ベビーリング 1




今までとは違うポジションでのパーティに、ちょっと緊張したせいかいつもならどうと言う事もないお酒の量なのに、なんだかアルコールのまわりが早いような気がする。
手にしているフルートグラスの中のシャンパンは、あと一口。
こちらに空のお盆を手にして歩いてくるボーイさんを発見して、その中身を口に入れてしまう。
底に少しだけだったから、思ったより少ないことに胸を撫で下ろす。
軽くグラスを振ると、ボーイさんは気づいてくれてグラスを下げてくれた。
お替りはいらないと小さく断る。
2歩ほど離れて知り合いと話し込んでいる左近ちゃんのそばに寄る。
腕をトントンと軽く叩き「化粧室に行ってくるね。」と小声で伝えた。
もう、挨拶は終わっているから、その相手にも軽く会釈だけにして離れる。
急に動くと足元が危ないから、ゆっくりと出口に向かった。



植え込みの影に椅子があったので、それに座って先ずは足を休める。
いつもより高めのヒールだから、足がだるい。
そばを通ったボーイに水を頼んで受け取った。
口に含んで喉に水を流すとほっとする。
身体の中のアルコールを薄めれば、楽になるはずだから大丈夫。
ゆっくりと水を飲んで呼吸をしたら、酔いもさめてくる。
グラスを入り口付近のテーブルに置いて、今度こそ化粧室へと向かった。
確かに私はお義父さんの実の娘じゃないけれど、それでも小さい頃から左近ちゃんに厳しく仕込まれてきたせいか、その辺のお嬢様よりもお嬢様らしいと、名家の子女ばかりが通う母校の友人達が、口を揃えて言ってくれる折り紙つきだ。
挨拶や立ち居振る舞いも心配ないと思う。
緊張しすぎで酔ったんだなと、自分で自分がおかしくなった。



化粧室の個室から出て手を洗い、パウダーコーナーから出て会場に戻ったところで、女性達が集まっているスイーツのテーブルの前を通った。
耳に自分の名前が入ったのを聞いて、思わず足を止めた。
女性が数人で話をしている。
私の名前が出た後で、すぐに左近ちゃんの名前も出た。
「春野の左近さん、やっぱり奥さんの連れ子と婚約したみたいね。」
「あぁ、やっぱり。光源氏が紫の上を育てているって、有名だったもん。私の妹が彼女の先輩で同じ高校に通っていたんだけど、2年連続で学校代表に選ばれたらしいから・・・。あの高校の学校代表になるって、生徒会長より注目されるからね。」
「紫の上?」
「そう、光源氏が自分の理想の女性に近づくように、紫の上を育てたでしょ。左近さんは、あの子をそんな風に育てたらしいよ。妹がね、年下でも憧れるって言うほど理想的なお嬢様らしいから。それにこの間、高辻の宮家の実仁(さねひと)親王とご婚約の噂が出たじゃない。春野家の養女だけど、本人はその位優秀ということみたいよ。」
「じゃ、今のうちに仲良くなっておこうかな。春野とのつながりは損にならないし・・・。」
「私は許さないわ。」
と、話題をさえぎるように、一人声音が違う女性が発言した。



「あの左近と言う男は、本当に光源氏と同じなのよ。そんな綺麗な女の子を育てておきながら、自分の欲望の処理に身体だけの女を求めたりしていたのよ。
彼女が大学生になった頃からは、さすがに禁欲生活をしているらしいけれど、ひょっとしたら私が知らないところでは、今も誰かを・・・。」
その人たちがフロアに振り返ったところで、私を見つけたのだ。
それで、言葉がポツンと切れた。
左近ちゃんを悪く言っていた女性は、私を見て最初こそ驚いたようだったが、すぐにクスッと意地悪そうに笑った。
「これはこれは、左近さんの紫の上じゃありませんこと。今の話を立ち聞きされたのかしら?あまり、お行儀が悪いと左近さんが恥しい思いをするわよ。」
「・・・・・・。」
私には何を言えばいいのか思い浮かばなかった。
「あら、なにも仰らないの?」
彼女は黙っている私を見て、棘のある言葉を投げてくる。
「私は貴女が子供で左近の相手を出来なかった頃には、こういうパーティでパートナーをよく務めてあげてたのよ。それこそ、ベッドでもね。」
彼女の取り巻きだろうか、一緒にいる女性達もクスクス笑って私をさげすむように見ている。



確かに私と左近ちゃんには、年齢差がある。
左近ちゃんと私が家族になったのは、私が8歳左近ちゃんが16歳の時だ。
既に思春期に入っていた左近ちゃんが、小学校2年生の女の子を性や恋愛の対象にするはずがない。
他の理由として、私は義姉の連れ子ということから、軽率に恋情をいだいたりする対象なんかになれなかったことは、想像できる。
だから、私が左近ちゃんとそういう関係になるまで、いくらかの女性との付き合いがあってもなんら不思議じゃない。
むしろ何もない方がおかしいと思わなければならない。
頭ではそう理解できる。
でも、心でも出来るかと言えば、そうではない。
このパーティに来ているということは、家柄などもそれなりの人たちだろう。
だとすれば、この先何度も顔を合わせることになる。
だったら、冷静になって対処しないと・・・。
負けたままではこれからも意地悪され続けなければならなくなる。
さすがにそれは嫌だ。



思わず、心細さに左近ちゃんを会場内に探した。
帰ってこない私を、目だけで探している左近ちゃんと視線が合った。
口角がわずかに上がって、私のために笑ったのが分かった。
さっきとは違う人と歓談しているから、すぐには来ないみたいだ。
それならこれからのためにも、ここは自分で切り抜けるしかない。
だけど、こんな意地の悪い女性と左近ちゃんが本当に付き合うだろうか?
遊びとはいえ、彼ならこんな女性は選ばないんじゃないかと思った。
もし、本当に左近ちゃんとこの人が関係があったとしたのなら、左近ちゃんすごく趣味が悪い。
ちょっとがっかりだな。
どう言い負かそうか・・・と、言葉を捜そうとした矢先。
「そんな嘘はつかない方がいいわ。」と、私の背中から声がかかった。
前方にいる意地悪な彼女達の表情が、一気にゆがんで渋いものに変わった。
登場するだけで、形勢を逆転するほどの力を持つ女性。
いったい誰だろうと、私は声を掛けてくれた女性を振り返って見た。



あぁ、この人か・・・と、私が思うほどにその女性は有名だ。
彼女は安住芳江(あずみ よしえ)。
亡くなった安住財閥のご長男の奥さんで、未亡人だ。
現在、安住財閥はその旦那さまの弟さんが継いでいると聞いたことがある。
急な事故で亡くなったというその旦那様との結婚生活は、5年未満で海外赴任の期間もあったので子供はいないと。
30代後半くらいの年齢なのに、どう見ても20代後半にしか見えないほど、若く艶のある肌をしていると思った。
優雅な所作で私の横に立つと、にっこりと綺麗に笑いかけてくれた。
そして、今まで勝ち誇った顔をして私を見ていた人たちを、きりっとした目で見据えた。
「それぞれに名のある財閥や会社の令嬢たちが、1人を囲んでいじめをするなんて、お行儀が悪いのね。この方を何処の財閥のお嬢様か知っていてやっているの?あの春野コンツェルンの人なのよ。そりゃ奥様の連れ子かも知れないけれど、養子縁組をしているでしょうし。何より、総帥がとても可愛がっていると聞きおよんでいるわ。
この人が貴女たちの会社に圧力を掛けてくれと、お義父様に頼んだとしたら、きっと総帥は全力でおやりになるでしょう。それに、婚約した相手はその弟さんで次期総帥なのよ。貴女達ったら怖いもの知らずにも限度があるわ。さあ、さっさと無礼をお詫びして。」
安住さんの言葉に彼女達の顔が段々と青ざめていくのが分かった。





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2006.11.30up