No.97 アスファルト





ずっと放されない手が気になって八戒を見られない。

何かを見るために顔や目線を上げても 彼の肩以上に上げなくても事足りる。

せっかく2人で居ると言うのに、なんだか勿体無いような気さえする。

お願いしても申し込んでも振られる子ばっかりだと言う相手との

たった1度だけかも知れないデートなのに、

は塗装された黒い地面を見ながらそんな事を考えていた。

「さて、まず何処へ行きましょうか。」

頭上から楽しげな八戒の声が聞こえる。

さんは、ご希望ありますか?」

此方がお礼として付いて来ているのだから、

自分の好きな所へ行けば良いというのに気遣ってくれる。

何か話してそれに答えたいと言う思いはあるのに、今のにはそんな余裕が無くて

首を横に振って「何処でもいいです。」と、答えるのがやっとだった。

「じゃ、忘れないうちに本屋へ行って見ませんか?」

八戒がもう一度尋ねてくれた言葉に、今度は首を縦に振って答えた。

クスッと笑われたような気がして、もっと上を向けなくなってしまう。





ここは大きな書店なので常に人が溢れているが、今日もご多分に漏れずそうだった。

八戒は目的の書籍の売り場に向かうと、山積みの中から1冊手にして中身をパラパラと見た。

それを小脇に抱えると、他の本の山も物色している。

も横で興味を引かれた本を手に取った。

面白い本と言うのは えてしてすぐにその世界へと引き込まれて読んでしまう。

つい回りを忘れて、夢中になること数ページ。

その本を買うことにして、顔を上げると横に居たはずの八戒の姿のないことに気付いた。

「あれっ、八戒さん?」

先日、廊下でぶつかった時にも本を読みながら歩いていての事だったし、

その時に『悟浄によく危ないって言われるんですが、・・・』と言っていた程なのだから、

本に夢中のあまり自分の事を忘れてしまったのだろうと、は思った。

人ごみの中に八戒の姿を探して、辺りを見回してみた。

それらしき後姿を、少し向こうの書棚の前に認めるとはそこへと移動した。




人ごみの中を縫うように歩いて目的の人物のすぐ傍まで来た。

「八戒さん。」と、その後姿に声をかけた。

手にした本に夢中なのかの声が聞こえなかったのか、八戒は振り向かない。

でも 会計は少し離れた所にある。

そこへ行くのなら伝えておかないとお互いを見失う事になるとは考えた。

今度はもう少し多いな声で呼んでみた。

「八戒さん?」

何事かと振り返った件の男性は、を見て首をかしげた。

視線が合って初めてその人が八戒ではないとは知った。

「ごっ・・・ごめんなさい。人違いでした。」

慌てて謝罪の言葉をその人に言うと、は恥しさのあまり人の少ない方へとフロアを移動した。

高鳴る胸に右手を当てて、少し大きめに息をして落ち着こうとする。

ようやく息も胸の鼓動も落ち着いてきた。

当初の目的の八戒を探すのに戻ろうと振り返った途端、今度は誰かにぶつかった。




「痛っ。」

額がぶつかった所を見ると、今度の相手も男性だ。

まったくついていない・・・・と、額を押さえながらは心の中で愚痴った。

「すいませんさん、大丈夫でしたか?」

その声に顔を上げて相手を見れば、探していた本人だった。

「何処に行くのかと追いかけてきたんですよ。お知り合いでもいましたか?」と、

のん気そうに尋ねて来る。

「だって、本を買うのにレジまで移動しなきゃいけないでしょ?

それなのに八戒さんったら居なくなっちゃうんですもん。探していたんです。」

先ほどの人間違いと今の接触で、恥しいやら痛いやらと少々混乱気味のは、

半ばやけくそ気味に八戒に八つ当たりした。

「えっ? 僕、さんとは背中合わせに立ってましたよ。

だから さんが移動したのにも気付いたんですが・・・・。

・・・・そうでしたか、すいません。

じゃ、これからは僕が何処に居るか分かるようにこうしておいて下さい。

これなら 僕も安心ですしね。」

そう、やけに嬉しそうな笑顔で言うと、八戒はの腕を取って自分の腕に絡めた。

2人はそのまま腕を組んで会計までのフロアを歩いた。





これでは街中でよく見かけるラブラブカップルのようだ。

少しでも手を抜こうとすれば、もう片方の手で『抜かないで』とでも言うように押さえられる。

それが力ずくではなくて、本当にふんわりと優しくなのだから 始末に悪い。

八戒が力で押してくるのなら、此方も力いっぱいで向かっていけるし抵抗できる。

ところがそうではないのだから、どういう抵抗をすればいいのか戸惑ってしまう。

『柔能く剛を制す』とはよく言ったものだと、は思った。

書店を出て歩行者天国を2人でそぞろ歩く。

この人は、いつも同伴した女性をこうして扱っているのだろうか?

ふとそんな事が頭の隅に疑問として湧き上がる。

構内でも評判のもてる男なのだ。

自らが努力しなくてもきっと選り取り見取りに選び放題なのだろうが、

選んだ女性に対してこんな風にして親しくなるのなら、

選ばれた女性もきっと幸せだろうなと、

は再び塗装された黒い地面を見ながらそんな事を考えていた。

今日はいつになく下を向いて歩く日だ。




八戒に選ばれる女性がうらやましいと言う想いが、自分の胸に渦巻いているのを自覚した。

これが『嫉妬』と言う名の感情だということは、知っている。

自分の想いを確認するべく顔をあげて八戒の顔を見た。

恋に落ちてしまった・・・・・それもなんて厄介な人に。

許されるならば、この場でうずくまって頭を抱えてしまいたい。

それか エスコートされているこの腕を振り切って、逃げ出してしまいたい・・・とは思った。

視線に気が付いて八戒がを見下ろした。

さん、どうかしましたか?」

あまりこちらを見なかったが、顔を上げて自分を見ていることに首をかしげて八戒は尋ねた。

「人ごみに疲れちゃいました?

少し早いですがそろそろ何処かでお昼を取りましょう。

え〜っと、さんはオムライスとかお好きなんですよね。」

そう言って八戒は、「僕いいところ知っているんで、そこに行きましょう。」と、歩く方向を定めた。




確かにはオムライスとかの所謂お子様向け洋食が好きだ。

その店にオムライスがあれば必ず注文をする。

でもそれは親しい人たちと一緒の時だけで、子供っぽいと取られがちの好みは

出来るだけ悟られないように気をつけている。

それを当然のことのように受け止めて話している八戒に、今度はの方が首をかしげた。

不意に足運びが悪くなったに引っ張られるようにして、八戒の足もゆっくりになる。

「どうしました? 気分が悪いのなら休みますか?」

歩行者天国の路上には、所々にビーチパラソルとベンチの

簡易休憩所のようなところが設けてある。

一番近くのそこを顔で示して、八戒はをそこまで連れて行った。

ベンチに座ったは、隣の八戒に訪ねた。

「どうして、私がオムライスが好きなのを知っているんですか?」

不安げに見上げる可愛い顔に、八戒の目尻が下がる。

「あぁ、そんな事ですか。

さんは知らないでしょうが、僕は意外と貴女の事には詳しいですよ。

会えることは少ないんですが、見かければ気をつけて見るようにしてますからね。

さんがオムライスばかりじゃなくて、

目玉焼きが乗ったハンバーグやフルーツカレーが好きな事も知ってます。」

そう言って八戒は、離していた手を再び握った。




「どうして・・・・そんな風に見ているんですか?

私が何かおかしいんですか? それとも・・・・」

視線を外して、は少し責めるような口調で八戒に尋ねる。

「分りませんか?

結構分りやすくしてみたんですけど、さんには通用しませんでしたか・・・・。」

八戒が肩を落としてガッカリしたようだったが、

すぐに気を取り直して片方で握っていた手を両手で包むように持ち直した。

「じゃあ、ここではっきりさせましょう。

さんは気になる男性がいたとしたらどうします?

僕は、まずその女性を見かける度に目で追います。

それから 彼女が好きなものがあると聞けばそれを覚えますし、

出会うきっかけはないかとチャンスを探します。

彼女が使う学食や売店を僕も使い、通る確率の高い廊下を遠回りしてでも通ったりして

彼女を見るチャンスと僕が見られる機会を増やします。

それこそ 廊下でぶつかったり、話が出来るような事があればそれを逃したりしません。

そして チャンスがあればデートに誘います。」

握られている手を放して貰おうにも力を込められてしまっては、それも叶わない。

翡翠の瞳は真摯な色をして自分を見つめている。

今 八戒が話したことは、何処かで思い当たるような事ばかりだ。

少しばかり気の早い5月の夏日の暑さにやられたのか、

はなんだか頭がクラクラするような気がした。





黙ったまま固まっているの様子に、八戒はフッと息を吐き出すと笑顔になった。








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27万打記念夢