ベビーサークル 2




誰にも渡さない。
にマスコミが接触してきたらしいと兄貴から聞いて、その理由を聞いて先ず思ったことが、これだった。
そう、を誰にも渡さない。
例えそれが、俺の上を行く相手であってもだ。
その為になら、自分の手を汚しても構わないとさえ思う。
まあ、それはものの例えだが・・・。
手塩に掛けてここまで育てて、ようやく自分の思いを明かすことができたと言うのに・・・。
そして、もそれに応えてくれていると言うのに、今更横取りなどさせない。
そう思った。
けれど今回の話は、に選択権があると思う。
誰を選ぶかは、彼女の権利だ。
もし、が俺じゃ与えられない何かを求めるのならば、仕方がないことだと思う。
まあ、出来る限りで俺も努力はするつもりだけれど・・・。
逆立ちしても叶えてやれないものもある。
を手に入れる前の話だったら、こう考えて手を引けたかもしれない。
けれども今となっては無理だ。



だから、以前から手に入れておいたマンションにを連れて行った。
兄貴にも了解は取ってある。
隠れ家にするつもりで、誰にも話していないから、をハイエナのようなマスコミから守ってやれるだろう。
もちろん、にも注意はさせないと駄目だが・・・。
問題は大学の帰路だ。
幸い、俺専用の運転手をまわしてやることが出来た。
彼は、親父の運転手だった人で、とても優秀だから安心だ。
その息子が、兄貴の運転手になっている。
兄貴の動きはハードだからと、息子に会長の運転手の座を譲って俺の運転手になった人だ。
だから、もちろん、のこともよく知っている。
今回のことでは、家のもの皆がを心配しているのだ。
が帰れないからと、俺が代わりに家に顔を出すと、『お嬢様はどうされておいででしょうか?』と皆が口を揃えて尋ねる。
これだけ慕われているのだと、改めて感じる。
連中には大丈夫だからと、言ってやる。
俺が守ってやるからと・・・。
そう口にすることで、有言実行しようと自分に言い聞かせる。



世間が静かになるまで、少しの間は2人だけの生活だ。
俺はいつでも恋人としての態度が出来るから気に入っているけれど、今まで大勢で暮らしていたせいか、に元気が無い。
兄貴と電話で話した後は、今にも雨が降り出しそうな気配だ。
薄く華奢な肩が、もっと小さく見える。
後ろからそっと抱きしめた。
俺が居るからと伝えてやりたくて。
そう、言葉ではなく、今に必要なのはぬくもりだと思うから。
軽い抵抗をして見せるのは、恥ずかしいからだ。
素直に従ってしまうことに照れているだけ。
だから、それは抵抗とは呼ばない。
むしろ、そんな風に可愛い事をして見せれば、俺をより煽ることになるのにそんなことには気づいていないらしい。
それは時に誘惑になりえる。
軽く、というつもりでものその仕草についつい事を進めてしまう。



そして、今夜もやっぱりそうなった。
、俺がいるから・・・な。もう少しの間だから・・・。」
腕の中に抱き込んで、そう耳元に囁いてやる。
「うん、分かってる。左近ちゃんがいるから大丈夫。寂しくなんてないよ。」
けなげにもそう答えてくる
けれどもその声は、既に潤んでいる。
「あーっと、あれだ。こんな時だからこそ、橘には手紙でも書いてやったらどうだろう。普段は出来ないことだろ?きっと喜ぶぞ。俺に預けてくれれば、兄貴に渡してやれるから。返事もそうやってくれるように言っておけばいいし。」
何とか元気を出させようと、苦し紛れにそんなことを提案してみる。
「それいいかも。きっと、たっくん喜ぶよね。」
雨が降りそうだったのに、一転五月晴れのような爽やかな笑顔を見せる。
「あぁ、そりゃすごく喜ぶに決まってるさ。大好きなお姉ちゃんからのお手紙だからな。きっとすぐに返事を書くんじゃないか。」
ここにはいないはずの小さいライバルが、を笑顔にしているかと思うと、あまりいい気分じゃない。
それでも、泣かれるよりはましだと、心の中で密かに愚痴た。



「じゃあ、明日持っていってもらおうかな。左近ちゃんお願いね。」
腕の中からするりと抜け出すと、大学用のかばんを手にして
中を覗き込んでいる。
「何に書こうかな。今日のところは、レポート用紙しかないなぁ。」
なんてつぶやきながら、紙と筆記用具を出している。
その気になった俺はどうしてくれるんだ。
そう言おうとを見れば、紙面に向かって嬉しそうに何かを書き始めている。
その様子に、盛大なため息が出た。
あの様子では、今無理やりにベッドへと連れて行っても、きっと拒絶されるに違いない。
橘への手紙にを取られた格好になった俺は、足をキッチンへと向けると冷蔵庫の中から缶ビールを取り出して、プルトップを開け口をつけた。
泡がはじけるのを感じながら、苦味があるそれを喉に流す。
爽やかとは言えないが、慣れた感覚に少し落ち着いた。
リビングに戻るとソファに腰を落とした。



「ところで、何か変わったことはないか?大学の行き帰りはちゃんと車を呼んでいるか?何かあったらすぐに連絡しろよ。」
書いた紙をなんだか複雑な折り方をしている手元を見ながら、にいつもの注意を与える。
「ん、分かってます。買い物も全部帰りに済ましているし、帰ってきたらここから一歩も出かけないようにしているから、大丈夫。友達にも当分は遊べないって言ってあるし、親しい子にだけはその理由も話したから・・・。私だって、お妃候補なんて喜んでなんかいないんだから。左近ちゃんだって、分かってるでしょ?」
たためた紙に表書きを終えると、は立ち上がってテーブルを回り込み俺の隣に腰を掛けた。
「左近ちゃんの方で何かあったの?」
下から覗き込むように俺をうかがう。
その心配げな表情に、空いている片手を頬へと滑らせた。
「何も無いさ。何かあったら今頃こうしてなんていられないだろ?くどいようだけれど、気をつけるんだぞ。みんなで心配しているんだからな。もちろん俺が一番してるけど・・・。」
「うん。」
頬をそっと撫でて、そのまま肩へと下ろす。
抱き寄せてやれば、大人しく寄り添ってきた。



いつでもこうしていられればいいのに・・・と、思う。
それが叶えられない事と知っていても、だ。
誰にも触らせず、誰の目にも見られないように。
それが出来ればどんなにか安心して過ごすことができるだろう。
今の自分は、配偶者でもなければ、婚約者でもない。
身内として近しい位置にいられることしか出来ない。
それでも普通の恋人から見れば、随分恵まれているが・・・。
自分の気持ちを表現するには全然足りないし、満足も出来ない。
「何処にも行くな。ここに居るんだぞ。」
それは物理的な問題ではなく。
気持ちのこと。
それを感じてくれているのか、も黙って頷いてくれた。
ソファの上で膝立ちをすると、首に腕を回して抱きついてきた。
「何処にも行かないよ。だから、離さないで。」
華奢な腰に腕を回して抱きしめた。



お互いに不安なんだ、と思う。
今まで誰にも引き裂かれるようなことも無かったし、邪魔されるようなことも無かった。
どちらかと言えば、見守られて来たと言っていい。
だからだろう。
の肩が震えている。
しっかりしなければ・・・と、改めて思った。
を守るはずの俺が不安になっていたのでは、この腕の中にいるが心細いのは当たり前だ。
ここで、を守らなければ、いつ守ってやったと言えるだろう。
そんな気がした。





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2006.06.20up