深 緋 3 泣くだけ泣くとは顔を上げた。 そこへ門弟の何人かが心配して駆けつけて来た。 「お嬢さん、どうしたんですか?」 道場の光景に息を呑むと、その場に座り込んでいるに尋ねた。 は既に落ち着いていたこともあって 冷静にこれまでの話をみなに聞かせた。 それを聞いて俯いたまま拳を握る者 思わず泣く出す者もあったが、 みんな静かに受け止めてくれたようだ。 「では お嬢さんが黄櫨流宗家になられたのですね。 私達はお嬢さんに着いて行きます。」 門弟の中でも高弟に当たる者が、そう言った。 後の者達も同様に頷いている。 剣の腕前では既にの右に出るものは居なかった。 「まずは 前宗家と師範代、奥様の葬儀をしよう。」 そうは言っても 今の町の状態で出来ることは何もなく、 墓地に3つの墓を造り3人を葬ったに留まった。 は考えていた。 何が原因で父があんなことになってしまったのかと。 それは自分にも関係のないことではなかった。 この身体の中には4分の1とは言え 妖怪の血が流れている。 あの発作をまた味わうと考えるのは、あまり気持ちの良いものではなかった。 それに この町の人たちは、が禁忌の子の娘であると知っている。 今は 良いかもしれないが、黄櫨流の今後のことを考えると、 このまま父に汚名を着せたままには出来ない。 はそう考えていた。 父に殺された祖父は 剣術家としても人格者としても名が高かった。 その祖父を父が殺したと聞けば、黄櫨流はそういう血筋だと思われることは否めない。 父が狂った原因を探ることと、黄櫨流の汚名を晴らすこと。 全てをやり遂げなければ 此処に定住することと、流派を存続させる事は難しい。 はそう考えていた。 生前、祖父はを一度武者修行の旅に出したいと言っていた。 だた いつも母が心配して反対するので、祖父はあきらめているふしがあったが それでも剣術家として色んな流派の人と立ち会うのはなによりの宝だといっていた。 今がその時なのではないかと、は考えた。 祖父が信頼していた高弟を3人呼びそのことを告げると、 道場を任せて は旅に出ることにした。 訳を話すと、もっともだと3人は頷いて賛成してくれた。 黄櫨流の汚名をそそぐために、また 自身が強くなるためにも 旅に出ることは良いことだと言ってくれた。 道場は このまま自分たちが守ると申し出てくれたので、は頼む事にした。 は 身長160センチとそれ程高くはないが、日々の修行のおかげで 均整の取れた身体つきをしていた。 20歳の娘にはとても見えない少年のような体だと、彼女の母はよく嘆いていた。 修行の邪魔になるからと、そのカラスの濡れ羽色を思わせる黒髪を短髪にし、 爪も染めず 紅も差さず 化粧もすることはなかった。 だが 常には男の視線を集めた。 その黒曜石の大きめの瞳は キラキラと星を浮かべているように輝き、 肌はその反対に何処までも白かった。 少年を装えば今度は女の視線も集めてしまうが、危険率はその方が低かったので は少年の振りをしながら旅をすることにした。 幸いにも短髪で細身の身体は、自分が『僕は』と名乗ればあまり疑われなかった。 は濃紺のカンフースーツの上下を着込み 背中に父の形見である祖父譲りの剣を、 布に包んで斜めに背負った。 海鏡刀ほどではないが、桃源郷の武人・剣術家が欲しがるような 名刀には違いなかった。 銘は「黎明」と言いその刃は何処までも白く、刃文は優しくなだらかな曲線で 山並みのように美しかった。 それに対して地は何処までも黒く闇にも似ていた。 祖父はその対比をこよなく愛していた。 父もその意思を継ぎ 道具としてはもちろんの事、祖父との絆としても愛でていた。 はそれをあの家に置いて来る気にはなれなかった。 父と祖父の遺志を継ぐものとして、これを持っている事で 自分を支えたかったのかもしれない。 そして 腰には海鏡刀。 妖怪を切った時に何故血も流れず、遺体も残らなかったのかには不思議だった。 海鏡刀は底知れない刀だと、は祖父に言い聞かせられていたので、 普通の刀とは違うだろうとは考えた。 襲ってくる妖怪を切るのに、血を浴びたり遺体を見たりする必要が無いため罪悪感に 悩まされないだけでもにはありがたかった。 必要最低限の荷物と着替えを袋に詰めると、刀の邪魔にならないように肩から下げた。 いくら 腕が立つと言っても 生き物など切った事は無かった。 妖怪だと言っても 命を奪うことには慣れたくなかった。 だが現実にはそうも行かないと言う事くらいは、覚悟をしての旅立ちだった。 が自分が住んでいた町を出て、3日目にたどり着いた峠での事。 妖怪の暴走で桃源郷には旅人の姿は少なくなっているので、 その峠を歩いていたのものほかには見当たらなかった。 此処3日ほどの旅で、は妖怪と人間の見分け方や噂話などを宿などで拾っていた。 道に沿って茂る木立からザアッと5人ほどの人影が躍り出て、の前を塞いだ。 「おい小僧、荷物と有り金全部ここに置いて行け。」 真ん中に陣取った男がに高飛車に命令をした。 「嫌だ。」 は海鏡刀に手を掛けて身構えた。 「フン、小僧の癖に良い刀をぶら下げているじゃねぇか。 益々 荷物を置いていってもらう必要があるな。」 黙って男を観察していたは、その男たちが妖怪の印であるピンと尖った耳を持ち、 露出している腕や顔・足の何処かに 呪印のような模様があることを見て取った。 「お主ら妖怪か?」 は確認するように男たち、いや盗賊たちに尋ねた。 「だったらどうする?」 「切る。」 盗賊の問には即座に答えた。 「聞いたかよ? この小僧が俺たちを切るってよ。 おもしれぇ、切ってもらおうじゃねぇか。」 そういうと盗賊たちはいっせいに武器を構えた。 も海鏡刀を抜刀して構える。 盗賊が1人かかって来たのを、は一度剣を交わらせた後 袈裟懸けに切った。 その瞬間、消えるはずの妖怪の身体から血飛沫が上がり の身体にかかった。 「お前たち、妖怪ではないな。 死にたくなかったら、引け。」はそう叫んだ。 「今更引けるかよ。 こうなりゃどうでもその刀置いていってもらうぜ。」 の忠告にもかかわらず、盗賊たちは次々と襲い掛かってきた。 やらなければ が殺される状況下では、もはや選択の余地は無かった。 は盗賊たちを1人で切り捨ててしまった。 ことが済んだ後、はその場に立ち尽くして涙を流した。 狂った妖怪はもう元に戻る事は無いと、父の例で知っていたのでためらいはないが 人間は狂ってなどいないはずだ。 妖怪の痣に見えたのは墨で書いた模様だったし、 尖った耳は張りぼてをくっ付けたものだった。 その峠から一番近い町に向けて は歩き出した。 町に着くとその足で 役所に自首をした。 役人はの姿から事情を把握すると、とりあえずから武器を預かり保管庫に入れると、 を独房に入れて峠へ検分に出かけた。 を取り調べた役人は、「あの盗賊をお前一人でやったのか?」と尋ねた。 がそれに答え事情を話すと、指名手配犯の上に捕縛が無理なら その場で死刑執行可能命令も出ている盗賊ということだった。 だから は罪にはならないだろうと役人は説明をしてくれたが、 判決が出るまでは拘束しておかなければならいのだと、説明をしてくれた。 はそれを理解し了承した。 今は 少し気持ちを休めたかった。 人を切った後の血飛沫とそこに転がる骸を目の当たりにしたショックは大きかった。 独房の冷たく硬い寝台の上で、は膝を抱えて瞑目した。 こんな桃源郷にした原因を絶対に許さない・・・・と、強く思った。 |