赤 墨 2
廊下を戻って、と悟空のいる隣の部屋の前に着いた。
ノックをしようと上げた手を、中からの会話でふと止めた。
別に立ち聞きをしようと思ったわけではないけれど、
他人の思惑を聞くのはやめられない。
そんな自分に自嘲気味の笑いが漏れる。
それでも、ノックは暫くやめる事にした。
幸いな事に、宿は昼間と言うこともあって事の他静かだ。
廊下には自分だけ。
ドアの前に立っていても不審に思われることもない。
「なあ、。
が吠登城から狙われていても、俺たちと一緒に西へ行くよな。
さっきも言ったけれど、俺が守ってやるから。
もちろん、三蔵だって八戒だって悟浄だって、そう思ってるはずだから。
だから、一緒に行くよな?」
「悟空。」
何処かでジープから降りた方がいいかもしれないと、
考えているだろうの困惑したような声が悟空を呼んだ。
僕が言おうと思っていた台詞ですよ、悟空。
そう心の中で彼を咎め立てする。
が考えている事くらいは分かる。
自分がジープに同乗する事で、僕たち4人に迷惑がかかるとすれば、
一緒にいない方がいいと。
まだ出会って短いながらも、彼女の思考や性格はだいたいつかんだ。
桃源郷でも剣を持つ物は知らない者がいないほどの流派。
その宗家となるべくして、育てられたは、
女の子にしては筋を通す考え方で、男気が強い。
きっと、彼女が手にかけたという父親と、
背中に背負う剣の主だったという祖父にそう躾けられたと見ている。
悟空はそんな深い所までは考えていないだろうが、
その名前が示すとおり、彼は時として見えないものを悟る。
そして、その時の彼は、通常では見せないほどの大人の男の顔で、
僕たちさえ及ばない仕事をこなしてしまうのだ。
そして、それが今、に対しての気遣いとして、
あんな言葉を言わせているのだろう。
まったく、美味しい所を全部持っていく気でしょうか。
軽くため息を吐いてしまう。
「ありがとう。
でもね悟空、皆の中で私は一番弱いよ。
だから、一緒に行ったら負担になってしまうと思う。
そりゃ、斜陽殿からの命令かもしれないけれど、
私が一緒では皆を余計な危険に巻き込むことになると思う。」
「そんなことねぇよ。
だって、俺達強えぇもん。
だから・・・・・・」
「悟空。」
このままではに言い切られてしまいそうですね。
悟空では役不足でしたか。
僕は再び腕を上げて、ドアを2回大人しめにノックすると、
そっと開けて中の様子を見た。
「あぁ、起きていたんですね。
眠っているかと思ってました。
どうですか、具合は。」
今、隣から来たような顔をして、部屋の中に入る。
「えぇ、随分といいです。
ご心配をお掛けしてすいません。
それに、私の傷を治すのに気孔を使ったんでしょ?
疲れているのに、ごめんなさい。
お医者さんが、何処に傷があるのか分からないくらいになっていると、
驚いていました。」
お茶でも入れようと、茶器に手を伸ばした背中に、
はそう感謝の言葉を贈ってくれる。
「気になどしなくてもいいんです。
あのまま傷を塞いだだけでは、僕が嫌だっただけですから。
幼い頃から剣を握っているのに、身体には傷もないんですね。
不思議に思いましたが、話を聞いて納得しました。
の新陳代謝のいいのは、血のせいだったんですね。」
止血と治療の為に見た背中は、まるで磁器のように滑らかで、
傷らしい傷や痕も無かった。
「見たんですか?」
責める様な声音の問いかけ。
当然だと思った。
「えぇ、まあ。
でも見たと言っても背中だけですよ。
着替えはこちらの宿の女性にお願いしましたから、心配要りません。
それに、こう言っては何ですが、4人の中では僕が一番無難なはずです。」
が今の言葉で安心できるかは分からないが、
この場合は誤魔化したりするのはよくないと判断する。
「そうだぜ、。
八戒なら悟浄みたいに変なことしねぇと思う。」
横から悟空の援護射撃が入った。
悟浄と比較されて言われるのは、少しばかり心外ではあるけれども、
悟空の中ではその点では、少なくとも悟浄よりも信頼されているらしい。
「ごめんなさい。
治療して頂いたのに、失礼な事を言って。」
が失言をしたとばかりに謝ってきた。
その潔さも、また剣士らしい所だなと感じる。
「が気にするのは当然です。
なんと言っても妙齢の女性なんですから、気にしない方がどうかしている位です。
ですから、謝る必要はありませんよ。
これからだって怪我をしたりすれば、またあることでしょうから。
まあ、一番いいのは怪我をしないことです。
僕だって怪我の治療に使うのは嬉しいことじゃありません。」
ニコニコしながら頷いている悟空を見て、
もぎこちなく微笑んでから、「はい。」と返事をしてくれた。
素直な所は、悟空と同じくらいに愛しく感じる。
こんな感情を女性に対して持つのは、僕としては珍しい。
けれども、これは未熟な年下への慈愛のように感じる。
決してが女性だからと思ってのことじゃない。
きっと、が剣士の気質が強い女性だからだろうと思った。
逝ってしまった彼女とはあまりに違うタイプだから、
好意を持つのに戸惑うような事も無かったのだろう。
そうでなかったら、拒否反応を示していたかもしれない。
仲間として自然に好意を持てた自分に、何処かで安堵した。
「今、三蔵と悟浄とも話したんですが、斜陽殿ではの存在が
吠登城にいずれ目を付けられ狙われるだろうと、
そう考えて僕たちと一緒に居るように言ったんだと思うんです。
向こうは貴女を調べる事で蘇生実験に
有益な情報を得られると思っているんでしょう。
だったら、それを阻止するのが任務の三蔵と僕たちが、
と一緒にいるのは良い事だと思うんです。
だから、ジープから降りようなんて考えちゃ駄目ですよ。
いいですね。」
「そうだぜ。
ほらな、俺が言ったとおりだろ?」
悟空は自分の意見が僕と同じだった事で、少し胸を張った。
「もう、狙われていると分かった以上、どの道一人には出来ません。
それこそ、ジープから降りたら最後、すぐに向こうの手に落ちてしまいます。
が弱いと言っているんじゃないんです。
1対1なら、は強いし、心配もしません。
僕だって敵わないでしょう。
でも、相手は数で押してきますからね。
1人じゃ無理です。
だから、気をつけるようにしてください。」
悟空の口説きよりは心を動かされたのか、は黙って頷いた。
妖怪に連れ去られ利用される。
は実験に必要だから、すぐに命が奪われるとか、
慰み者にされる事はないかもしれない。
それでも、必要が無くなればどんな事をされるか分からない。
4分の1とは言え、妖怪の血も持っている彼女。
それに、その剣の腕は女性とは言え、桃源郷で有数のものだろう。
何かに利用される事は必至だ。
自分の意思ではどうしようもなくなる。
あの紅孩児でさえも操られていたのだから。
彼女の高潔な考え方や意志の力から言って、
そうなったら自決をしてでも、そうならないようにするだろう。
そんな悲しい決断をさせたくないと思う。
あの女性のような・・・・悲しい思いは。
誰にもさせたくはない。
鮮烈な紅さはないものの、傷は未だにそこにある。
時間と言う薬でも風化させることが出来ないのかもしれない。
いや、僕自身がそうならないようにしている。
血によって刻み込む・・・・・刺青のように。
決して消えないようにと。
執筆者:宝珠
2005.10.21up

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