正しい彼の落とし方 その2




「主任、お疲れ様です。
彼女がわがチームに配属になった佐々木さんです。
課長の命で私が彼女の指導に当たることになりました。」
京子さんの言葉に、主任の視線が私に注がれた。
「本日付けでお世話になることになりました。
佐々木です。
よろしくお願いいたします。」
丁寧に頭を下げて自己紹介をした。
「あぁ、佐々木さんね。
こちらこそよろしく。
僕は、総務課第3チームの主任、沢口孝弘です。
前島さんが担当なら期待していいかな。
どうだろう?」
その声も少し笑った顔も私をさらに溺れさせる。
けれどもここは会社の中だ。
ハートな瞳になるわけには行かない。
できるだけ感情を出さないように努力した。
「えぇ、お任せ下さい。」
京子さんが頷きながら笑って応える。
私の評価はまあまあいいみたいだ。
最初から駄目だと言われるよりはずっといい。



席に戻ると京子さんが私を見て「すごいわね。」と唸った。
何のことを言われているのかわからなくて、首をかしげる。
「主任よ。
あの主任を見て、一目惚れしなかったのちゃんくらいよ。
今までに配属になった女の子、みーんなやられているんだから。
もうね、その場でメロメロになったのが分かるの。
何度も見たわよ。
何でも仕事がらみで出会って付き合っているという彼女が居るらしいから、
アタックしても無駄に終わるらしいけどね。
少なくても今までの子は駄目だったわ。」
「京子さんもですか?」
私の問いに京子さんは、一瞬目を大きく見開いて笑った。
「私?私はすでに旦那様持ちです。
結婚して半年目ののラブラブ夫婦なの。
まあ、見た目は主任には負けるけどね。」
そう言ってウィンクを飛ばしてくれた。
ごめんなさい京子さん。
しっかり一目惚れしてしまいました。
しかも彼女が居ると聞いても全然へこたれていません。
あきらめる気なんかまったく無いです。
俄然、奪う気満々です。



その後、京子さんとお昼を一緒にしながら得た情報では、
沢口主任は現在27歳。
もちろん独身。
同い年の仕事で出会った彼女が居る。
でも、同棲はしていないようだ。
彼女はうちと取引のある会社の秘書課にお勤めらしい。
そしてやっぱり主任クラスというキャリア持ち。
京子さんが街で偶然に一度だけ会ったらしい。
その印象は美人系の女性で、女優で言えば黒木瞳のような
良妻賢母タイプに見えたそうだ。
主任が横から脇腹を小突かれていたらしい。
まあ、秘書課にお勤めと言うだけでもポイントは高い。
「ねぇ、こんなこと聞くって事は、ちゃん主任狙うつもり?
もし、そうだったら私応援するよ。」
「どうしてですか?」
「あの時ね、一度だけど街であった時。
主任に紹介するように言うのはいいと思うのよ。
でも、その時の私と旦那を見る目がねぇ。
ものすごくいやな感じでさ。
それから、度々私が彼女からの電話を取り次いだんだけど、
本当に秘書課なのかって位に横柄な態度なのよ。
普段、やられているから意趣晴らしのつもりなのか知らないけれど・・・。
主任は本当にいい人よ。
でも、彼に岡惚れする女の子の中に、あの秘書から主任を奪えそうな子は
居なかったんだよね。
残念だけど、私にはダーリンがいたし。
主任は好みじゃないし。
だから、もしちゃんが本気なら、バックアップするわ。」
京子さんはこぶしを作ってテーブルを軽くたたいた。



そこまで本気で向かってもいいかどうか決めるための情報収集で、
それを勧められてしまうと言うのも可笑しな話だ。
でも、こんなに心強い助っ人がいるとなれば、頼もしい。
お言葉に甘えて略奪愛してみようかな。
そんな気になった。
もちろん、主任には秘書の彼女とは別れて貰わなければならない。
だけど、私が不倫の相手のように罪を着て
2人が別れる責任を負うような展開はいただけない。
あくまでも主任が私に心変わりをして、秘書の彼女とは円満に別れる。
これが理想だ。
彼女から見たら、私は主任を奪った女になるだろうけれど、
主任から見てそうならなければいい。
むしろ、自分の心変わりによって、私を彼女にした。
そういう落ちが理想だ。
京子さんには、何かの助けが必要になったらお願いします。
と、そう頼んでおいた。
行動に出るには、まだ時期が早い。
迂闊に事を起こせば、新人が仕事もできないくせに・・・と、思われる。
まずは、仕事を覚えてからだ。
そう考えた。



4月も終わり頃になり、歓迎会が行われることになった。
酒の席では、たがが外れるせいかその人の性格や悪癖が露呈される。
主任の酒癖はどうだろう。
ちょっと楽しみにしながら会場に向かった。
課全体で3人しか入らなかったため、各チームが合同で行う。
つまりは課での歓迎会。
私たち3人が改めて紹介された。
今日は注目されるのを覚悟してきたから、新人らしく萌黄色のスーツを着てきた。
私たちは立ったままで乾杯の音頭が取られた。
グラスのビールを一口だけのみ、こぼれない様に気をつけながら頭を下げた。
すぐに着席して目の前のビール瓶を持つと、課長のところまで行った。
「本日はありがとうございました。
不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
そう一言言ってビール瓶を差し出す。
半分ほどになったグラスを向けられて、
それに泡がこぼれないくらいにビールを注ぐ。
「まあ、最初はきついだろうががんばりなさい。」
「ありがとうございます。」
後ろには他の人も待っていたから、早々にそこを退く。
課長補佐、係長、他チームの主任2人。
それぞれにお酌をして、挨拶をする。



みれば、後藤さんはもう自席に座って、男性社員からのお酌を受けていた。
彼女は重役の姪とかで、それなりにお嬢様らしい。
他の課じゃお荷物になる社員は総務で引き受けているのだと、
京子さんが教えてくれた。
早く結婚して退社してくれるのを待つのだとか・・・・。
それで、逆玉の輿を狙う男性社員がちやほやするんだ。
彼女もまんざらじゃない顔をして、話を聞いている。
きっと学生時代もそうやって過ごして来たんだろうなぁと思わせる。
やっとで自分のチームのテーブルまで戻ってきた。
新人と言うことで主任の隣の席だ。
主任を挟んで向こう側に後藤さんが居る。
「遅くなりました。
どうぞ、注がせてください。」
そう言ってビール瓶を差し出す。
主任は「ご苦労様だったね。
僕のことは気にしなくてもいいから。」
そう笑顔を見せて、グラスを差し出してくれた。
もう主任は結構飲んでいるんだろう。
グラスに注げるビールは少なかった。
「何も食べてないんだろ。
少しでもいいから、お腹に入れときなさい。」
大皿の様子を見回して、残っているものがある皿を引き寄せてくれた。
「ありがとうございます。」
そう礼を言い、割り箸を持って幾つか取り分ける。
正直お腹はすき過ぎて感覚が怪しい。
食べてもどこに入ったか分からないだろう。
それでも主任の好意を無にしないように、箸を動かした。



「佐々木さんは、覚えが早くて助かるよ。
前島さんもいい後輩を持ったと言ってたよ。」
主任のそんな言葉に、うれしくて少し頬が熱くなる。
好きな人から褒められると、こんなにうれしいとは思わなかった。
「ありがとうございます。光栄です。」軽く会釈をして、礼を口にした。
「新卒だけど、派遣社員か途中入社のように感じるときがあるよ。
何かやったことがあるのかな?」
「あっ、はい。
バイトで少しだけ。
それで興味を持って、資格とか取ったりしました。」
「あぁ、やっぱりな。
即戦力になって助かるよ。
まあ無理しない程度に、でもミスに気をつけてがんばって。」
「はい、がんばります。」
そんな会話を繰り広げて、少しだけ主任と話ができた。
まずは、可愛い部下として認知してもらえるようにがんばろう。



ふと見上げた視線の先で、京子さんと目があった。
お皿の陰で、親指を立ててにっこりと笑っている。
私も頷いて笑顔になった。





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2006.03.01up