薄蘇芳 1(雷汞 24)




階段を下りながら、嫌な役を押し付けられたものだとため息が出た。
今頃、もう一人の共犯者も起き上がって、今後の展開を予想していることだろう。
にやついているだろう顔を思い出して、思わず眉間に力が入った。
だが、ここで戻ったら何を言われ何をされるか分かったもんじゃない。
悟浄が何を言ってもそれほど怖くも無い。
あれはその場は騒ぐが、後を引かないから楽だ。
問題は八戒の方だろう。
怒っていないように見えてめちゃめちゃ怖かったりするし、
後から思い出してはチクチクと棘のある言葉でとがめだてをする。
性質が悪い。
しかも何を言っても勝てる気がしねぇし。
そんな男を敵に回して旅を続けることなど、俺にはできそうにねぇ。
ここは大人しくあいつらの考えた筋書きを実行するしか道はなさそうだ。
まあ、本音を言えば渡りに船だったりするんだが・・・・。



斜陽殿からの通達はこの旅の随行に一人の少女を加えることとあった。
これ以上の人員は必要ない。
俺は深いため息を吐いた。
だってそうだろ、只でさえ急ぐ旅なのにだ。
人が増えると色々と問題が起こる。
それに「女」と言う人種は、何かと面倒だ。
まず、あのキンキンとした声。
そして、当然だが男より弱く面倒事が多そうな身体。
正直に言うと願い下げだった。
だが、ここが使役としての悲しいところ。
命令には否やを口に出来ない。
まあ、俺一人なら絶対に受け入れられないが、他にも人間がいる。
俺が世話や面倒を見なくても大丈夫だろうと、そう考えた。



ところが加わったは、俺の予想を裏切った女だった。
静かで強くて・・・・そして、悲しそうだった。
理由を聞いてそれに頷けた。
最低限だけの接触と会話だけにしておこうと思っていたのに、
八戒や悟空や悟浄との会話や親しげな様子を見ていると、
何故か彼女と話したい、かかわりたいと思うようになった。
だが、あいつらの名前は呼び捨てにしているのに、俺だけは『三蔵様』だ。
気にいらねぇ。
まずはそのあたりから何とかしたい。
だから、八戒のおせっかいな後押しを不承不承受け入れた。
宿の中は深夜と言うこともあって静かだ。
俺の立てるわずかな階段のきしみさえ大きく聞こえる。
階下にいるはずのの耳にも誰かが降りて来るのが聞こえているはずだ。
泣いていれば、涙をぬぐっているだろう。
そんなことを思いながら1階に降りる。
食堂と宿の記帳所が一緒になった場所に、
彼女はぽつんと椅子に腰掛けていた。
明かりの点いている観賞魚を飼ってある水槽の前にいた。
その水槽の中を、長いひれを優雅になびかせて泳ぐ魚をじっと見つめている。
静かに泣いていると言った感じだ。



隅に寄せてある灰皿の中から1つを取り上げると、
それをの据わるテーブルの上におき、彼女のそばに腰掛けた。
懐からMarlboroを取り出してくわえると、火をつけて慣れた味と苦味を吸い込む。
彼女の座る反対側へと、肺まで送り込んだ煙を吐き出した。
「泣いてたのか?」
「いいえ、そんなことはありません。
ただ、夢見が悪くて落ち着くのに降りてきただけです。
もう、大丈夫なので戻ろうと思っていたところです。」
そう言ってが腰を浮かせた。
テーブルについた手をそのままそこに縫いとめる。
「一人じゃ煙も味気ねぇ。
しばらく付き合え。」
「は・・・はい。」
立ち上がろうとしたものを、また元通りに腰をかけた。



「慣れたか?」
「いえ、まだ・・・慣れていません。
相変わらず戦闘の時は、足手まといにしか・・・・・・。
皆さんに気で無事を探られているのを感じます。
ですが、旅というものには少し慣れたでしょうか。
1人で旅していた時には、笑うことなんてありませんでしたが、
何とか笑うことができたりする様になりました。
八戒と悟空にはとても気を使わせています。
特に先日襲われてから、悟空は私を1人には絶対にしません。
申し訳ないほどです。」
そう言って、うつむいた顔は苦しいような表情が浮かんでいる。
「しょうがねぇだろう。
目の前でやられた所を見ちまったんだ。
気にしねぇ方がどうかしている。
4分の3は人間の上に女だ。
並の男ならなんてことねぇだろうが、相手は妖怪だ。」
自分でもらしくねぇ言葉を吐いていると思う。
「そう思っておくことにします。
修行をしている時には、老師になった祖父や宗家の父にも
引けを取らないほどになったつもりでしたが、
実戦となるとこんなにも違うものだとは・・・・。
加勢にはなっていないでしょうが、それでも居ないよりはましだと
思っていただけるようになりたいです。
とにかく、ご迷惑にならないようにと、思っています。」
先ほどよりは幾分明るく言葉をつづる。
その様子に愛しさを感じた。



「実戦には慣れるしかねぇ。
少しでも隙があれば命を取られる。
迷うな。」
それだけはに伝えたいと思い、強く言ってまっすぐに目を見た。
彼女も俺の語気に気づいたのか、顔を上げた。
戦闘時には時として彼女の気の高揚から深緋になるその瞳も
今は泣いた後だからか黒く濡れたような光をまとっている。
「いいな。」
さらに念を押した俺には「はい。」と、頷いて見せた。
輝石のようにどこまでも深い黒は、果てのない夜の空のように感じる。
じっと見つめていると、わずかにその黒が変化して来たように感じた。
硬く深い色の底から、何かが浮かび上がってくるような。
黒に色が差してきたって分からないはずなのに、何故かそれを感じる。
不思議な感覚だ。
もっと変化を見たい。
そう思ってその瞳を覗き込もうと前のめりになった。



途端。
視線は外され、はうつむいてしまった。
元の姿勢に戻りながら、思わず舌打ちしたいのを何とか堪える。
「もしだ。」
「はい。」
「もし、俺なら離れていても銃だから関係ない。
呼べば加勢してやれる。」
「ありがとうございます。」
「だから・・・・その・・・・なんだ。」
「はい。」
「『様』はいらねぇ。」
意外な言葉だったのか、が顔を上げて俺を見た。
「でも、『三蔵法師様』といえば、この桃源郷に5人までしか
存在の許されないお方。
私のような未熟者が気安く呼んでいいお方ではありません。
悟空や八戒や悟浄は、ご友人であり旅の仲間でしょうが、
私はお荷物でしかありません。
とても、そんなこと・・・・・」
「うるせぇ。
俺がいいって言ってるんだ。」
思わず怒鳴ってしまう。
の驚いた顔を見て、我ながら失敗したと気づく。
「あっ、申し訳ありません。
では、お言葉に甘えて敬称を略させて頂きます。
でも、もう少し慣れるまでは、このままで良いですか?」
硬い表情でテーブルに両手を着き頭を下げた。
あいつらみたいにどうして言えないものか。
煙草を吐く息にため息を忍ばせた。



「分かればいい。」
「はい。」
名前を呼ばせるだけのことに、こんなに手間と時間がかかるとは思わなかった。
悟空や八戒はこともなげに、このハードルを越えられる。
本当に器用なやつらだと、今更のように思う。
すぐに、あいつらと同じくらいになど親しくはなれないだろう。
が俺に用があることなどほとんどないのだから。
それでも、敬称をつけて呼ばれると、そこで一線を引かれているようで
物凄く面白くない。
俺だけが彼女の中で遠い存在として扱われている気がするからだ。
まずはそこからだろう。
狙われていることもあって、は独りにはならないようにきつく言ってある。
特に八戒が・・・。
以前は積極的に買い出しに連れて歩いていた八戒も、
怪我をしてからこっち宿に残るように言うことが多くなった。
外のほうが危険が多いからだろう。
だから、つまりは残っている俺と共に居ることになる。
これからは、もう少し会話も増えるかも・・・・しれない。



本気なら、少しは努力して見せるか。
じゃないと、何を言われるか分かったもんじゃねぇ。
うそ臭くにっこり笑った顔を思い浮かべた。





執筆者:宝珠
2006.03.03up