正しい彼の落とし方 その1




入社してから新人ばかりを集めて基本研修があった。
それも約1ヶ月。
面白くもないおじ様やおば様の肩のこる話や、
模擬実践と言う名のシュミレーション対応を何度も練習した。
ゴールデンウィークを前にようやくそれが終わった。
この間まで学生してて、お客様とのふれあいのないバイトしかしていないと、
この研修でやったことはとっても新鮮な体験だったかもしれない。
けれど、私は大学在学中から夜間の秘書養成コースに通い、
長期の休みのバイトは派遣で秘書の秘書みたいなことをしていたせいか、
とっても今更なことばかりだった。
それでも、慣れた風な態度では生意気だと思われる。
新人に求めるもののひとつに、初々しさってものがあるんだよね。
だから、失敗のないように真剣にやっていますという感じで、1か月を乗り切った。
希望はもちろん総務課か秘書課。
間違っても受付じゃない。



受付って言うと、会社の花みたいに言われて女子学生人気が高いけれど、
実は社員寿命は結構短い部署だったりする。
顔とスタイルがよくって笑顔さえ可愛ければいいのだ。
それに若くないと駄目。
受付嬢には技術やスキルは求められていない。
花として会社に飾られていればいいという、
そんな会社の思惑があると思う。
男性社員だってそんな綺麗な花に惑わされてしまうから、
結婚率が一番高い女子社員の部署ナンバーワンだろう。
だから、私はできれば受付じゃない部署が希望。
本当にできる男は、受付嬢じゃなくて仕事もできてスキルもある女の方を
選ぶと思っているから。
そうじゃなくても、いい男をゲットするためには、まず自分がいい女になること。
これに尽きると私は思う。
そう思えばお稽古事も資格取得もそれほど苦痛じゃなかったから不思議だ。



よく恋人にしたい女と妻にしたい女では種類が違うという話を聞く。
それほど全てを持った女は居ないということだ。
また、裏を返せば、求めるものが違うということになる。
だけど、資格をたくさん持っていても、お免状をたくさん持っていても、
それをひけらかしていかにも出来る女をやってしまうと、絶対に売れ残る。
さすがにそれはごめんだ。
さりげなくアピールしつつ、奥ゆかしくなくてはならない。
男のエゴだろうと、なんだろうと、そういう女が求められているからしょうがない。
ちょっとだけ馬鹿な振りして、しっかりと計算づく。
にっこり笑顔をしてる裏で、あかんベーをする。
そんな狡さと賢さがなければ駄目だなって思っている。



で、研修が終わって辞令が下りた。
希望通りに総務課に配属。
心の中ではガッツポーズをしているけれど、そんなことおくびにも出さない。
「大丈夫かな。」
なんて、周りの意見と同調しておく。
今年度の新人で総務課に配属になったのは、私の他に2人。
1人は男で、もう1人は女で、後藤里美さん。
後藤さんは、賢そうな振りをしているけれど、かなり言動が怪しい。
かなり強力なコネがあると聞いている。
つまり、裏口入社ってことだ。
だからだろうか、研修中もかなり目立っていた。
会社の人もちょっと注意を払っていると言った感じに見えた。



課長に連れられて課へと来て挨拶をした。
ぐるっと見回すと何人かとっても素敵な感じの男の人が居る。
結構楽しそうな職場かも。
心と目に潤いがない職場っていやだもんね。
新人だからそれぞれに先輩が教育係としてついてくれる。
私には前島京子さんという先輩が担当として付くとのこと。
私と同じタイプの女の匂いがする人だ。
この人も味方に付ければ心強いが、敵には回したくない人。
案の定、席についてすぐに「子猫ちゃんの振りしているのはいいけれど、
私の前では必要ないからね。
女同士、タッグを組みましょ。」と、にやりと笑顔付きで言われてしまった。
「お手柔らかにお願いします。」と、頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくね。
できる人が来てくれてうれしいわ。
ここの課ってもう一人の子みたいなコネ入社で、
仕事は全然駄目だけど恋とおしゃれだけは一人前って子がよく来るのよ。
まあ、他の課へまわすわけにも行かないんだろうけど。
どうせ、腰掛けだしね。
できる子がなかなか入って来ないから、期待してるわよ。」
「ありがとうございます。
がんばります。」
「これからかなり話もするんだし、私のことは京子と名前で呼んでね。
佐々木さんはちゃんだったわよね。
じゃ、そのままちゃんで決定と言うことで。
私たちの主任は今出ているから、帰社したら紹介するわね。」
「はい、京子さんお願いします。」
とりあえずは敵意は感じなかった。
ここでこの人にいじめられた日にゃ、毎日地獄だ。
課長や係長なんかに気に入られなくてもいいが、
京子さんだけは死守しなければならない。
そう思っていたから、ものすごく安心した。



その後、給湯室とか会議室とか、案内してもらい。
その使い方やその他諸々を教えてもらった。
総務課は、会社の雑用課だ。
単調に同じ仕事ばかりじゃないというのも、私にはあっていると思う。
給湯室や会議室を使っての会議や商談の準備も、
色々と面白い話が聞けそうで、楽しみだと思った。
机に戻ってパソコンを立ち上げ中身のフォルダーを確認し、
設定を私の名前に変更したり、今までの使用者の癖なんかを調べたりした。
向かいに座った後藤さんは、キョロキョロしてたと思うと
こっちへと身体を乗り出して小声で話しかけてきた。
「佐々木さん、何してるの?」
「あっ、うん。
パソコンの設定とか調べてる。
前の人のファイルとか残ってそうだし。
個人的ファイルなんかあれば、削除しておかないと・・・ね。
使える雛形なんかあれば確認しておきたいと思って。」
「ふーん。
パソコン結構できるの?」
「まあ、人並みには。
だって大学の卒業論文、CD-ROMで提出だったし。」
「いいなぁ。
私、友達に打ち込みやってもらった口だから、分かんなくて・・・。」
きっと、貴女の笑顔に悩殺された男子学生なんでしょう?
と、心では思ったけれど、口にはしなかった。
「そうなんだ。
んー私もそんなに詳しくなくて・・・・ごめんね。
だれか、男の人の方が詳しくてうまく教えてもらえるんじゃないのかな?」
「うん、そうだね。
ありがとう、聞いてみる。」
後藤さんがパソコンの陰に隠れて見えなくなって、私は小さく安堵の息を吐いた。
『お見事。』
隣の京子さんからメールで賛辞が送られてきた。
『ありがとうございます。』と、私も返信しておく。
見れば、後藤さんはさっきから目をつけていたんだろう、
いかにも格好のいい男性社員に声をかけて、話を聞いている。
これからも彼女には要注意だな。
頭の中のブラックリストに彼女の名前を連ねておいた。



一人のスーツ姿の男の人が総務課に入ってきた。
横顔と背中は、結構好みのタイプだ。
ゼロハリバートンのアタッシュケースを持ってきまっている。
ホワイトボードの前に立ち、自分の予定を書き込んでいるみたいだ。
と言うことは、この課の人。
京子さんが「あぁ、主任が帰ってきたわね。
じゃ、紹介しましょうか。
こっち来てくれる。」
席を立って歩いていく。
「はい。」返事をしてその後ろを付いていくことにする。
もし、運命の出会いがあるとするならば、
私はこの人との出会いだと思いたいと、人生で初めて願った。
それほど、彼、主任の沢口孝弘(たかひろ)さんは、私の好みだった。
幼い頃から母は私にこう言っていた。
、いい加減な気持ちで恋をしちゃ駄目。
いい加減な気持ちからは、いい加減な愛しか生まれない。』って。
だから、とりあえずとか、お試しとか、軽い気持ちでとか、
そういう気持ちで付き合うのは、いい恋愛ができないと思っていた。
いつも恋には真剣に向かう。
それが私のモットー。
経験が無いわけじゃないけれど、私から動いたことは無かった。
初めて、この人と付き合いたいと思うような人と出会った。
文字通り、私にも春が来たみたい。





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2006.02.22up