アールグレイな午後
大学に入学して半年。
ようやくキャンパスにも慣れて友達も出来て、なんとか4年間やって行けそうな気がしてきた。
サークルは高校の時にやっていたからという理由で、テニス同好会。
テニス部っていうところもあったけれど、私は本格派ではないし・・・。
それなりに楽しくテニスが出来るから、まあいいんじゃないかと思ってる。
部室にはちゃんと学年別に名簿が壁に貼ってある。
出来るだけ早く顔と名前をおぼえようとがんばる日々。
しばらく立って気づいた事は、顔も見たことの無い人の名前があることだ。
よほどの幽霊部員なのだろうか。
ほぼ全員参加の夏休み前のコンパにも現れなかったから、それからずっと気になっている。
2年の先輩に尋ねたら、なぜか敬語で「気が向けば出席されるよ」って教えてくれた。
それは尋ねた人全員の反応。先輩であるはずの4年生も、だ。
ますます謎の人だ。
私はその人に会うことを楽しみに、出来るだけサークルの日には出席するようにした。
そんなある日。
部室に入ると、そこにすごく場違いな格好をした人が居た。
どっかのモデルかと思うほど背が高くて格好がよくて、顔もいい。
世の中にはこんないい男もいるんだと、なぜか感心してしまった。
それほどに、素敵な人。
着てるものだって、なんだか高そうだ。男の人のブランドなんて知らないけれど、ドラマで俳優さんが着ているような服。
でも、だからこそ、この人は私とは違う世界の人。
何故だかそんな判断を下してしまった。
私とはつりあわない人と。
それは、テレビのブラウン管の中のアイドルや俳優に憧れる気持ちと似ている。
素敵だと、格好いいと思っても、現実には自分と結び付けようとは思わない。
あの人が名簿で気がかりだった人なんだと、後で先輩から話を聞いた。
自分の中で納得できてしまったからだろう、
その3年生の先輩に対する興味は、私の中で急速に冷えて行った。
ちょうど前期のテストがあってしばらくサークルには顔を出せなかった。
毎日、レポートやテスト勉強に追われて、あの3年生の先輩の事も
思い出すこともなかった。
テストも無事済んだある日。
部長に呼ばれてサークルに出た私は、その場で両脇から女性の先輩に腕をガシッとおさえられた。
「えっ、なんですか?」
「いいからこっちに来て。
お話があるんですって。」
引きずられるように連れて行かれるのを止めてもらおうと、その場にいる男性部員や女性部員に助けを求めた。
「あの・・・」
「あぁ、もう、あきらめて行きな。
このサークルにいるやつに助けを求めたって無駄だから。」
手をシッシッと振りながらサークルの部長がそうつぶやく。
他の人たちも同意して頷いているのを見て、私はもう観念するしかないと思った。
暗い気分になった私に片方の腕を持った先輩が、「大丈夫、何も怖いことも痛い事もしないから安心して。
そんなことする人が居たらあの方が承知しないと思うし・・・。」
あの方、という言葉使いに、これから連れて行かれる所で、誰かに会わせられるのだと分かる。
しかも、サークル中のメンバーを意のままに扱うことが出来て、逆らえない人みたいだ。
私を呼んでいる人が誰だか知らないけれど、今更サークルを抜けるのも嫌だから大人しく従った。
何か言われるにしても、私には心当たりもない。
コートサイドの観戦席に、誰かを中心に男女数名の人だかりがある。
その下のコートサイドまで連れられて来ると、両脇の女性2人はすっと離れた。
私に背を向けていた数人が私に気づいて、真ん中から割れるように引き下がった。
まるで、裁判所の法廷に引き出された囚人のようだ。
私の目の前に裁判官のように座っている人たちの中心にいる人を見た。
その人は先日部室で見た、モデル並みの容姿を持った例の男の人だった。
見下ろしてくる複数の視線に、なんだか腹が立つ。
「何か御用とのことですが、何ですか?」
にらむつもりはないけれど、力を入れてみないと負けそうだ。
その人がゆっくりと立ちあがり、観戦席から乗り出すようにして私の前に顔を近づけた。
「あぁ、やっぱりだ。
顔だけじゃなくて性格まで俺好みたいだな。
まずいな、惚れたんじゃなくて、溺れてしまいそうだ。」
にやりと笑うと、右手を顔位まで上げて2度ほど振った。
「後でちゃんと紹介するから、今は引いてくれ。」
それを合図に私達のまわり居た人たちが、観戦席やコートサイドから立ち去っていく。
その後姿を見送って、その先輩は観戦席からコートサイドの私のそばにふわりと飛び降りてストンと着地した。
「こっち。」
そう言ってさっさとすぐそばにあるベンチに座る。
ここに突っ立っていてもどうしようもないと思ったから、その言葉に従って私もベンチに座った。
けれど、先輩からはきっちりと間を空けた。
少なくても妙な動きをされたら飛びのけるだけの間はあるように。
それに、身体の大きな人だから全体を見るためには、離れていた方が都合がいい。
「で、御用は?」黙っている先輩に、もう一度尋ねた。
「あぁ、俺のこと覚えてる?」
「えぇ、まあ。テスト前に部室にいらしてた方ですよね。
私、1年なので全員はまだ覚えてないんです。なので、お名前はちょっと・・・。」
「それはいいよ。ほとんど幽霊だし。そうか、覚えてたか。」
「はい、とても印象的でしたから。」
そこで一旦、沈黙したその人は、大きく息を吸って一気に吐いた。
「それは俺も一緒だ。
あの後、部長に名前とかを聞いたから、俺のほうが早くに知ってるだけだ。
で、だ、酒井可奈(さかいかな)、今日から俺の彼女になれよ。」
見かけによらず結構いい人かもなんて考えていた私は、彼の唐突な告白に一瞬頭の中が真っ白になった。
「はっ?すいません、もう1回言ってもらえます?」
「だから、俺の彼女になれって言ってんだよ。
って言うか、そう決めたから。後であいつらにも紹介してやる。」
「待って、待って下さい。
付き合うって事は、私の意思も必要だと思うんです。
今日で2回しか会ったことのない人といきなり付き合うなんて出来ません。
それも、こんなちょっとだけで、それに貴方の事・・・・」
「上松銀平(うえまつぎんぺい)。」
「では、せめて上松さんの事を知ってからお返事させてください。
そうでなきゃ、今ここでお断りします。」
なんだか予想のつかない展開に、とにかく時間を稼ごうと思った。
彼にしてみたら、見てるだけなんだろうけれど、いい男にじっと見られているというのは、居心地が悪い。
「っち、仕方がねぇな。
じゃ、ちょっとだけだからな。」
痺れを切らせたように舌打ちをして、上松さんが立ち上がった。
ゆっくりと歩いてコートから部室の方へと向かう。
私も何時までもここに居るのも変だと思い、その数歩後ろから同様に歩いた。
「あぁ、それから上松って堅苦しいから銀平って呼んで。
その方が、俺のこと親しみやすいと思うし。
俺の事を知ってもらうのに、ただ待ってるって言うのも性に合わねぇから、こっちもそれなりに動くから、よろしく。」
そんな勝手な事を言われて、何て返事をしたらいいのか迷っているうちに、部室へと戻ってきてしまった。
「どうでした?」
入ってすぐに誰かが銀平さんに尋ねた。
「俺の事を知ってからって事になった。」
彼の言葉にその場が固まったのが分かる。
そしてみんなの視線がいっせいに私へと向けられた。
「何で断るの?」
「すぐにOKした方がいいよ。」
「絶対損しないから・・・。」口々に私を責める言葉が放たれる。
「お前ら、そんな事言ったら可奈が怖がって、断るかも知れねぇじゃねぇか。
せっかく俺の事を知ろうとしてんだ。
邪魔するな。
可奈へプレッシャーかけるなよ。
俺が振られたら、お前らのせいだからな。」
戸口に立っている私に背中を向け庇うように前に立つと、銀平さんは取り巻きの人たちをけん制してくれた。
そこに置いていた私のバックを取ってくれると、銀平さんは私に渡してくれた。
「わりぃな、みんないい奴なんだけど・・・。」
「いいえ、上松さんって皆さんに慕われているんですね。
これで1つ、上松さんの良い所を知りました。」
「上松じゃなくて、銀平って呼んでくれよ。
言っただろ?」
「あっ、そうでした。
じゃ、銀平さん、また。」
銀平さんの向こうに見える皆さんにも軽く会釈をし、目の前の銀平さんには数回手を振ってそこを後にした。
女子高出身の私には、恋人はいなかったけれど、それでも他校の男子生徒に憧れた経験は持っていた。
それが恋と言うのなら、恋したことはある。
片思いだけれど・・・。
けれども、こんな身近で触ろうと思えば触れられる恋は、初めてだ。
だから、とっても驚いた。
3年生という以外には、銀平さんのことは何も知らない。
男の人の情報にはことさら疎い自覚があるから、銀平さんについてクラスの友達に聞いてみよう。
そんな事を思いながら、家路を辿った。
翌日、クラスへ出ると仲良しの2人が駆け寄ってきた。
「ねぇ、可奈。
あの上松さんと付き合うことになったって本当?」
「どうしてそれを?」
「えっ、本当なの?凄いじゃない、あの上松さんだよ。
あんなセレブな人と付き合おうとするなんて、可奈って意外と大胆なんだね。
いやぁ、もう、学食と言わず、構内じゃこの話でもちきりだよ。」
凄い凄いと頷く2人。
「違うの、申し込まれただけで、まだ付き合ってはいないんだけど。
お互いをもう少し知ってから・・・って事になってる。」
急いで本当の事を言ってみたけれど、なんだか聞いてもらえない感じだ。
「あぁ、そうなんだ。」
「それでも、申し込まれただけで凄いよ。
上松さんって、自分から女の子に声なんかかけないので有名だし、特定の彼女なんて作らないって聞いてるもん。
それに、財閥の御曹司でもう実務もこなしてるんだって。」
尋ねなくても2人が代わる代わるに彼の事を話してくれる。
私はそれを頷いて聞いていればよかった。
だけど、聞けば聞くほど、私にはつりあわない人だと思う。
どうしよう。
やっぱり、断った方がいいのではないだろうか。
そう考えた。
それからは毎日、講義が終わった頃に銀平さんは私の前に現れた。
私の講義の予定を調べる事なんて、彼にはきっと造作もないことなのだろう。
そして、連行されるように移動して2人でお茶をする。
知り合うためには、一緒にいなきゃ始まらないという理屈の元に。
彼の取り巻きの人たちは、同じ店に入っても同席しようとはしない。
見守られているような、観察されているような、おかしな気分。
でも、銀平さんはちっとも気にしていないみたい。
それでも、私が落ち着かないのを気遣ってくれて、取り巻きの皆さんを追い払ったり巻いてくれたり・・・。
あの不遜な態度の裏には、とても優しい一面があると気がついた。
それに、意外と紳士的。
手にも触れようとしないのには、ちょっと驚いた。
洋服についたゴミを取るとか、物を渡す時に指先が触れるのにも、私に心構えが出来るようにと一言ある。
あれ以来、その気持ちを言葉にする事はなくても、私を好きな気持ちは、よく伝わってくる。
暖かで優しい気持ちになる。
最初は断ることしか考えてなかった。
毎日のお茶もどうやって逃げるかに、思いをめぐらせた。
でも、銀平さんと会って話すうちに、段々彼に惹かれている自分を感じる。
彼の気持ちを受け入れたいと思っている自分がいる。
けれど、私からそれを言うのは、言葉が喉に引っ掛かってしまう。
引っ掛かったそれを、紅茶で胸に流し込んでしまう毎日。
そう、もし今度銀平さんが、もう一度『俺の彼女になれ。』って言ってくれたら、そのときは勇気を出して『はい。』って言おう。
そんな事をこっそり決心した私。
それなのに、銀平さんったら『返事はまだか?』とも尋ねてくれない。
もういつでも、言葉が出せるように何度も練習したのに・・・。
こっちの気も知らないで、今日も一緒にお茶をする私達。
ねぇ、何時お返事したら言いの?
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2006.11.20up
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