今のところそれが私の目標だ。
もし、私が主任に何か仕掛ける前に、2人が結婚するということだってある。
主任は27歳。
彼女も同い年なら、その可能性は十分にある。
でも私は不倫や愛人になる気はないから、
その時には退職して転職するか、出来れば配置転換を申し出て、
主任を見ないですむところへ行こうと思っている。
距離と時間は、恋を冷めさせるのに有効な手段だと思うから。

ま、そうならないようにがんばるつもりだけどね。





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2006.03.08up