私は 貴方を知っている。
そう 生まれたばかりの貴方が、籠に乗せられて 私を下っていった時から・・・。
金の髪に 紫水晶の瞳、色白の小さな手、
それは それは 可愛い赤ちゃんだった貴方。
こんな時代、生活に苦しむ人達は、星の数ほどいる。
可愛い我が子を 育てられず、間引きし 川に流す人達は少なくない。
貴方の母親だって 決して流したかったわけでは ないだろう。
私の川面に映った貴方の母親は、涙を 私に落としていた。
(せめてどこかで 生きて欲しい。)そんな気持ちもあってか、
それとも可愛い子供の命を 自分が絶つのは、しのびなかったのかもしれない。
生まれたばかりの子を、川に流したところで
生き延びることなんて出来はしないのに・・・。
どれくらい 流れていただろうか・・・。
貴方を乗せた籠を、私から すくい上げた人がいた。
驚いて 川面に映ったその人を見ると、銀の髪に 法衣をまとった男の人だった。
優しい瞳で 貴方を見ているその人は、「私を呼んだのは お前ですね。
声が聞こえていたんですよ。間に合ってよかった。」と、つぶやいていた。
私の気配に気が付いていたのか、「ここまで 見守っていたのですか?
心配しなくても大丈夫ですよ。ちゃんと育ててあげますから。」と、
私にむかってささやくと 「時々は 姿を見ることが出来ますからね。
安心して、この子を私に預けなさい」と
言い置いて その男の人は、貴方を抱きかかえて歩き去っていった。
貴方もきっと 他の子供達と同様に、水がしみこんで その重みで沈んでしまうだろうと
思っていた私だったのに、何時までも沈まなかったのは 他ならぬ私が
籠を支えていたためらしいことに、貴方がいなくなってから 気が付いた。
この揚子江の河の神女 「揚子江神女」である私が、
人間の赤ん坊に肩入れしてしまうなんてことは、
ほんらい してはいけないことではあるけれど、なぜだか 当然のことのように
そうしていた自分がいた。
昔 愛した人の面影が 赤ちゃんの貴方にあるわけも無いのに・・・。
あとから 観世音菩薩に からかわれる事になるのだが、私の貴方に対する
執着は、あの時からだったのかもしれない。
あれから 金山寺に住まうようになった 貴方は、
名前を「江流」と 呼ばれるようになって、
あのときの男の人「光明三蔵」と呼ばれる
高僧の弟子として暮らしているらしい。
時々 散歩にでも出るように、貴方を連れては 私の 川辺にやってきて、
独り言のように 色々私に 貴方のことを 光明様は、話してくださっていた。
そんな 光明様を、貴方は 横に座っていぶかしげに見ている。
そんな貴方を見られることが、
私には 楽しくて うれしいひと時だったの。
ある日 いつものように 私に話しかけていた光明様に、
貴方は「お師匠様、なぜ川に向かって俺のことを報告するのですか?」と尋ねた。
まだ 私の気配もわからない子供な貴方には、光明様の言動は理解しがたいものに
映っていたらしく、師匠を心配してのことだったらしい。
光明様は、ふふっと お笑いになると、「江流、この川が貴方のことが 大好きで
心配だというので、ちゃんと育っていることを 教えてあげていたんですよ。」と、
笑みを浮かべたままの顔で、答えた。
貴方は、驚いたように 私のほうを見て それから お師匠様を見て、
「俺を心配している? それも 川がですか?」と 大声で言った。
「ま、いずれ江流にも 分かるようになりますよ。今は わからないでしょうが・・・・。
でも、お前のことを 案じているのは、
私以外にもいるというと事を 覚えておきなさい。
たとえ 私が いなくなるようなことが あったとしても、決して 自暴自棄に
ならないためにもね。お前は 確かに強いですが、人は身体と違って
心を鍛えるということは なかなか出来ないものなのですよ。」
静かに 優しいけれど、否定を許さない 教えのような言葉で 話す人。
「でも、お師匠様。
僧になり修行しているということは、
心を鍛えているということでは ないのですか?
迷いや悩みを 討ち払って、強くするために。」
「江流、それは 違いますよ。
どんなに修行しても、悩みや 迷いがなくなることは ありません。
見守って、黙って話を聞いてくれるこの川の存在というのは、お前の心をきっと
静かに落ち着かせて自分を導く判断する力をくれることでしょう。
強くおなりなさい、江流。」
私は そんな2人の話を 静かに聴いていた。
「そうですね〜、この川に 名前をつけて 呼びかけてあげなさい。
そのほうが 話しかけやすいでしょう? もう 私が 報告に来なくても
江流が、自分で 話に来てあげればいいのですからね。 そうしなさい!」
不機嫌極まりない顔になった貴方だったけれど、
お師匠様には逆らえなかったらしく、
私の方をしばらく見ていたが・・・・・「。」とつぶやいた。
それを聞いた光明様は、にっこりと微笑むと「女性の名前とは、江流もすみに
おけませんね〜。」と、うれしそうに言った。
この日から私の名前はになった。
龍がその手に持つという至宝の玉の名前。
川を龍にたとえるこの国の文化に由来するのだということは、
分かるのだけれどそんな大事なものに見立ててくれたことがうれしかった。
それは 江流には最も辛いお師匠様の亡くなる少し前の楽しい思い出になる。
お師匠様の 光明三蔵が、亡くなってから、貴方が 金山寺を降りたときは、
本当に心配をしたけれど それでも よく 私の川辺には、
きてくれていたから 無事にいることは わかっていた。
でも 光明様とは違って、貴方は ただ 黙って川面を見ているだけで、
何も話そうとはしなかった。
私は 貴方が、話しかけてくれるのを ただ 待っていたのです。
貴方の姿を見れば、在りし日の光明様と同じなことでもわかる、法衣に
金冠、肩の経文 それは 紛れもなく「三蔵法師」の姿。
まだ 幼さの残るその肩には 重すぎるほどの 肩書き。
私は ただ 見守るだけの存在、それでいいと思っていたし、
それ以上何も出来なかったから・・・・・。
そして・・・・・・月日は流れてゆく。
そんなある日、久しぶりに 川辺に来てくれた貴方は、
初めて 私に 声をかけてくれた。
「、俺 北方天帝使 玄奘三蔵 法師として、天竺に行くことになった。
しばらくは お前に会いに来れないが、心配するな。」
初めて 声をかけてくれたのに、遠くに行く報告なんだ。
それでも 気にしてくれていたんだね。ありがとう うれしいよ。
「いってらしゃい。三蔵様。」私も 初めて、三蔵に声を出して 返した。
すると 貴方は驚いた様に振り返った。そこに人影はない。
何かの気配があるように 思えるだけ。
「おい、なのか?」いぶかしげに 川面を見る貴方。
「そうです、三蔵様。
私からは呼びかけてはいけないので、こうして言葉を返すのは初めてですね。
でも いつも 貴方を見ていましたよ。」
「そうか、・・・・ま、そういうことだ。じゃあな。」片手を少し挙げて、立ち去ろうとする。
「長い旅路、お気をつけて・・・・。」私の声に、軽く頷くときびすを返して、
もときた方へと歩み去っていった。
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