深 緋 2 そこにはいつもの穏やかな町の光景はなく 何処か地獄絵図を思わせるような光景が 広がっていたのだった。 殺された挙句に内臓に手を掛けられている人。 その傍らで泣き崩れているのは家族だろうか? それを止め様として傷付けられて手当てを受けている人もいる。 火を放たれた家もあったのか 何処かきな臭い匂いもするが、 圧倒的にその場をしめているのは 流された血の匂いだった。 は焼け跡を片付けている知人に 話しかけた。 「何があったの?」 目の前の光景を信じられない思いで 確認するとその人は苦しそうに答えた。 「妖怪の仕業だよ。 あいつら突然狂ったように暴れだして、人を殺し内臓を食べやがった。 それどころか 家に火を放って出てきた人を殺したり、まったく酷いもんさ。 家族を殺した奴もいたぞ。」 これ以上は話したくないと言う態度で、その人はの傍を離れた。 はその場に固まって動けなかった。 先ほど自分が襲われた発作のようなものがなんだったのか 分ったからだ。 自分は妖怪の血が入っていると言っても 4分の1だ。 だからこそ あれだけで済んだのだろう。 だとすれば 半分は妖怪の血を持つ父親も当然発作に襲われている可能性がある。 『家族を殺した奴もいたぞ。』と言う 知人の言葉がの頭の中に何度も響き渡った。 もし お父さんが発作の苦しさに負けたとしたら、お爺さんでは敵わないはずだ。 そんな事あるわけない・・・心配ない・・・・そう何度も思ったが、 先ほどの苦しさを思い出すと はそこを動いて、家に急いだ。 それに胸騒ぎは絶え間なく今も続いている。 海鏡刀の剣柄に手を掛けて その存在を確かめると、は家に向かって走った。 道場が見える場所まで来て 立ち止まり息を整える。 もし 何かが起こっているとすれば 激しい息ではどうすることも出来ない。 深呼吸をすると はいつもの足取りで家に近づいた。 外側から見ただけでは いつもと違う様子はない。 ただ 静寂が支配している。 だが だんだんと近づくに連れて 町で嗅いだ血なまぐさい匂いがの鼻をついた。 「只今帰りました。」 いつもと同じ言葉を掛けて 玄関を入る。 母親がいるはずの台所まで来て は我が目を疑った。 「お母さん。」 そう言うなり倒れている母親に近寄って抱き上げる。 ぬるっとした感触を感じて手を見ると、母親の背中から流れた血で紅く濡れていた。 ぐったりとしている身体からは生気が感じられない。 は手を首筋に当てて脈を取ろうとした。 だが 母親の身体からは脈は感じることが出来なかった。 それどころか その身体は既に冷たくなりつつあった。 「お母さん、お母さん。」 は 母親の遺体を抱きしめた。 普通の娘ならそこで泣き崩れているのだろうが、には他に気に掛かることがあった。 母親の遺体をそっとその場に横たえると、は血がついた手を水で流した。 台所を出て 祖父の私室に向かう。 道場主ではあるが 門弟の相手をほとんど父にゆだねている祖父は、 私室で写経や回想録を綴っていることが多い。 もし 母親を殺めたものが次に狙うとすれば、祖父だとは思った。 海鏡刀を何時でも抜刀できるように構えて 廊下を進む。 殺気と人の気配は感じられないが、何が出てくるか分らない。 祖父の部屋の前に来て その扉をノックしてみた。 「お爺さん、です。 入ってもよろしいですか?」 中からは物音ひとつしない。 思い切って扉を蹴り開けると 中には誰も居なかった。 荒らされた形跡もなければ 争った跡もない。 はそこで何かが聞こえたような気がして 耳を澄ませた。 剣を交わらせた時に生じる キィンと鋼が鳴る音。 「道場の方からだ。」 は 振り向きざまに道場へ向けて廊下を走った。 その間にも 討ち合う音が絶え間なく聞こえる。 「もう駄目です、私を切って下さい。」 「何を言うか! 気をしっかり持つのじゃ!」 父と祖父の声だ。 それも何か切羽詰っているような声。 が道場へ入るのと 父親が祖父を切り倒したのとはほぼ同時だった。 「お爺さん!」 切られた祖父の元には駆け寄った。 肩口から斜めにざっくりと刀傷が走っている。 そこから温かく紅い血が衣服ににじんで行く。 の目から見ても既に命をとりとめようがない。 「お爺さん、どうしたのです? お父さん、どうしてこんなことに?」 父と祖父を見比べては悲痛な声で叫んだ。 「、よいか・・・父は既に正気を失いかけておる。 お・・お前は黄櫨流宗家として あの・・・妖怪を・・・・倒さねばならんぞ。 この爺と母の・・・・敵じゃ。 狂った親を、我が手に掛ける業をに背負わせる爺を・・・許せ。 ・・・・強くあるのじゃ。 そなたには この爺の血が流れて・・・・おる。」 愛しそうな目で可愛い孫を見つめると 祖父は静かに眼を閉じた。 それまでは 何とか握っていたの手から祖父の手が滑り落ちる。 「お爺さん、お爺さん。 しっかりして・・・・嫌です。」 はこれで家族2人を失ってしまった。 だがもう1人も失ったも同然の状況が残されている。 祖父の遺体をそっとそこに横たえると、は後ろを振り返った。 そこには刀を手にして 返り血を浴びた妖怪が立っていた。 「お父さん、もう 何も分らないの? お母さんもお爺さんもその手に掛けて、何が壊したかったの? 私に2人の敵として お父さんを討てと?」 のその問いかけに 父親だった妖怪はニヤリと薄気味悪い笑みを顔に上らせた。 「今度のは 切り甲斐がありそうだな。」と 一言つぶやいた。 その言葉に祖父の言った意味を悟ったは、剣柄に手を掛けて海鏡刀を抜いた。 この刀を父と祖父の前で譲り受けてからまだ何日も経っていない。 これを渡してくれた優しくも強い父はこの世に存在しない。 あれは父の姿をした妖怪だ。 美しく優しい母を後ろから切り、温かく可愛がってくれた祖父を 眼の前で切り捨てた憎い敵だ。 「泣くな。」はそう言葉にして、自分に言い聞かせた。 此処で泣いたら あの妖怪には勝てない。 父とは真剣に渡り合って 3本に1本を取れるところまでしか自分の腕は上達していない。 だから 此処で泣いたら 祖父と母の敵を取るどころか、 返り討ちにあって祖父と共に此処で死ぬしか道は残されていない。 は 剣柄を持つ手に力を入れた。 妖怪との間合いを取ってのジリジリとした睨み合いが続く。 だが 普段の父なら絶対にしないであろう先制攻撃を、その妖怪は仕掛けてきた。 (剣が乱れている。)とはそれを交わしながら思った。 (お父さんの太刀筋じゃない。もう別人なんだ。)そう思ったら 相手の妖怪が急に憎くなった。 稽古で何度も太刀を交わした父の太刀筋ではない。 あれほど憧れ追い着こうとした父の黄櫨流ではない。 その事がを冷静にさせた。 いつも以上に冷静なの剣の前に 妖怪は牙を向いて襲い掛かってきたが 既に敵ではなかった。 一旦、剣を交わらせて離れると、次に討ち込んで来た妖怪を交わしざまに切りつけた。 肉を切る嫌な感触が手に伝わった。 振り返って止めを刺そうとしたの前には 既に妖怪の姿はなかった。 そこには 土気色に消滅していく人型のようなものが在るばかりだった。 海鏡刀がその妖怪の妖気を 吸い取ったようにには見えた。 それまで妖怪が握っていた刀が 床に落ちていた。 それを手にとっては見てみた。 確かに それは父の刀だった。 自分に海鏡刀を譲ったので、他の刀を持つ必要が出た父に 祖父が自分のを譲ったのだ。 「お父さん、この刀でお母さんとおじいさんを・・・・・・」 妖怪になった父が捨てた鞘を拾い上げて、その刀を納めるとはそれを抱きしめて その場に伏して泣いた。 |