百色捺染 三蔵編
『=ひゃくしょくなせん。
同じ模様が現われるように、 固形色糊で模様を作る特殊な技法』
食堂の火を落とすというので仕方なく今夜の部屋に入ることにする。
ギシギシときしむ階段を登って、そう明るくも無い廊下を歩いて、
今夜一晩のねぐらになる部屋の前へと来た。
今夜はどんな部屋割りだったかと、思いをはせた。
毎晩とは行かないまでも、ほとんどの宿への滞在は一泊か二泊だ。
早々細かく覚えてなどいない。
今さっきまでいた食堂のテーブルの上には鍵が無かった。
ということは、今日は一人部屋ではないということになる。
誰かとの2人部屋か、3人部屋。
無い場合は全員で1部屋ということになる。
あんな話の後でと顔を合わせるのは正直気が進まない。
まあ、八戒がとりなし、悟空が元気付けたとは思うが。
ドアノブに手をかけて中の様子に耳を傾けた。
これといって音はしないから、誰もいないのかと思うほどだ。
けれどもドアを押して部屋に一歩入れば、
廊下の薄暗さとは違い明るい。
静かなのは今夜の相部屋の相手がうるさくないだけだ。
もっとも、うるさいのは2人以上いる場合で、
それぞれ1人の時にはうるさくなんてない。
静かなものだ。
悟空も悟浄がかまわなければ静かにしていられる。
実際、寺にいるときにはそれほどうるさくは無かった。
ただ、寂しくてかまって欲しいからということはあったかもしれないが。
片方のベッドの上に既に湯上りのが座っていた。
手には文庫本を持っている。
俺の入室に顔を上げてこちらを見た。
ベッドは2つだから、今夜はどうやらとの相部屋らしい。
悟浄が宿に着いた途端に街に消えたから、
八戒は悟浄の分のベッドを確保していない可能性もある。
だとすれば、あちらも2人部屋になる。
八戒と悟空の部屋に悟浄のエキストラベッドを足して、
3人部屋にする方法を取るだろう。
うるさいのが一緒でないのは、静かでいい。
「さっきは失礼しました。
お先にお風呂いただきました。」
本に指を挟んで顔をこちらへ向けてが俺に軽く会釈した。
「ん。」
一瞬だけその顔に視線を投げて見る。
八戒が後を追って行ってから時間が経過しているからか、
泣きはらして目が赤いとか瞼がはれているようなことは無かった。
これで知らん振りが出来ると、内心安堵する。
『泣いている女は苦手。』だと悟浄は口にするが、
得意な男などいないんじゃねぇのか。
俺は苦手というよりもどうしたらいいのか分からない。
それが本音だったりする。
だから、が普段通りを装うのなら、こちらはそれに合わせればいいだけだと、
彼女の態度をありがたく思った。
剣士というだけあって、はどこか凛としている。
姿勢とかはもちろんだが、その心の持ちようが・・・。
白い上質な絹地をぴんと張ったような美しさと光沢を持っている。
だから時々、どうにかしてやりたいような衝動に襲われる。
くしゃくしゃだったり、汚れていたりしたらそうは思わないだろう。
真逆に、その美しさを守ってやりたいとも思う。
彼女を見ると皆そう思うのだろうか、それともこんな感情を持ってしまうのは
俺だけなのだろうか?
振り子のように揺れる気持ち。
自分のものなのにつかみ切れないもどかしさ。
さっきの今で本当は何か言葉をかけてやりたい気持ちはあるのだが、
それが見つからない。
で、結局は何も言えないまま終わる。
そんなことの繰り返しなのだ。
文庫本を開いてその続きに目を落としたを確認してから、浴室へと向かった。
何事も無く眠りに就いたを見て、安堵しながら俺もベッドに入った。
人の生き死にを言葉でなど慰められないことは、身に沁みてよく知っている。
安価な言葉など無いほうがよほどいい。
自分に身近な人を失うことは、身体の一部をもがれたように辛い。
身体に受けた傷なら、治るし癒しも必要だろうし、薬も効くだろう。
だが、その人を失った喪失感は、簡単には拭えない。
その人を思い出すたびに、傷口が開き新しい血が流れる。
俺のように時間が経ってもそうなのだから、
のようについこないだ負った傷は生々しいだろう。
まして、両親と祖父を一度に失ったと言っていた。
並大抵の傷じゃない。
けれど、普段はそんな事おくびにも出さない。
それだけ彼女の精神力が強いということなのだろうと思う。
最初は外の風の音か何かかと思った。
浅い夢の中で聞く音は、どうもはっきりしない。
音はしなくても殺気や妖気は、音などに頼らなくても気付く。
どうも外の音ではないように感じて、気になるその音源を探るべく
意識をはっきりさせた。
抑えに抑えている泣き声だと気付いたときには、
それがのものだと思い至る。
気付かない振りをしてやった方がいいだろうか。
このまま好きなだけ泣かせてやる方が・・・・。
けれども今まで何度も2人で同室になったのに、
こんな風に泣くは初めてだ。
もしこれまでに、こんな風に泣いたことがあるのだとすれば、
俺が気付かないはずがない。
何か彼女を泣かせるようなことがあったか・・・そう考えて、
食堂での1件を思い出した。
元々、帰る家も待つ人もいない自分たちに対して、
ついこの間まではいるのが当たり前な生活をしていた。
だから、さっきの件で戻る場所の無い切なさや、
待ってくれる人のいない寂しさを味わったのだろう。
気を張って普段どおりに見せてはいても、
どうしようもないほどの寂しさに襲われているんだろうと思った。
「そんなに泣かれたんじゃ、眠れねぇ。」
突然掛けられた俺の声に、の身体がこわばる。
「うっ・・・申し訳ありません。」
はそう言って謝ると、ベッドから身体を起こして頭を下げた。
「少し出て参ります。」
上掛けをめくると、いつもそばに置いて放さない海鏡刀に手を伸ばした。
そんなつもりじゃない。
でも、自分がかけた言葉はどう考えても、を責めているもの。
まったく自分が嫌になる。
思わず「チッ。」と舌打ちをした。
「行くな。」
「でも、すぐには・・・」
涙が止まらないと言いたいのだろう。
「構わん。」
このままでは眠れないと思い、俺も身体を起こした。
枕許に置いてあったMarlboroに手を伸ばし灰皿を引き寄せると、
1本抜いてくわえて火をつけた。
とりあえず一息吸っていつもの感覚を味わうと、ため息と共に吐き出した。
は俺に背を向けてベッドの上に座っている。
何とか涙を止めようとしているらしく、タオルを顔に当てている。
『構わん。』と言った手前、少しそのまま待つことにした。
手にしたMarlboroはすっかり短くなって、これ以上は吸えなくなった。
仕方なく灰皿に押し付けて火を消す。
の肩はまだかすかに震えている。
泣け、と言われても簡単には泣けないように、
泣き止め、と言われてもそうは簡単に涙が止まるはずが無い。
だいたい、我慢できなくて泣いているものを、どうやって止めようと言うんだ。
出来るものなら、俺の方が聞きたい。
その震えている肩に、何かかけてやりたい。
身体が冷えないように毛布とか、上着とか。
けれど、そんなものは手近に無い。
では、言葉か。
俺が?
無理だろう。
八戒や悟浄じゃねぇからな。
では、どうする?
自問自答する間にも、の肩は震えている。
ええい、ままよ。
勢いをつけて立ち上がると、彼女のベッド脇まで足早に動いた。
考えてしまったら、絶対に動けそうにないと思ったから。
片足を持ち上げベッドにひざをつく。
そのまま乗り上げると、を背中から自分の身体で覆った。
「なっ・・・何するんですか?」
「夜中に起こされて寒いんだ。
責任とって温めやがれ。」と、驚いて声を上げたの耳に吹き込む。
反論の上、もがこうとしていたの動きが、とまった。
さすがに自分が原因と言われては大人しくするしかないだろう。
これ以上の声や動きがあれば、隣部屋の八戒が飛んできそうだったから、
大人しくなってくれたことに安堵した。
「安心しろ、何もしねぇ。」
俺の言葉に、が止めていた息を吐き出した。
警戒しながらも幾らかこわばりを解く。
「泣け。
我慢しなくていいぞ。」
俺に言えるのはこの程度が関の山だ。
「いえ、もういいんです。
それに今のでびっくりして、涙が止まってしまいました。」
長い息を吐き出して、は身体から力を抜いたようだ。
「夢を見たんです。」
「夢か。」
「はい。
在りし日の両親と祖父とに、誕生日を祝ってもらっている夢でした。
見たのは私が20歳の時のものでした。
あれが最後のお祝いになりましたが。
その席上、目の前から3人が消えていく夢でした。
母と祖父は父の手にかかり、その父を私が討つと言う
血生臭く嫌な最後だったと言うのに・・・・。
目を閉じれば今もはっきりと思い出すことが出来ます。
でも、夢の中で3人は私に向かって微笑んでいました。
どんなにつらくても、苦しくても、泣かないって決めていたのに、
我慢が出来なくなってしまったんです。」
下を向いて、大きく息をすると「申し訳ありません。」と、
俺の腕の中では謝った。
ささやかではあるが、俺にも誕生日を祝ってもらった経験がある。
俺を河から拾った日を誕生日と言って祝ってくれたお師匠様。
あの懐かしい微笑んだ顔を思い出した。
「20歳になってすぐに、この海鏡刀を父から継承した日に、
私は祖父よりも父よりも強くなることを誓ったというのに、
まだまだ弱いんですね。」
自嘲気味な笑いがフフッと漏れた。
「十分強いと思うが足りねぇのか。」
俺はの身体に必要以上に触れないように気をつけながら、そう尋ねた。
嫌がらないのなら、力ずくで拘束する必要など無い。
ただ、お互いの温かさを感じる程度で、そばにいればいい。
「父や祖父は私が強くなることを、事のほか喜んでくれました。
私もそれに答えたかったから、強くなれました。
もう誰にも私の強さを求めてもらえませんから。」
懐かしそうに、悲しそうにが話す。
「じゃあ、今度は俺のためにしろ。
俺の足手まといにならにように強くなれ。」
「ありがとうございます。」
そう言って俺の言葉に彼女はこくんとうなずいた。
守らなくてもいいほど強ければ、このままそばに置ける。
そう思った。
西へと近づけば、もっと強くてもっと激しい戦闘が待っている。
置いて行けないのなら、連れて行くしかない。
だったら、強いほうが安心だ。
悟空と違わないほどの背丈でも、女と言うだけで
これほど小さく感じるものなのかと、
腕の中の彼女の身体に戸惑った。
これでよくも悟空と互角に戦えると、思うほどだ。
同じものを使っているはずなのに、
石鹸の匂いがこんなに甘く感じる。
俺の中に何かが芽生えた夜になった。
執筆者:宝珠
2005.11.25up

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