ベビーリング 2




「私達、何か誤解していたみたい。今言った事は忘れてくださいね。じゃ、ごきげんよう。」
首謀者らしい人が引きつった笑顔で私にそう告げると、その取り巻きらしい人たちは、逃げるように立ち去っていった。
「まったく、日本の社交界をリードして行く人たちがあれじゃぁねぇ。先が思いやられるわ。
せっかくのパーティだと言うのに、災難だったわね。」
安住さんはため息のような息を吐きながら、小走りで去る彼女達の背中を見て言った。
「はい、お口添え頂きましてありがとうございました。」
年上と言う事もあって、丁寧にお礼を口にする。
「ううん、いいの。私も昔同じようなこと言われたから・・・。それに、お義父様とも左近様とも親しくさせていただいているのよ。
だから、人事とは思えなくて・・・。」
私を見て綺麗に笑った安住さんは、「じゃ、少しお話しましょう。」と、私を誘ってくれた。



「左近さんも罪な人ね。こんな可愛い婚約者がいるのに、ああして誰かの心を虜にしてしまうんだから。」
ため息混じりに安住さんが、口元だけで笑った。
「しょうがない事とは言え、これからも同じような目にあうかもしれないわ。でも、素敵な男性を独り占めにしたんだから、仕方が無いわね。
左近さんもきっと種類は違っても同じような事を言われていると思うわ。こんな可愛い人と婚約したんですもの。
ただねぇ、男性はからかったりうらやんだりはするものの、ああいう嫌がらせはしないもんね。こういう陰湿さは、女性特有ね。
自分も同じ女だと思うと、ちょっと嫌になるわ。」
そう言って私を見る安住さんの瞳は、少し潤んでいるように見えた。
それはほんの少しのことで、近視の人特有のそれのように見えたから、その時は気にならなかった。



そのまま、安住さんと談笑していると、彼女の友人知人が一緒になって話に加わって来た。
私には知らない人たちばかりだったけれど、とても温かく接してもらえて、その後は嫌な思いをしないで済んだ。
私は視界に左近ちゃんの姿を見つけて、彼がこっちを見ないか気にしていると、偶然にも左近ちゃんと目があった。
好きな人に気にしてもらえる喜び。
それは、恋する女の子なら誰でも感じることだろう。
私と目があった左近ちゃんは、私を見て微笑んだ後、隣にいる安住さんを見てわずかに目を細めて表情がゆがんだように見えた。
でもそれは見間違いかと思うほどに一瞬のこと。
勘違いかと思うほどだ。
瞬きでもしていれば、気付かなかったかもしれない。
女の第六感とでも言うのだろうか、何かがあるのではないかと思った。
知らないままでいた方がいいような気がするのに、知りたくてたまらなくなるような事。
どうしたらいいんだろう。
分からなくなる。



答えを出せないままで、パーティはそのまま過ごした。
さっき女の子達が話していた言葉が、何度もリフレインする。
何処までが本当で、何処までが噂なんだろう。
彼女達の言葉を借りれば、この2年ほどは左近ちゃんに特定の女性はいないという事だったし、遊びでも女性とは離れていたらしい。
私の事を想っていたというのは、全て嘘ではないのだろう。
けれど、そんな風に見せている・・・って、言ってたなぁ。
帰りの車の中でも頭の中はどうすればいいのかと、そればかり。
自然と無口になった。
「どうした?今夜はやけに静かだな。はしゃいでいたみたいだから、疲れたのか?」
黙っている私に左近ちゃんが声をかけてくれた。
私の中で考えがまとまらない以上は、口に出すべき問題じゃない。
そう思った。
どうせ、今問い詰めたとしても、上手く交わされるに決まっている。
左近ちゃんも安住さんもそれくらいは世慣れているし、大人だ。
私より早く大人になっているから、それだけ私の知らない時間がある。
それに左近ちゃんはもてるから、女性が放っておかなかっただろう。
それは分かっている。
・・・頭では。
それに男の人は、心と身体は別だって言うから・・・。



もし、私に満足してなくて、他に女性がいたとして、それを尋ねて答えてくれるはずが無い。
左近ちゃんの好きだという言葉を疑っているわけじゃない。
それは本心だと思う。
指輪だって、いい加減な気持ちで買える額のものじゃない。
けれど、小さい時から可愛がって育てた私が、誰か他の男のものになるのは我慢が出来なくて、それで自分のものにしたということは考えられる。
だって、世の中の父親は、娘の恋人に嫉妬すると聞く。
嫁に出したくないと聞く。
その気持ちを履き違えているかもしれない。
そう思った。
それを聞くなら、お義父さんしかいないような気がした。
「そうかも。今夜は安住さんのおかげで、とても楽しかったから。疲れちゃったかな。」
それから家に着くまで、黙ったまま過ごした。
左近ちゃんも話しかけては来なかった。
何処か腫れ物にでも触るような気遣いが感じられる。
今夜の話をすれば、私は必ず安住さんの話をするからだ。
彼女の話は避けたいみたいに思ってしまうのは、考えすぎだろうか。



翌日。
左近ちゃんよりも絶対に帰りの早いお義父さんを捕まえるのは、思ったより簡単だった。
お義父さんは、私が小さい頃は私との時間をできるだけ取る為に、橘が生まれてからは、橘との時間を大事にする為に意外と帰宅が早い。
橘がベッドへ入ってから書斎で仕事をするのが、在宅している夜の定番だからだ。
それに比べると、商談や接待を受け持っている左近ちゃんの帰宅は遅い。
お義父さんと話すチャンスは、すぐに出来た。
書斎にお義父さんが入ったのを確認して、キッチンでコーヒーを淹れた。
書斎を訪ねる切欠が欲しかったからだ。
お母さんには「あら、サービスいいわね。
何かおねだりでもあるの?」
なんて、子供っぽいことで問いかけをされたけれど、笑ってごまかしておいた。
そんな可愛い話なら、こんなに気も重くないに違いない。



書斎のドアをノックをすると、中から「どうぞ。」と声をかけられた。
入ってお義父さんを見ると、ちょっと意外そうな表情でこちらを見ている。
それはそうだろう。
いつもならお母さんが来ているから。
それでも「ありがとう。」と、礼を言ってくれるとソファへと移動してくれた。
コーヒーを一口飲むと「話してごらん。」とにっこり微笑んでくれた。
この人のすごいところは、忙しいのに家族のことはきちんと見ているところだ。
私が何かの話に来たことも、言わなくてもちゃんと分かってくれた。
「うん、ありがとう。でも、本当にくだらない事なんだよ。私の思い違いなのかもしれない。
でも・・・、でもね、気になりだしたらとまらないの。そして、相談できるのはお義父さんしか思いつかなくて・・・。」
「うん、それでもいいから、言ってみて。それに、左近じゃなくて私を頼ってくれてうれしいし・・・。」
お義父さんの言葉にうながされて、相談してみる決心がついた。



一通り話し終えて、自分の中でも話が整理されたような気がした。
説明すると言う事は、自分で理解していなくちゃ出来ないからだろう。
自分で自分が馬鹿馬鹿しくなるような話だと思う。
何も確証も証拠もない。
ただの想像でしかない。
それでも、切ないくらいに胸が締め付けられる。
お義父さんが黙ってティシュの箱を差し出してくれるまで、自分が泣いている事も気づかなかった。
ちゃんにどう言ってあげたらいいのか、悩むところなんだけれど、先ず左近の兄貴として言わせてもらえば、あいつはちゃんに本当にベタ惚れなんだ。
ちゃんと一緒に暮らし始めた頃は、どう思っていたか知らないけれど、今はちゃんなしではいられないだろうね。
だから、今現在、左近が他の誰かと付き合ったりしてはいないと思う。
もちろん、浮気も問題外だ。それが、ちゃんに知られたら、婚約も結婚もありえないだろうからね。何より洋子さんが許さないだろうし、私も反対すると思うよ。」
楽しそうにクスクス笑ってお義父さんは言った。





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2006.12.10up