NO.47 ジャックナイフ 前編

(NO.91 サイレンが後編 八戒視点ドリーム)





夜も深夜と呼べる時間になると、閑静なと言われる住宅街は本当に静かになる。

それで無くとも広い敷地を有するこの邸宅は、

とても静かな環境を僕に与えてくれている。

ゲストハウスとして使われていたこの建物を、

僕の書斎兼書庫として作り変えてくれた折には、

机を配したこの部屋には防音設備も施してある。

昼間でも深夜のごとき静けさだ。

僕は、仕事を昼間する事にしている。

それもサラリーマンのようにこの部屋に通っている。

その習慣はが僕の家のハウスキーパーに来る前からだったが、

今のように徹底していた訳ではなかった。

彼女が僕の手元に来てくれてからは、それこそ判で押したように

定時から定時までのサラリーマン作家になっている。

それはひとえにとの時間を大事にしたいと言う僕の想いからだった。

あれから色々な事が僕たちの間に起きて、

僕とが夫婦としてこのお玉さんの家に同居を

するようになってからも僕のこの仕事スタイルは変わらない。




だが、ここの所 僕は大変忙しかった。

僕の書いた本を映画化したいと言う監督がいて、その話を受ける事にしたためだ。

昼間はマスコミの取材やその関係者との対談やTV出演などに時間を取られ、

だからと言って三蔵が〆切を待ってくれるはずも無く 

仕方なく夜に書かなければならない日が続いていた。

この家にはハウスキーパーがちゃんと居るので、

はそんな事をする必要はないのだけれど、

彼女は 僕の夜食や飲み物などの世話は 必ず自らの手でしてくれていた。

いつも優しい笑顔を絶やさずに僕の周りを甲斐甲斐しく整えてくれる愛しい妻だ。

どんなに遅くなっても 必ず起きて待っていてくれる。

そんなを僕はそのまま素直に寝かしてやる事も出来ず、つい彼女を求めてしまう。

が朝早いと知っていてなのだから始末に悪い。

男の僕よりもか弱く細い身体をしているのだから、

庇ってあげなくてはならないと言うのに・・・・。

彼女の事となると どうしてこうも見境が無くなるのだろう。

まったく バカみたいに好きなのだからしょうがない。

いや もう好きだなんて生易しいものではない。

文字を書いてお金を頂いていると言うのに、適当な言葉が見つからない。

を前にすると、僕は ただの情けない男になる。





液晶の画面に向かう僕の背に、優しいノックの音が聞こえてきた。

「八戒さん、少し休憩しませんか?」

そう言いながら僕があまり根を詰めないように、は時折気遣うようにここへ来てくれる。

振り向いた僕に、笑顔をそえて僕の好みに淹れられたコーヒーを差し出してくれる。

蛍光灯の光は青く見せるとは言え 今夜のの顔色は僕の目にも良いとは見えなかった。

、疲れているんじゃないですか?

すいません、僕のせいですよね。

毎晩 遅くまで仕事をする僕に付き合った上に、

をゆっくり寝かさないなんて僕は酷い夫です。

今夜は待っていなくてもいいですから、もう休んで下さい。

僕ももうすぐ切り上げて休む事にします。」

今まで何度も言って来た言葉をまた口にして、を先に休ませようと思った。

それでも彼女が、本当にそうした事がないと知っているので、

今夜はもう仕事を切り上げようと考えていた。

僕に向けてくれる笑顔も今夜はやけに危ういような気がして、

を仕事部屋から早々に追いやって、仕事にキリをつけるべく液晶へと視線を戻した。

何とか原稿を渡せる所までは書き進めてある。

明日、三蔵に電話されても取りに来てくれるように言えるだろう。

少し読み直して、手直しすれば良いだけだ。




それから 1時間ほどして何とか仕事にキリを着けた僕は、

ゲストハウスから廊下伝いに母屋に戻ると

新婚夫婦にとあてがわれている2階への階段を上がった。

光度を最低限に落としてある廊下にドアの下の隙間から部屋の光が漏れている。

「しょうがありませんねぇ。」つい独り言が口から漏れた。

そんな事を口では言っても が僕の帰りを待っている事は承知しているし、

だからこそ こうして早く来ようとがんばったのだと、僕は自己満足に浸った。

。」

ドアを開けて 部屋の中に入ると同時に愛しい妻の名を口にした。

返事が無いので、隣室のドアを開けてみた。

電気も点いていないし ベッドの上には誰も休んでいない事はドアの所からでも分る。

トイレかシャワーだろうか・・・そんな事を考えて、

寝室のドアとは反対方向のドアへ行こうと部屋を横切ろうとして、

ソファの影に何かがあるのを目の端に捉えた。

フローリングの床に動く様子も無く横たわっているのは、

探していた妻の姿だった。

なんて言ったらいいんだろう・・・・そう 

まるで身体中の血が凍りついたように流れを止めたような感じだ。

すばらしく切れ味の良い刃物で あまりにも早く切られると 

痛覚さえ感じないというが、今の僕はそんな状態とでも言えばいいだろうか。

「Jack The Ripper」にでも切られたら 

こういう感じかもしれないなどと、頭の隅で思った。

の髪が床に広がっていて 艶やかに光っている。





壁に掛けている時計が、時報を鳴らした。

光度に反応して音が鳴る様にしてあるので、

こんな時間でも灯りが点いていれば時を告げる。

その音に僕の意識が戻ってきた。

。」

近寄って名を呼んでみたが、は何の反応も返さなかった。

首筋に指先を当てて脈を取る、これと言った脈の乱れは無く

正確に彼女の生を刻んでいた。

息もこれと言って荒い事もない。

ただ眠っているのだと分った。

だが、瞼を閉じている目の下の隈はの年齢を思うと、酷く濃いような気がした。

いつも柔らかな笑みで彩られている顔も何処か苦しそうな表情のような気がして、

どうすればいいのかと途方に暮れそうになった。

とにかくこのままではが風邪を引いてしまう。

彼女の脇下と膝裏に腕を差し入れて抱き上げた。

僕が予想していたよりもの身体は軽かった。

暫くこんな風には抱き上げていなかったからか、

抱き心地が少し骨ばっているような気さえする。

痩せたのだろうか?





を寝室のベッドまで運び、何とか片足で上掛けをずらすと シーツの上に静かに横たえた。

額に手を当てて熱が無いか診てみる。

これと言って熱くなかった事に安堵の息が出た。

「このままじゃ 寝苦しいですね。

とにかく着替えさせないと・・・・。」

が気を失って倒れるほど疲れているなんて気付かなかったのは、

夫としていかがなものかと思いつつ普段は決してやらせてはくれない事を、

こうも公然と出来ると思うとそちらの方に喜びを感じるなんて、

「僕も相当やにさがってますね。」と、顔がにやけてしまう。

彼女のパジャマを枕の横に置くと、ブラウスのボタンに手を掛けた。

いつも恥しがって 灯りのあるところではその柔肌をさらさないので、

見る事が出来ないのに本人のためと言い訳をしつつ世話を焼けるのは、

僕としては嬉しい。

胸元を広げ袖から腕を抜いて身体の下から除いてやった。

キャミソールとブラジャーのラインギリギリの所に、僕が昨夜着けた痕が見える。

自分で着けたものと知っているのに、なんだか煽られるような気さえする。

「病人に邪な気持ちを持っちゃ駄目です。」

つい自分で自分を戒めなければならない。




何とか着替えさせる事には成功した。

着替え自体は難しい事ではなかった。

何事もなく無事に着替えが終わるためには、

僕の理性を総動員しなければならなかった。

それに、成功したと言っても過言ではない。

身体を締め付けていた衣類から解放されたからか、

の顔に幾分赤みが戻って来ている様に見える。

「元気になるまでは、禁欲しないといけません・・・・よね?

耐えられるでしょうか?」

自分も夜着に着替えながら、難題に頭を抱えたくなる。

いつもの仕事のペースにさえ戻れば、にも無理をさせるような事は無くなる。

映画が公開されるのはこの週末だ。

それさえ済めば元の静かな生活に落ち着くはずだから、

僕の禁欲生活は1週間程度のはずだと、自分で自分に枷をかける。




と結婚するまでは、そりゃ彼女が欲しくて手に入れたくてどうしようもなかったが、

それは結婚して法律で彼女を僕に縛りつけ 

愛と言う名の下にそのすべてを手に入れればきっと落ち着くのだろうと考えていた。

だが それは僕の見込み違いだった。

を知れば知るほど 抱けば抱くほど 彼女を求めて止まない。

喉が焼け付くような渇きを覚えて水を求めるのと同じような感覚で、

心が身体がを求めて渇いている。

満たされるのは 彼女をこの腕の中に抱いて、のすべてが僕に向いている時だけだ。

なんて狭量な愛だろう。

我ながら恥ずかしくなるほどだ。




昏々と眠り続けるの隣に滑り込んで、いつものように腕を差し入れ枕にしてやる。

実際は頭を乗せた枕と肩までの隙間に差し入れているので腕枕ではないが、

こうすると一晩中と身体をくっつけて眠る事が出来る。

本人は意識していなくても毎晩の事だからだろう 身体をすり寄せて来た。

その仕草が幼子のようで とても可愛い。

額にキスを落とし「おやすみ。」と囁いて、僕も瞼を閉じた。

こうして目を瞑っても の匂いや体温を感じていれば 安心していられる。

明日は 無理をさせないように、一日ベッドの住人でいてもらおうと考えてる。

医者にも連れて行かないといけないと 薄れ行く意識の中で僕は思った。


 






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255555番キリリク 紫馬様で「現代連載 作家八戒ドリーム」
『寝不足で体調を崩したヒロインを看病』と言う設定です。
長くなりましたので、此方を前編とさせて頂き「091:サイレン」を
後編とさせて頂きます。
よろしければどうぞ。