NO.40 小指の爪





何時までも窓の外を見ているわけにも行かない。

課長の声に従ってテーブルを挟んで向かい側に座る。

「飲め。」マグカップに入れられたコーヒーが、課長の男にしては白く綺麗な手で

こちらに押し出された。

断るのもおかしなことだからと、「いただきます。」と言ってマグを持ち上げた。

まだ宵の口とはいえ、夜には違いない。

これでも死んだ彼とは結婚を考えていたし、そういう関係だったのだ。

男の人の部屋に上がって、2人きりになればどういうことが起こるのか位は知っている。

『その気があるから付いて来たんだろう。』なんて、勝手な解釈で合意だと取られても

仕方がないということも。

早く用事を済ませて帰るに越したことはない。



「で、プライベートなお話って何ですか?

こういう状況は大変な誤解を招くと思うので、私としてはありがたくはないのです。

出来れば外で第3者の目のあるところが良いんですが・・・・。」

出来るだけビジネスライクに話を切り出した。

本屋での一言があるから、油断できないと思った。

あの一言はどういうことなんだろうと、今更ながらに考えた。

私を怒らせるためならば、課長は十分成功している。

辞表や異動をしても良いとさえ思ったほどなんだから・・・・。

でも課長を目の前にしていると、そういう目的ではないような気がしてきた。

まさか、本気?

確かに課長は独身だけれど、不倫を含めた恋愛は『仕事には邪魔だ。』位にしか

思ってたんじゃなかったっけ・・・・・。

コーヒーを飲みながら、私の思考はぐるぐると回っていた。



「馬鹿面だな。」

いきなりかけられた言葉に、自分でも眉間にしわが寄るのが分かる。

人のことを無理にここまで連れてきておいて、そんな言い草はないだろう。

「何を考えているのか知らんが、無駄なことは止めた方が良いぞ。」

追い討ちをかけてきた一言で、珍しく私の沸点が低くなった。

マグを急いでテーブルに置く。

「無駄なことってなんなんです?

先ほどの言葉だって、唐突過ぎて理解しかねます。

だいたい課長は、課の女子社員の好意を袖にしたんじゃないですか。

煩くて迷惑だって・・・。

それで、不倫とか玉の輿とかそういうのに興味がない女子社員が良いと仰ったから、

私が立候補したんですよ。お忘れですか?

その私を捕まえて、『良縁は此処にある。』なんて冗談でも笑えません。」

迫力を出すのに手をテーブルの上に、ドンとついて中腰で立ち上がった。

下から見たのでは凄んだって効果がない。

課長ほど迫力はないかもしれないけれど、精一杯睨んで見返した。



「忘れてないし、冗談ではない。」

そう言って瞳だけを少し上に上げると、課長は手にしたマグカップをテーブルに置いた。

マグから離れた手が私のテーブルにおいた手を捕まえる。

「冗談ではない証拠を見せてやる。」

課長が私の手を掴んだまま立ち上がる。

こっちが怒っている場合ではない。

このままじゃ、力に押されてとんでもないことになる。

さっき考えていた『その気があるから付いて来たんだろう。』と言う台詞が

急に現実味を帯びて、私の前に迫ってきた感じがした。

「課長、あの私、きょ・・・今日は、家に友人が来ることになっているんで、

もう時間がないんです。帰らせて下さい。」

さっきまでの怒りは何処かに吹っ飛んでしまった。

力では男の人には叶うはずがない。

まして、相手は上司だ。

このままやられてしまっても会社での立場を利用されたら、泣き寝入りをするしかない。

それだけは嫌だ。

だから、ここは下手に出て、何とか穏便に流してもらおう。



「課長?」

何とか課長に手を放してもらおうと頑張ってみたが、課長の手は離れない。

引きずられるように連れて行かれるのは、ベッドルームだろう。

「お願いです、課長。」

こうなったら泣き落としでも何でもいい。

とにかくこの場を切り抜けよう。

「三蔵だ。」前を歩く課長が振り返って止まると、そう言い放った。

「えっ?」

「プライベートだと言っただろう、課長ではなく三蔵と呼べ。」

そんなことを言われたって、嬉しくもなんともないんです。

こうなったらプライベートでもなんでも無視して折れてもらうしかない。

「課長、いくらプライベートでも同意のないものは、世間的に非常に不味いと思います。

課長ほどの色男なら、それこそどんな女性でも選り取り見取りじゃないですか?

なにも私である必要はありませんよね。

それに・・・それに、課長は恋愛には興味がなかったんじゃないですか?

こういう態度が実は課長を落とす為の私の罠だって可能性もあるでしょう。

だったら、私は課長の一番嫌な女かもしれないんですよ。

そんな女、止めておいた方がいいですよ。」

とにかく必死で言葉をつないだ。



隣の部屋につながるドアの前で課長が足を止めた。

「本当に罠を張った女はな、事が済んでからそういうことを口にするもんだ。

、選り取り見取りだからこそ、お前を選んだんだ。」

空いている片手で、私の頬をそっと優しく撫でる。

「私、こういうこと初めてじゃないですよ。

それにご存知かもしれませんが、結婚を約束した人がいるんです。

選ばれたのは光栄ですが、私の未来を壊さないで下さい。」

足だけじゃなくて課長の身体の動きもピタリと止まった。

これで開放される。

そう思ってほっとした。



「何故いつまでもそんな嘘をつく。

あいつがそれで喜ぶと本気で思っているのか?

がいつまでもそんなんじゃ、あいつだって成仏できねぇ。」

課長の言葉にハッとして顔を上げる。

「同期だったからな。

内緒だったかも知れねェが、俺には話してたんだ。

だから、無駄なことはするな。素直にゆだねろ。」

課長のその一言で、私はもう逃げられないと観念した。

彼のことを知っていて、それでも私を抱こうとする課長にはもう逆らう気力が湧いてこなかった。

引かれるままにドアを通り過ぎると、本当にベッドしかない部屋に入った。

私が大人しいせいか、課長も無理なことをしようとはしてこない。

促されてベッドの端に腰をかけた。



「自分で脱ぐか?」

コクンと頷いて「シャワーをお借りします。」と上着を脱ぎながら返事をした。

「キッチンの向かいのドアだ。」

ブラウスとスカートになると、黙って移動した。

此処で逃げれば逃げられないことはないと思ったけれど、

何処かでこんなことでもなければ彼のことを乗り越えられないとも思っている自分がいた。

だったら、見ず知らずの人よりも課長がいい。

彼を知っているのなら、せめてそのつながりだけでもいい。

彼のものとして抱かれれば、彼を裏切ったことになる。

もう、彼だけしか知らない私ではいられない。

なんだかそうならなければいけないような気がした。

夢で彼に肉体だけでなく精神的な別れも告げられたせいだろうか。

だから、こんな真似をしようとしているんだろうか?



シャワーから出てそこにあったバスローブに袖を通す。

服を着なおすのも嫌だったし、タオルだけで出て行くのも嫌だったので借りることにした。

部屋に戻るとベッドの上で課長が煙草を吸っていた。

私を認めると、灰皿にそれを押し付けてもみ消した。

課長に背を向けてベッドに座ると、後から抱きかかえられた。

触られた途端にからだ全体に力が入って硬くなる。

不意に接触してしまう日常のものではない緊張が、私の呼吸すら早くする。

「いいな?」

課長がうなじに唇を落として、耳元で尋ねた。

「大丈夫です。ただ 彼以外の人を知りません。」

下手に言い繕ってもきっとこの人には通じない。

だから正直に自分を出すことにした。



前に回された手が、バスローブの腰紐をほどいて

自由になった合わせ目から中に入ると、私の身体に触れてくる。

見た限りでは、それほど大きくもないように見えていたけれど、

私の身体の上に乗るとやっぱり大きい。

男の人の手だ。

全体を撫でながら誰でも知っている感じるポイントを攻められて、

その久しぶりの感覚に体が過度な反応を見せて跳ねた。

身体の線を辿るように課長の手が、全身を滑るように移動する。

背中でフッと息が吐かれたのを感じる。

「俺好みだ。」

吐かれた言葉に身体の芯がもっと熱を帯びた気がした。

片方の手が下に伸びて、もう自分でも分かるほど感じて濡れている場所に辿りつく。

思わず漏れた嬌声に、「もっと声を聞かせろ。」と言われて箍が外れた。



「か・・・ちょう。」

指で昇らされながら思わず目の前の人に呼びかけた。

「三蔵と呼べ。」

そう言いながら、指を焦らすような動きに変えられた。

「呼ばないならこのままだ。」

それまでの激しいほどの愛撫に慣れて昇ろうとしていた身体には、

優しいほどのその動きでは物足りない。

「お願い、さ・・三蔵。」

苦しい息の間で何とか言葉をつむいで名を呼んだ。

途端に再開された動きに、一気に体が反応する。

「さん・・ぞう・・・待って・・・」

「出来ない相談だな。」

自分ので足を濡らすほど、そこが濡れて溢れているのが分かる。

中に入っている指が、ぐっと壁を押した。

「ダメッ。」

「だろうな、指が抜けそうにねぇ。」

何処か笑いを含んだような声が聞こえて、私の火に油を注ぐ。

昇りつめた身体が、その余韻に痙攣を起こしている。



「本当に、久しぶりらしいな。」

身体を倒されて覆いかぶさりながら、課長がそう言った。

足を抱えあげられて、当てられた先端がゆっくりと入ってくる。

。」

名前を呼ばれた事と、その熱い吐息に驚いた。

求められるうれしさに、思わずその綺麗な金髪に手を差し入れた。

も俺を求めろ。」

そう言われて自然に頭を引き寄せて、私からキスをした。

自分のものではない誰かの肌も、その熱も、気持ちがいい。

彼に残されて寂しくて枯れかかった心に、慈雨が注ぐようなキスをされる。

離れられなくなりそうで、この関係が何かも分からないのに溺れそうで・・・。

だから「怖い・・・」と囁いた。



ギュッと課長にすがりつく。

それに応えるように背中に両手が回って、抱き返された。

もう限界も近い。

突かれた奥がどうしようもなく熱くなる。

耐える為に抱きつく腕や指に力が入る。

爪の跡がつくかもしれない・・・・脳内の片隅でそんなことを思った。

小指の爪を握りこむ。

傷つけないようにと・・・・そう思った瞬間、意識が暗闇に吸い込まれた気がした。






--------------------------------------------------------------

38万打記念夢として