赤 墨 1
翌日の午後にはの熱も下がり、身体も楽そうになった。
背中のガーゼを剥がして傷を負ったところの具合を確認する。
もちろんには他は見えないように背中の開いたTシャツを着てもらっている。
悟浄はもちろん、三蔵や悟空にも部屋から出てもらっての治療だ。
「もう大丈夫でしょう。」
「はい、ありがとうございます。」
そう受け答えをしたが、こちらを振り返って微笑んだ。
「気にしないで聴いて欲しいんですが。」
そう前置きをして、僕は彼女に話しかけた。
は身体をこちらに向けて座りなおして、話を聞く体勢になってくれた。
「三蔵の傷の治療もした事があるので、それと比べてですが、
確かには傷の治りや熱の引きも早いです。
それは、貴女には4分の1とは言え、妖怪の血が混じっているからだと思うんです。
妖怪は人間よりも新陳代謝が活発で、身体能力が高いですからね。
そういう点でそういう血を持ったは、
人間よりも強いでしょうし、力もあるでしょう。
ですが、無理は絶対にしないで下さい。
完全な妖怪の僕や悟空。
禁忌の子である悟浄は、半妖ですが、それと比べたら、
本当に人間に近いんですからね。
僕らをもっと頼ってくれていいんです。」
断固とした言葉遣いで、そう伝えた。
「でも・・・・」
「そう、の気持ちは分かります。
ですが、1人で頑張ってくれても怪我をしたり人質になったのでは、
何にもならないでしょう。
ですから、昨日も言いましたが、絶対に1人にはならないで下さい。
が吠登城側に落ちては、何にもなりません。
自分を大事にすることが、僕たちの手助けにもなるわけです。
まあ、別に堅苦しく考えなくてもいいんです。
ジープに乗っている時は、いつも一緒ですしね。
今までと大差ないです。
ただ、今までは僕たちもが1人になってもそれほどの心配はしませんでした。
なぜなら、あなた一人が狙われるような事は無かったからです。
でも、状況が変わった以上は、それなりに対応しなくてはなりませんから。」
大きく頷いた後、不安そうな顔をして僕を見上げてくる。
安心させる意味も込めて笑いかけてやる。
困った表情が少し緩んだのを見て、「さあ、今日はまだ休んでいて下さい。」と、
ベッドに横になるように促した。
大人しく横たわったに、上掛けを優しくかけてやる。
熱が引いたけれど、体力は落ちているだろうから、その為だ。
出発が明日だと言うのなら、少しでも休んでおいた方がいい。
悟空を隣から呼んで、に付き添ってもらう。
2人は仲がいいから、安心できる。
普段から2人して稽古をしている姿をよく見るし、
さすがに次代の宗家として育てられていたのだろうは、博学で知識もある。
悟空にはいいお姉さん的存在だ。
そんな2人を部屋に残して、隣で待っている大人の男2人の元へと向かった。
部屋に入ると「で、どうお姫様は?」と、悟浄が尋ねて来た。
「えぇ、もう熱も引きましたし、傷も心配ありません。
ナイフが刺さったままで、出血が少なかったのが良かったんだと思います。
明日には出発出来るでしょう。」と、の傷の話した。
最後の一言は、黙って聞いている最高僧に向けて言ったものだ。
返事は別に期待してはいない。
普段から三蔵は沈黙が肯定の節があるからだ。
何も言わないのは、それで良いということ。
「それよりも気になるのは、吠登城の出方です。
今までは、に注目しているとは思えませんでしたからね。
彼女の何が、気になるのでしょうか?
僕たちの弱みにでもするつもりで、人質とかではないと思うんです。」
僕のその発言に、悟浄は肩をすくめて見せた。
分からないという事なのだろう。
だから僕らの視線は、沈黙を続けたままで煙草を吸っている三蔵に向けられた。
その手には珍しく新聞が握られていない。
「三蔵。」
そう呼びかけると、閉じていた瞼をわずかに開いて口にくわえた煙草を、
テーブルの上の灰皿で消した。
その手はすぐに腕組みされて、袖で見えなくなった。
「蘇生実験の参考にするつもりなんだろう。
もし、連れ去られれば、実験台として何をされるか分かったもんじゃねぇ。
その結果、あの時の紅孩児のようにされるか、
蘇生実験のモルモットのように扱われるだろう。」
三蔵が頭の中でどのような想像をしているのかは分からないが、
物凄く不機嫌だと感じた。
三蔵はいつも不機嫌そうにしている。
本当は機嫌がいいときでさえも、知らない人には
憮然としているように見えるだろう。
こうして一緒に旅をする前から、出会って仕事を回してもらったりして
付き合いがあるから、僕や悟浄には微妙な機嫌の良し悪しが分かる。
そんな僕たちでなくても今の三蔵は誰が見ても怒っているように見えるだろう。
三蔵はよくキレル男だ。
堪忍袋の緒の長さには、それぞれ個人差があると思うが、
三蔵の場合は、絶対に短いと思う。
それもかなりだ。
悟空にはハリセンを飛ばし、悟浄には弾丸を飛ばす事など、日常茶飯事だからだ。
それも忠告などしてくれない。
いきなりそれらが飛んでくる。
今回の怒りは、そういった刹那的なものではなく。
三蔵の気持ちの奥深くから湧いて出ているような気がする。
本人は怒っている事すら気付いていないかもしれない。
それは、蘇生実験成功のためになら、
人の命も妖怪の命も軽く扱う吠登城のやり方に対するものかもしれない。
僕だってそう思っている。
けれども、常からそんな事は分かっているはずだし、
確かに怒りは感じていても、何か非道な事を目の当たりにしているわけではない。
何が三蔵をそこまで怒らせているのか・・・・・。
そう考えて初めて、今回の事がにかかわっている事だと思い当たった。
出来るだけ厄介事にはかかわらない主義の三蔵だが、
のことはそうではないらしい。
まあ、そんな事は口が裂けても言葉にはしないだろうが。
今まで、寺育ちの三蔵が女性と深くかかわるような事は無かっただろう。
そう考えると、が一緒に旅をしているこの状態は、
三蔵には初めての体験かもしれない。
もちろん、悟空もそうなのだけれど、
彼の場合は恋愛沙汰になるよりも、姉弟といった感じに見える。
三蔵の中で何かが変化しているのかもしれないと、僕には思えた。
今の状況が、にとって歓迎すべきことではないのは確かだ。
それに、その結果、蘇生実験が上手く行くような事があれば、
三蔵が負っている任務が果たせなくなる。
その結果は、考えるだけで恐ろしい。
桃源郷は、さながら生き地獄と化すのだろう。
今でさえ、人間は妖怪にされるがままに襲われているのだから・・・。
そうならない為に、三蔵に実験阻止の任務が下されたのだから、
三蔵以上に適任者はいないということだ。
僕たちがを吠登城から守るということは、
任務の内だと言っていい。
「それを見越して斜陽殿では、を僕らに同行させたんでしょうか。」
「多分な。」
既に次のタバコに火をつけてくわえながら、三蔵はそう返事をした。
「には、絶対に1人にならないようにとは言いましたが、
そういう事なら尚のこと、油断できませんね。
もっとも狙って来たら返り討ちにしてあげますけど。」と、
思わず地でつぶやいた。
いつもは爽やかお兄さん風な笑顔を作るが、
今のはそれではなかっただろう。
三蔵と悟浄の顔が心なしか引きつっている。
「そんなに怖がらないで下さい。
傷つくじゃないですか。
大丈夫ですよ、にはこんな笑顔は見せませんから。」
いつもの爽やか系な笑顔で笑う。
そのまま固まっている2人を残して、悟空とのいる部屋に戻った。
執筆者:宝珠
2005.10.14up

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