桔 梗 2




宿屋の部屋なんか何処もそう代わり映えはしない。
よく言えばシンプルだが、悪く言えば味気ない作りだ。
鍵を開けて部屋に入ると、この宿屋が少なくとも
清潔には気を使っていることは分かった。
ベッドも綺麗にメイクしてあるし、シーツも洗濯してあるものを使っている。
今夜は野宿のような硬い床に悩まされることなく眠れるようだ。
いつものようにテーブルの上に、懐から煙草とライターを出して置く。
灰皿を引き寄せてから、新聞を広げるために椅子に座った。
「ベッドは奥を使え、風呂も先だ。」
紙面越しにそう言葉をかける。
床からが歩く振動がわずかに伝わって、横から奥のベッドの上に
荷物を置くの姿が見えた。



荷解きしているのか、ごそごそと音がしている。
そしてそれが止むと、浴室に通じるドアが開いた音がして中から
浴槽に湯を落とす音が聞こえてきた。
「それじゃお先に失礼します。」
そう声がかかると、ドアの閉まる音が聞こえてきた。
広げた紙面をそのままテーブルの上に置いて、
がいたその場所に目を向ける。
俺たち4人の中にどう馴染もうかと悩んでいる。
それか、俺たちのと距離をどう取ろうかに、気を使っている。
そんな彼女の気持ちは、なんとなく伝わってくる。
八戒と悟空は、牢まで面会に行ったからか、かなり気を許しているように見える。
悟浄も霧の森ではぐれた折に、2人で一緒に帰ってきてからは、
以前ほど遠慮しなくなったような気がする。
何よりジープのリアシートの雰囲気が柔らかい。
おかげで俺が悟浄や悟空に銃口を向ける回数は、格段に減った。



八戒と悟空は、が女だからと何くれとなく気遣いを見せる。
八戒は女と暮らしたこともあるのだから、女がどういうものか見知っている。
だから、その気使いも正当な理由からだろうと思うのだが、
俺と一緒に寺でしか生活したことの無い悟空が、
八戒に言われているとしても、のフォローを上手く出来るのはなぜだろう。
五行山から拾って来てからこっち、そんなこと教えたことも無いし、
教える必要さえ感じなかった。
あの自然さは、子供っぽい性格だからだろうか?
その身長差やあの公害並みの食欲、そして立ち居振る舞いから
悟空のことはどうしても子供として扱ってしまうが、
時として俺たちの誰よりも冷静な判断をし、強さを持つ。
悟浄や八戒も常には子ども扱いをしているが、
本当は強く真っ直ぐな一人前の男だと、悟空を認めているのは感じられる。



俺が、から一番距離があることは知っている。
あの狭いジープの上で一緒に旅をして、お互いが視界に入る場所で生活をし、
妖怪の襲撃を共に戦っているのだから、その心の距離を感じないはずが無い。
どこまで連れて行けばいいのか知らないが、此処まで来るのにさえ
1年と少しかかっている。
確実に西へは向かっているとは言っても、地図も部分的なものしか
入手できない上に、町は少なくなり人も少なくなってきている。
目的地へは後どのくらいなのか、見当さえ付かない。
命令だから同行させる事にしたが、果たしてそれが正しいのかは分からない。
出来ることならジープから降ろしたい。
命令だからと同行させてはいるが、出来ることならと言うのは否定しない。
俺が口にするところの『足手まとい』ではないのだから、
降りろなどと言ったもんなら、あいつ等が絶対反対するだろう。



それに、を同行させてから吠登城からの刺客を何度も迎え撃っている。
その度に、1人増えたことのメリットは感じている。
1人づつのノルマが減ったことで、戦闘が早く終わっているのは本当だ。
向こうにも俺たち一行に1人仲間が増えた情報は、知れ渡っているだろう。
もしこの町でをジープから降ろしたら、彼女1人が襲われかねない。
あの腕前なら心配は無いだろうが、持久戦と力で押されれば不利になる。
そして1人では隙も出来てしまうだろう。
本人が望んでジープを降りると言うなら、
こちらとしては走り去ってしまえば、どうなろうと構わない。
だが妙に人情味の厚い奴らのことだ。
後からの安否を気遣うジープの搭乗員から、
引き止めなかったことに文句が出るだろうことは、
今までの経験から予想が付く。
そして、それが向けられるのは俺だろうと言うことも・・・・。
そう考えるとをジープから、今更降ろせない・・・・・。



悟空や悟浄になら、銃口を向けるかハリセンでも飛ばしておけば
とりあえずは黙らせることが出来る。
問題は八戒だ。
この旅の任務を受けているのは俺で、あの3人は同行させるように
三仏神から言われているから、連れて来た。
どういう関係かと尋ねられれば『下僕』と、口にするのをはばからない。
だが、どういうわけか、何事にも許可を出すのは俺のはずが、
八戒と話している内に許可を出すよう仕向けられているような感じがする。
出さなければ、何かされそうな気がしてしまうのだ。
しかも口では叶わないし。
本当に何かされたことも無いというのに、
後のことを心配してしまうのは、八戒の頭の切れの良さと、
彼の用意周到さを知っているからかもしれない。


何も知らないは、面倒見の良いお兄さん的な八戒に、
全幅の信頼を寄せているようだ。
別にそれが嘘の姿とは言わないし、余計なことを彼女に教えてやろうとも思わない。
知らない方が良い事もあるだろうし、触れられたくない過去が誰にだってある。
本人が口にするならともかく、まわりの者が知っているからと言って
話して良い事ではない。
俺の古傷にしても、誰も口にしないだろう。



いくらも吸っていない煙草の火が、フィルターの近くまで来て
煙草を持つ指に熱を感じたことで、俺の意識が現実に引き戻された。
煙草を灰皿で押しつぶして火を消すと同時に、浴室へと続くドアが開いた。
湿った空気と一緒に湯上りのが、タオルや着替えたものを手にして
そこから出てきた。
新聞はテーブルの上に置いたままだった。
ここであわてて持ち上げてもガサガサと音がするだけで、何も役に立たない。
むしろ、彼女の意識をこちらに向けるような気がして、
もみ消す途中だった煙草に視線を落として、その場を取り繕う。



なんで俺が視線を外して、を気遣う必要があるんだ。
自分がとった行動に、なぜか怒りが湧く。
別に裸で出てきたわけじゃないんだし、思春期のガキみたいな行動は、
年上の男としての対応ではない様な気がした。
「あの、どうぞ。」と、はそれだけを言うと、備え付けの鏡のところへと
歩いていって、髪をタオルで拭いている。
「あぁ。」と、こちらも返事をして、立ち上がった。
魔天経文と袈裟を外して使う予定のベッドに置き、
懐から銃を取り出してその脇に投げた。
浴室の湿気は銃にはあまり歓迎できない。
帯を解いて、法衣を脱いで手甲を外す。
アンダーシャツとジーンズになると、ブーツも脱いだ。
自分の荷物から、下着とジーンズとタオルを出して手に持ち浴室へと向かった。
視界の端に、が櫛で髪を梳いているのが目に入った。



黄櫨流と言えば、この桃源郷でその筋では知らぬ者がいない剣の流派だ。
そこの一人娘だったとすれば、剣の修行ももちろんしていただろうが、
同時にお嬢様として綺麗に着飾ってもいただろう。
髪の毛だって当然長く伸ばしていたに違いない。
今は少年かと見間違うほど短いそれは、長くしたらさぞかし美しい艶を放つだろうと
思わせるものがある。
の身の回りのものを揃えた町で、八戒がふと漏らした言葉を思い出す。
『三蔵、今日は彼女の買い物もしますから遅くなります。
の荷物、悟空のと違うことと言えば、下着の種類くらいのことで、
他には何も女性らしいものが何も無いんです。
もう一人で旅をするんじゃないですから、せめて基礎化粧くらいは
させてあげないと、かわいそうですから。』
どんなものを買ったのかは知らないが、の荷物が前より増えたのは確かだ。
女は色々必要らしい。



それに詳しい八戒もどうかと思うが、男でも想像の付く最低限の女の持ち物も
持たずに旅を押していたの覚悟を思うと、どこかいたたまれない気持ちになる。
治安ははっきり言って悪いだろうし、女と分かれば違う危険も増える。
だからそうなのだろうと理解は出来るが、いい気はしない。
なんだかんだ言って、俺も結構彼女の事を気にしているのかもしれない。
湯船に身体を沈めながら、そんな考えに思い至った。
「らしくねぇ。」
思わず口に出してつぶやく。
静かな浴室に響いたそれを、自分の耳で拾う。
ただ思っただけでなく、口に出して音を耳で拾ったことで、
自分に確認させているのかもしれないと、そんな気になった。
本当にらしくねぇ。



誰に言われるまでもなく、桃源郷では最高僧内の1人だ。
双肩にかけた魔天経文も袈裟も三蔵の名を告ぐものだけに許されたそれだ。
だが、寺を出たあの日から仏道や戒律などは眼中に無い。
目的のためには、非情になり、命を奪い、此処まで来た。
何を今更、庇護しようと言うのだ。
足手まといになったら、その場に打ち捨てて行けばいいのだ。
あいつ等が何を言っても聞かなければいいだけの話だ。
何が気にいらねぇんだ?
自分で自分がつかみ切れない。
「くそっ。」
堂々巡りになりそうな思考を打ち切るべく、風呂は出ることにした。
このままじゃ、のぼせそうだ。






執筆者:宝珠
2005.04.29up