百色捺染 八戒編
『=ひゃくしょくなせん。
同じ模様が現われるように、 固形色糊で模様を作る特殊な技法』




荒っぽいジープでの旅。
早朝に宿を立ち、終日西へ向かって道をとる。
上手く行けば次の街に着くけれど、
此処まで西へと近づくと、街と街の間隔はどんどん広くなる。
それだけ人間が少なくなっているということだろうか。
それはつまり、野宿が増えるという事になる。
2日で行ける筈が3日になり、4日に延びる。
旅程が思惑通りに運ばないのは、そこに障害があるからだ。
「だんだん時間と場所を選ばなくなって来ていますね。
まったく、困った人たちです。」
八戒がそう口にして、気孔波を放つ。
光の放たれた道筋にいた妖怪たちは、それに触れると塵のように消えてしまった。
「だよなぁ〜。
飯と睡眠は邪魔されたくねぇよ・・・なっ。」
如意棒を三節棍に変化させたモノを振り回しながら、妖怪をのしていく。
一行にとって、吠登城からの刺客との戦闘は、日常の一部になっている。
会話をしながら、夕食のメニューを考えながら、明日の天気を気にしながら。
今夜の宿を心配しながら戦うなんて、平気なのだ。



「こんな旅をどの位前から?」
宿の食堂で食後のお茶を飲みながら、向かいに座る八戒に尋ねてみた。
宿に着くなり、どこかへと姿を消した悟浄以外の4人はちゃんとここにいる。
けれども、三蔵はいつものように新聞を広げて私たちの視線と会話から、
己を遮断しているようだし、悟空は先ほど戦闘で使ったエネルギーの補充に
食後のデザートにはいささか多い皿のものを食べるのに、
余念がない様子で、答えてくれそうもない。
こういう話はどうしても八戒に振る事が多くなる。
そして、それに一番に真摯に答えてくれそうなのも八戒なのだ。
「先日確認しましたけど、確か1年以上前です。」
「もう、そんなになるんだ。
旅を日常にするってどんな感じ?」
自分だって既にその仲間になっている。
けれど、私が増えたからといって旅のスタイルを変えたようなことは
ないだろうから、こうして一緒に旅をしていればなんとなく分かる。
それでも、尋ねてみたかった。



一口お茶をすすった八戒は、いつものように微笑んで私を見た。
「西に向かっているだけですからね。
旅の目的は分かっていますけれど、
それは三蔵が受けた任務であって、本来は僕たちの仕事じゃありません。
けれども、桃源郷の今を見てしまったら、
何とかしないといけないという気にはなりますね。
吠登城の明確な位置を示す地図はありませんから、
向かう先が『此処ですよ。』という説明のしようもありませんしね。
後どの位で着くのか、どんな所なのかも分かりません。
そういう点では、明日の事も分からないわけです。」
「そうなんだ。」
そう返事をして私もお茶を飲んだ。
1年もそういう状態にあれば、達観できるのかもしれないと思う。
でも、行く先も分からなくて不安にならないものだろうかと、
新たな興味がわいた。



私の顔に思っていたことでも浮かんでいたのだろうか、
八戒はにっこり笑って湯飲みをテーブルに置いた。
、昔の人に言わせれば、人生も旅の一種らしいですからね。
移動する旅はしていなくても、人は皆、
人生を旅しているということになるらしいですよ。
当たり前の事ですけれど、明日自分がどうなるかなんて分からないから
いいと僕は思うんです。
もし、それが分かる人が居たら、怖くて生きていられないかもしれないと、
思います。
明日起こることが、自分のことなら受け入れられるかもしれません。
でも、自分の小さな思い付きや行動が、
誰かにとって取り返しのつかないことを起こしてしまうかもしれない。
そして、そのことで自分が人生最大の後悔を抱える事になるかもしれない。
そんな事が明日おこると分かるなんて嫌でしょう。」
話の途中から、八戒の目はどこか遠い所を見ているように感じた。
その事をいまだに鮮明に覚えているように。



何故かそれについて『八戒にはそんな経験があるの?』とは、
尋ねてみる気にはならなかった。
いつもの八戒ではないような気がしたから・・・・。
隣を見ればあれほど食事に集中していた悟空が、
鳥の骨付き肉を手にしたまま動かずに悲しそうな表情をしていた。
新聞の向こうで関係ない態度を装っている三蔵様も、
紙面をカサリと音をさせることもなく静かだ。
あぁ、2人とも今の八戒の言葉の裏に隠された過去の事と、
それについての八戒の心の痛みや傷の深さを知っているんだと思った。
そしてそれは、簡単には口に出来ない事なんだろう。
そう思った。
私だって、あの日、母と祖父を殺した狂った父を、
この手にかけなければならないと知っていたら、
恐ろしくてどうにかなっていたのかも知れない。



だが、私には先ず黄櫨流(はじりゅう)宗家としてしなければならない事があった。
自分の手で実の父を殺した事を、嘆き悲しんで浸っている事は、
許されなかった。
いや、それを私自身が許さなかった。
駆けつけた弟子にそのことを打ち明け、祖父と母の葬儀を簡単に済ませ、
亡骸を埋葬しなければならなかった。
そして、旅に出る事を決めて、その準備をした。
それがかえって悲しみから立ち直る杖になったと思う。
信頼できる三蔵様や八戒や悟浄に問われれば、
事実は事実として受け入れる為にも話して来た。
自分に言い聞かせる為でもあったかもしれない。
私は祖父と母の敵を討つためとは言え、父をこの手にかけたのだと。
平気になったのではない。
今も胸に重くしこりが残り、思い出すだけでズキズキと痛む。



だけど、父が妖怪として自我を失い母を殺し祖父を殺し、そのまま生きていたとして、
私たち家族や父本人だけでなく、もっと多くの人を不幸にするのを見るくらいなら、
やっぱり私は父をこの手で冥府へと送るだろう。
あの時は此処まで逡巡する時間がなかった。
祖父に言われるなり、切りつけてきた父の刃を交わすだけで精一杯だった。
でももう一度、同じ場面に立ったとしても、同じ道を選択するだろうと。
そう、これは私が選び取った道だ。
父がああなった原因を探り、それが父本人の希望する所ではなく、
不可抗力によるものだと証明する。
せめて父の汚名をそそぎたいと思う。
私にとってこの西への旅は、巡礼の旅でもある。
八戒もそうかもしれない・・・・と、そんなことを考えた。
この西への旅がと言うのではなく、八戒の今の生そのものが
巡礼なのかもしれない。



「じゃあ、この旅に出てからみんな一歳づつ歳を取ったんだね。
旅の空で誕生日を迎えるのも、いい思い出になるかな。
みんなの誕生日っていつ?」
話題を明るい方に振ったつもりだった。
きっとこの4人の事だから、誰かの誕生日には酒盛りをして、
羽目を外したに違いないと思ったから。
何か面白い話があるに違いないと。
なのに、さっきより八戒は悲しそうな気配を濃くし、
悟空は肉を手から皿に戻してしまった。
紙面の向こうで、三蔵様の態度と気配は先ほどより冷たくなったように感じる。
私、気付かない内に地雷を踏んでしまったんだと思った。
後入りの私が、気さくに話の中に入ってはいけないのかもしれない。
私の知らない1年が、重く厚い壁となって立ちふさがっている様に感じる。
みんなの事を知るためには、話さなくてはならない。
けれども話す事で、悲しませたり、嫌われたくはない。
「ご・・・ごめんなさい。
先に休みます。」
椅子から立ち上がると、その場から逃げるように立ち去った。
今夜の部屋の前まで来て、鍵がないことに気がついた。
仕方なく目に付いたすぐそばの非常口から外に出て、その階段に腰を掛けた。



夕闇の迫る空は、夕日を反射して綺麗に光るオレンジ色の雲から
暗い青へと、グラデーションを描いている。
暗くなった空の所には、星が幾つか瞬いている。
「嫌われちゃたかな。」
階段横の壁にもたれてそうつぶやいた。
「そんな事ありませんよ。」
そう後から返事があって、隣に八戒が腰を降ろした。
八戒だと分かったのは、声と洋服でだ。
今の私には、八戒の顔を見上げる事は出来なかった。
「なんか、聞いちゃいけないことを聞いてしまったみたいだよね。
嫌な思いをさせてごめんなさい。」
足元に続く階段を見たまま隣の八戒に謝った。



は毎年誕生日を祝ってもらったんでしょうね。
ご両親とお爺さんに囲まれて。
何か贈り物ももらいましたか?」
「うん、いつもそうだった。」
「そうですか。」
そこで、八戒も黙ってしまった。
何処からかお母さんが子供を叱る声が聞こえてきて、
その内容が可愛いものだったから、思わず口元が緩んだ。
お母さんの事を思い出して、キュンと胸が苦しくなった。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。
何度か瞬きを繰り返して、涙をやり過ごした。
「ん〜、でも、今度からは1人で過ごす事になるよ。
誰もいなくなっちゃったから。」
「そうですか、奇遇ですね。
僕もなんです。」
その八戒の言葉に、思わず顔をあげた。
「八戒もなの?」
「えぇ、僕だけじゃありませんよ。
悟浄も悟空も三蔵も、みんな一人です。
だから、さっきの話でを嫌いになったりなんてしません。
知らなかったんですし、僕らは慣れてますから。」
「ごめんね。ありがとう。」
慣れているはずなんてないことは分かっている。
どんなに慣れていても1人は寂しい。



はこれからが辛いはずです。
貴女は、そういう幸せを知っていますからね。
家族の温かさや暮らしを・・・・。
少しでもそういうものを知っていると、
知らなかった頃には戻れませんから。
それに、代わるものもないでしょうし。
気を使わせてしまいましたね、辛かったでしょう。」
そう言われて、今しがたやり過ごした涙が戻ってきた。
「うん・・・ご・・ごめんね。」
一度堰を切った涙は止める事が出来なくて、どんどん溢れてくる。
「そんな事気にしないで下さい。」
八戒はそう言って肩を抱き寄せてくれた。
その仕草には邪な思いは感じられなかった。
ただ慰めようとしてくれていると思った。
素直に身体を八戒に預ける。
もたれた胸の温もりと背中を撫でてくれる大きな手に、
優しかった父を思い出した。



「この旅が次のの誕生日の時にも続いていたら、
僕に教えてください。
いえ、例え終わっていてもそうして下さい。
お祝いしてあげますね。
何か美味しいものを食べましょう。
もちろん三蔵の持っているカードで。」
「うん、ありがとう。」
「三蔵も悟空も気になんかしてないと思いますから、
むしろのことを心配していたんだと思いますよ。
だから、いつも通りのでいいんです。」
覗き込むように微笑んでくれた八戒に、何度も頷き返した。






2005年八戒生誕記念として
執筆者:宝珠
2005.09.16up