二 藍 1




夕方 小さな町で、三蔵一行は何とか食事と寝床を確保した。
今夜の宿の部屋は 4人部屋だ。
何も無い田舎町の事で、悟浄も遊びに出たくてもそれもままならず4人思い思いに
時を過ごしていた。
大きい街ならばこんな所でくすぶっては居ないだろうが、
いかんせん田舎なので仕方が無い。
三蔵はいつものように新聞を広げ 読みふけっていた。
何がそんなに面白いかは知らないが、常に何処かで入手してそれを持っている。
もう、他の誰もそのことに感心を示さないほどに馴染んだ風景。
ふと何かが三蔵の視界の角をヒラヒラと横切った。
思わず紙面に落としていた視線を向けると、他の3人も同様にその紙片に注目している。
「何だろ?」
4人の中では一番好奇心旺盛な悟空がその紙片に手を伸ばす。
風に煽られてひらひらと部屋の中を舞う紙片は中々悟空の手に落ちない。
普段から人ならぬ者を相手にしているせいか、
宙に突然それが湧いて出ても動ずることはない。
問題は『何処から』ではなく『誰から』の方だろう。
悟空は自分の前にヒラヒラと来た紙片を、ようやく掴み取った。



とりあえずこの一行の最高責任者である三蔵へとそれを差し出す。
三蔵は悟空からそれを受け取ると、2つ折の紙を開いて中を読んだ。
「・・・・ちっ、めんどくせぇ。」
読んだ途端に舌打ちをし忌々しそうに一言漏らすと、
三蔵は無言で八戒にそれを差し出す。
八戒に渡った紙片は、同時に声に出されて読まれることになった。
「東亜玄奘三蔵法師へ
次の町で『』と名乗る者を受け取って合流を果たし 西へ同行されたし。
           慈悲と慈愛の象徴 観世音菩薩。」
短い手紙を八戒が読み終えると、「そういうことだ。」と三蔵が一言付け加えた。
その表情は、これでもかと言うほどに渋い。
「何々、仲間が増えるのか?
ヤリィ! そいつ強いのかな?」と、悟空は既に興奮気味だ。
「名前からいって 女性ですかね?
どういった方でしょうか?」と八戒も気になる様子で言葉にする。
「おぉ、まさしく慈悲と慈愛の象徴のようなお恵みだねぇ。
若くて美人だと言うことねぇな。」悟浄はくわえ煙草で そう茶化した。
「足手まといは必要ねぇ。」と、いっこうに釘を刺すように、
新聞の影から三蔵がはき捨てるように言い放つ。
「あの方のなさる事ですから、それは心配ないと思いますよ。
それよりもこの『受け取り』という行が僕は気になります。」
八戒はそう言って手の中の手紙をもう一度見た。
「そうだよなぁ、普通は『受け取り』とは書かねょなぁ。」
八戒の意見に悟浄も同意を見せる。
「何処かにもらいに行かなきゃならないんでしょうか?」
推理をした八戒の言葉に、三蔵の眉間にしわが増える。
「・・・・ちっ、やっぱりめんどくせぇ。」
三蔵のその言葉に 八戒と悟浄は視線を合わせて肩をすくめた。



翌日 その町を早朝に出発した三蔵一行は、地図どおりに位置していた
隣の町になんとかその日のうちに辿り着いた。
何処かで自分たちの迎えを待つ『』という名の者を探すのには、
いささか遅い到着になったことで 一行はまず宿を確保し明日一日を
その者を探すことと次の町までの旅中の買い物をすることにした。
悟空は例の手紙を受け取ってからというもの その『』なる人物への好奇心が
押さえきれないようで、見も知らぬと言うのにはしゃいで食事中でもその話をする。
最初は丁寧に答えていた八戒ですら、いささか苦笑気味になるほど度を越せば、
保護者である三蔵が黙っているはずはない。
「猿、いい加減にしろ!」との怒声と共に、ハリセンを頭に食らって
宿の食堂で注目を集める事になるのだった。



いつものように八戒がそれを宿の者に謝っていると、そこの主人が何かを思いついたように
八戒に話しかけてきた。
「あんたら、その『』という人の知り合いかね?」
どうせ何処かで尋ねなければならないものなら、情報提供は望むところだ。
八戒はいつものように人好きする笑顔を顔に上らせると、宿の主人に答えた。
「僕たちも顔は知らないんですが、ある人の命令でその『』さんと言う人と
この町で落ち合うことになっているんです。
ご主人はお心当たりがおありですか?
後でお尋ねしようかと思っていたところなので、
ご存知でしたら是非お教えくださいませんか?」
主人は八戒の答えを聞くと、隣に立つ奥さんと顔を見合わせて頷きあった。



八戒の後ろに居た三蔵たちも その様子に興味ありげに話を待っている。
宿の主とその妻らしき2人は、一行に背を向けて相談している。
「おい、気の毒だとしきりに話しているお前から・・・。」
主人に促されて奥さんは八戒に向かって話し始めた。
「あんたたちもこの町に来る前に峠を1つ越えてきたでしょ?
あの峠にはもう長いこと山賊が居てねぇ、この町の誰もが困っていたのさ。
つい3日前なんだけどね、その山賊を峠で切って来たと言う剣士が現れてね。
役所に出頭してきたんだよ。
こんな小さな町だから、役所も困っていたから渡りに船のような話でさ。
その剣士さんには罪咎はないんだけどね、一応決まりだからと
身元引受人が現れるまではと牢に入れられているんだよ。
それが その剣士さんの話では、
『自分は天涯孤独の身なので 身元を引き受けてくれるような者は誰も居ない。
だが やらなければならない事があるので、どうか此処を出して欲しい。』って言うんだ。」
奥さんはよほどその剣士に肩入れしているのか、目の端に浮かんだ涙を前掛けで拭った。



奥さんの話からその剣士がだということは、予想が出来た。
「それでさ、その剣士の名前が『』さんと言うんでね
あんたたちの探し人じゃないかと思うんだよ。
この町には『』と言う名の子は1人もいないしねぇ。
もし そうならあの子は牢から出られるし、やらなければならないことも出来るんだしね。
それに 本当に礼儀正しい子なんだよ。
あの子にやらなきゃいけないことさえなかったら、うちの嫁に欲しい位さ。」
奥さんの熱弁はまだまだ止まりそうにはなかったが、
宿の主人が脇から小突いてそれを止めた。
「そうですか いいお話を聞かせてくださいました。
僕たち明日の朝一番で、役所に行ってみます。
ねぇ、三蔵。」と、八戒は後で話を聞いていた三蔵に確認を取った。
「あぁ。」と 三蔵は同意を示した。
それを聞いた奥さんはそれは嬉しそうに笑って、奥に引っ込んでいった。
役所の手続きは、夜に行っても出直して来いと言われるだけだからと、
迎えは明日の朝になった。



口に出しては言わないもののみんながその剣士『』に、
何らかの興味を抱くのも無理はない。
特に知人が少ない悟空にいたっては、煩いほどにそれを口にする。
怒る事にも疲れた三蔵は、新聞を広げて完全とそれを無視することにしたらしい。
だが 話を振られる悟浄と八戒は、もう答えることも嫌になるくらい
同じ事を聞かれていた。
そこへ宿の奥さんがノックと共にやってきた。
「何か御用ですか?」
この一行の窓口受け付け係の八戒が対応に当たるのはいつもの事だ。
「いえね、これからさんの処へ夕ご飯を届けるんですよ。」
奥さんの言葉に一行はみな顔を上げた。
さんの事を担当しているのは、うちのせがれでね。
罪人でもないのに囚人用のご飯じゃあんまりだと言うし、
それにせがれはああ見えても黄櫨流の道場に通っていたもんでね。
同じ流派の門弟だと言うさんのことを、他人事には出来ないんですよ。
まあ、私が見たところそれだけでもなさそうなんですけどねぇ。
だから よかったら一緒に行きませんか?」
そう奥さんは八戒に言った。



八戒は三蔵のほうを振り返り、「どうしますか?」と尋ねた。
「今夜行っても牢からは出せねぇだろう。」
三蔵はそう否定の言葉を口にするが、横から悟空がそれをまた否定した。
「俺、叔母ちゃんと一緒に行く!
牢からは出せねぇかもしんねぇけど、明日出られるって事だけでも教えてやんねぇとな。」
悟空はに会える期待に瞳をキラキラさせて、八戒の方を見た。
八戒は、悟空の質問に辟易していたので「そうですねぇ。」と、
悟空の保護者である三蔵を伺った。
ここで、駄目だと三蔵が言おうものならたぶん今夜中続くであろう悟空の質問の矛先を、
八戒は自分に向けるだろうとこと位、三蔵にも察しが着く。
「ちっ・・・勝手にしろ。」
三蔵なりの許諾の言葉が下った事で、悟空は奥さんと共に部屋を出ようとした。
「じゃ、僕も一緒に。」
八戒は当たり前だと言わんばかりに、席を立った。