百色捺染 悟浄編
『=ひゃくしょくなせん。
同じ模様が現われるように、 固形色糊で模様を作る特殊な技法』
早朝から荒野を走って、今日はどうやら街に着く事が出来た。
小さな村には宿屋もないこともあるが、今日着いた街はどうやら結構大きいらしい。
宿までの道筋でそんな空気を感じ取る。
露店商が立ち並び、モノの焼ける匂いや蒸す匂いが食欲をそそるように、
順番に鼻腔をくすぐりやがる。
活気があるって感じだな。
一行にいる欠食児童が、その保護者の叱責を受けて頭を押さえている。
まあいつもの事だから、気にしねぇが。
燃費の悪い奴・・・と、口に出さずにおいたのは、
その悟空の隣でそれを気の毒そうに気遣うの顔を見たからだ。
お猿の太鼓もちのおかげで、最近はどうやら少し笑えるようになったらしい。
可愛いお嬢さんなんだから、その方がいいに決まっている。
ほっと癒される何かを感じるなぁと、俺の参戦は止めておいた。
此処で俺が何かを言えば、悟空の野郎が食って掛かってくる。
それはいつものパターンだから面白いんだが、
今は街の通りを歩いているから、状況的に不味いだろう。
ま、その位は考えて行動しないと・・・な。
こういう街には通りを一本入ると、遊郭街や飲み屋街が必ずある。
どこでもそうだ。
表の顔があれば、裏の顔もあるってこと。
少し寂しくなってきている懐具合を思い出して、
今夜は出かけてみるかと思案する。
宿の前まで来て場所を確認すると、
「じゃあ俺は此処で。」
荷物を悟空の腕に預けて身を翻した。
途端に空気を入れた悟空の頬を見て、上手く行ったら土産でもと思った。
にも何か旨いものを食べさせてやろう。
「出発には遅れないで下さいよ。」
そう念を押す八戒の言葉に、右手をヒラヒラと振って見せた。
置いて行かれてもいいような気がしているのに、
きっちりと遅刻しないように戻ってしまうのは、
自分でも不思議だと思う。
何ものにも執着しないはずだったのに、おかしな事になっている。
運がいいのか悪いのか。
街の賭博場はガサ入れがあったばかりで、開店休業状態だという。
ごっそりと押収された掛け金と恐れて出入りのなくなったお客のせいで、
こっちは商売が上がったりだと、飲み屋の主人がぼやいて見せた。
懐具合が悪いのだから酒を飲むわけにも行かず、
綺麗なお姉さんに声をかけるわけにも行かない。
次に稼げそうな街へ着けば、そこでどうにかなるだろう。
ありがたいことに、旅の諸経費は三蔵のカードで払うから俺が困る事もない。
宿へ帰れば酒も肴も困らない。
まあ、手酌で飲む事にはなるが・・・。
そう思って、宿へと引き上げる事にした。
帰る途中の駄菓子屋でお土産を物色する。
悟空には腹に溜まるものがいいだろうと菓子パンを買ったが、
には何がいいだろうと思って、その好みを何も知らないのに気がついた。
旅に加わってまだ日も浅い。
俺達4人が何も言わなくても知っている俺たちの事を何も知らない。
当然のようにのことも知らないわけだが、それがなんだか心地よくもあった。
彼女が口にした旅のきっかけについては聞いたが、
それ以上のことは幸せな過去の思い出に重なって辛いだろうと、
話を振らないようにしている。
俺たち4人、お世辞にも幸せな生い立ちではない。
その生まれも育ちもきっと幸せだったろうとは違うのだ。
彼女の生い立ちからくる幸せな甘い香りは、
なんだか憧れているものに近いような気がして、
それが崩れる事のないようにと願っているからかもしれない。
聞けば家族は皆亡くなって、今は彼女だけだと言う。
けれども彼女の誕生は誰にも疎まれる事なく喜ばれ、
誰も悲しませるような事はなかっただろう。
俺のとは違って。
毎年、その日は彼女を中心に食卓を囲んだに違いない。
見た事はないが、想像で考えている光景が頭の中に浮かんだ。
そう考えたら彼女への土産は自然に決まっていた。
チョコレート。
それもミルクがたっぷり入った甘くて優しい味の。
そう、これこそ、に相応しいんじゃねぇかという気がした。
それを手にして宿へと帰ると、食堂にいた悟空の前のテーブルの上に
パンを置いてやる。
悟空は礼を言ってパンを手にしたが、いつもとは違ってなんだか空気が重い。
超鬼畜生臭坊主を見れば、相変わらず新聞の虫だ。
八戒との姿がないのに、悟空に目で合図して問う。
「上に行った。」
「2人でか?」
「うん、誕生日の話になって、そこから暗い話になっちゃってさ。
が悪いんじゃねぇのは分かっているけれど・・・・。」
暗い表情で俯いた悟空の頭をポンポンと叩いた。
「ん〜、まあな。
ついこの間まで何でも持っていたには、
俺たちの事はわからねぇのは仕方がねぇさ。」
「ん。
で、八戒が追って行った。」
「じゃあ、大丈夫だろ。
ほら、これはの分の土産。
悟空から渡してやんな。」
チョコを出して目の前に置いてやると、しっかりと頷いた。
椅子に座っていつものように煙草に火をつけてくわえた。
「旅に出る前はいいとこのお嬢さんだったろうからな。
でも今は俺たちと一緒で、誰もいねぇだろ。
仕方がねぇとは言え、親父を手にかけたみてぇだし。
まあ、最初からひでぇ俺たちよりその分は此処が痛てぇかもな。」
胸の辺りを指差してやる。
俺の言葉に悟空がハッとしたように顔をあげた。
「うん、そうだよな。
俺なんか、誰もいなくて寂しかったけれど。
でも、三蔵が迎えに来てくれて、悟浄と八戒と会って。
減らずに増えてるんだもんな。
俺、これ持って行ってくる。」
「あぁ。」
悟空がチョコとパンを持って立ち上がった。
新聞紙で見えない三蔵を伺うようにチラッと見たが、
何も言われないのを確認して階段を駆け上がって行った。
「おサルちゃんは立ち直りが早くていいねぇ。」
腹の足しにしようとテーブルの皿を漁りながらそう独り言を落とした。
隣で新聞の虫になっている超鬼畜生臭坊主に、
話し相手になってもらおうとなど思っていない。
期待するだけバカを見る。
だが「土産とは珍しいな。余程ついていたと見える。」と、
新聞をたたみながら返事ともつかない言葉が返った。
「ん〜にゃ。
ついこの間、ガサ入れがあったんだと。
開店休業で話しになんなかったんで、帰ってきたわけ。
悟空に土産はいらねぇけど、のついでにな。」
「ふん、さすがに土産でもないと帰り辛いか。」
いつもながらにいちいち突っかかる物言いだ。
それでも、俺の手にしたコップの近くにビールのビンが置かれた。
まだ半分ほどは中身がある。
酌などは絶対に期待できそうにないから、と言うか、されたら気持ち悪いが。
さっさと自分でコップに注いだ。
少し時間が経っているからか、発泡は弱くなっている。
「で、誕生日の話ってことは、八戒か悟空かの誕生秘話でも聞いたの?」
「いいや。
誰のでもなかったが、悟空も八戒も沈んだからな。」
詳しい話しまでには行かなかったらしい。
誰のどの話を聞いても、ならきっと涙を流すだろうと、なんとなく分かる。
不幸な生い立ちを今更嘆いてみても仕方がない。
そんな事は、とうの昔にやめている。
今は俺ばかりが不幸でもないと知っているし、
紅孩児の配下と名乗っている片方の血のつながりしかない兄に会ってからは、
少し昔を吹っ切れた所もある。
後ばっかり向いてても空しいだけだしな。
ただ、幸せな人はそのまま居られればいいと思う。
何も俺たちのような不幸を味わう必要などない。
けれど、おこってしまった事はもう取り返しがつかない。
死んでしまった人も戻っては来ない。
無くした幸せと同じように・・・・。
も本当に辛いのはこれからだろう。
それは俺自身が知っているから分かる。
刻んでゆく年月の分だけ痛みは鈍くなる。
決して締め付けられるような痛みや苦しみが、
無くなってはしまう訳ではないけれど・・・・。
それでも、時間が癒せる傷もある。
俺には早くそうなればいいと願ってやることしか出来ないが・・・・。
グイッと流し込んだビールが、薬のように苦くなっていた。
2005年悟浄生誕記念として 執筆者:宝珠
2005.09.28up

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