ベビーフード 2




「どうぞ、姫。」
助手席のドアを恭しく開けてくれて、左近ちゃんはそう言って微笑んだ。
いつも彼女をこんな風にエスコートするんだろうか?
それともやっぱり、可愛い女の子を大人びた扱いで嬉しくさせているだけだろうか?
左近ちゃんの表情からは良く分からない。
革張りのシートに身体を預けて、シートベルトに手を伸ばす。
その間に左近ちゃんは運転席にするりと滑り込んできた。
幼い頃ならともかく、最近じゃ体が触れるほどそばに寄らないから、狭い空間に押し込まれると、途端に相手の存在を強く感じる。
左近ちゃんが着けているコロンの香りが、鼻腔をくすぐる。
大学のクラスメイトが着けている様な野暮な感じではなく、思わずそれを追いかけたくなるようなほのかな香り。
何処までも、大人を感じさせる。



お母さんに見立ててもらったワンピースは、紺色にカフスと襟が白のモノ。
シンプルな分だけ生地の良し悪しが分かる。
カフスと襟に高級レースがあしらわれていて、子供っぽくない。むしろ大人の可愛さをアピールするような服だ。
大人しいデザインで見合い用とも言えるかな。
ただ、スカートはそっけないほど普通なのに、丈が膝上10センチと短い。
こうして車に乗ると、太ももの半分は見えてしまう。
外出にはちょうど良い季節だから、上着は持ってこなかった。
それが少し悔やまれる。
子供だと左近ちゃんは思っているだろうから、きっとなんとも思わないだろうけれど、私の方が恥ずかしくて顔を上げれない。
左近ちゃんにはどう見えているだろう?
そんな事ばかりが気になってしょうがない。



運転席に座った左近ちゃんが、ごそごそと動いた。
「ほら、これ膝にかけとけ。」
視界の横から差し出されたのは、左近ちゃんの上着。
今の音は、これを脱いでいたものだったらしい。
「冷えるし、車高の高い車からだと見えるだろ。」
右手で上着を受け取って、自分の膝にかけた。
左近ちゃんの体温がまだぬくもりとして残っていて温かい。
「ありがとう。」
「ん?あぁ。
俺が見る分には全然構わないけれど、人に見られるのは勿体無いからな。」
見上げれば、微笑みながらウィンクを飛ばす左近ちゃんと視線があう。
「もう、左近ちゃんたら。」
軽く左近ちゃんの左肩を叩く。
「はいはい、照れなくっていいって。
マジで、他の奴には見せたくないんだから、しょうがないだろ。
そのワンピ、お出かけの時にはパシュミナかカーデガンでも持って、座る時には足にかける様にしなきゃ駄目だぞ。
俺の心の平安の為にも。」
私の攻撃を冗談のように受けているくせに、内容は私が嬉しくなるような事を言ってくれる。



いつもだったら、お説教の部分だけで終わりだけれど、その後の一言はいつもの左近ちゃんと違うと思った。
「ん?どうした?」
黙っている私に左近ちゃんは話しかけてきた。
「そんな彼氏がするみたいな心配するなんて変だよ。
まるで嫉妬しているみたいに聞こえる。」
願望も混じった自分の言葉が、そうは聞こえないように軽い感じを装う。
いつでも、左近ちゃんに独占されたいと願っている。
他の男の人に嫉妬してくれたら嬉しいと、夢に描いている。
けれど、実際には左近ちゃんがしてくれるのは、お兄さんかお父さんに近い心配で、決して1人の男の人のものじゃない。
そんなことは確認しなくても知っている。



「そうだと言ったら?」
「えっ。」
「もし、そうだと言ったらはどうする?」
「左近ちゃん、からかっているとしても、そんな冗談やめて。全然笑えないから。左近ちゃんが、そんなことを言うんだったら、もう一緒に出かけない。」
怒りではなく、悲しみの気持ちの方が強く感じた。
車の中でなかったら、今すぐに左近ちゃんの前から立ち去って、何処かで泣きたいくらいだ。
こんな切ない恋を1人で耐えているのに、それを知らない左近ちゃんのことを
恨めしく思ってしまう。
知らないからと言って、許せることと許せないことがある。
「ごめん、怒らせたなら謝る。
でも、俺は真面目に心配しているんだぞ。」
意識を運転に向けて前を向いていても、左近ちゃんの声から冗談ではないのは察する事が出来た。
「ん、分かった。
今度から短めのスカートの時には気をつけるね。」
逆毛立った自分の気持ちを静めるためにも、出来るだけ落ち着いた返答を心がける。



気まずい訳ではないけれど、車内には沈黙が落ちた。
山の手線の内側に住んでいるから、すぐに銀座に着いた。
ウィンドウショッピングを楽しんで、ランチは洋食店で軽くと言うのが私の描いているデートコースだ。
午後は大人の雰囲気漂う「銀座香水瓶美術館」を見る予定。
その後、専門店で私に似合う香水を彼氏に選んでもらう。
やっぱり好きな人には、良い匂いだと思われたいし、彼好みの香りをまとっていたい。
私のイメージで選ぶ、彼の好きな香り。
そのことが自分の好みより大切に思う。
それが終われば夕食前になるはずだから、帰宅することになるだろう。
普通の恋人同士だったら、そこからが本当の時間かもしれないけれど、私と左近ちゃんはそうではないから、その後はない。



そんな私の予定通りに、デートは進んでいく。
ライトを当てられた可愛い香水ビンたちに、私の顔には笑みが浮かんでしまう。
一つ一つをじっくり堪能してその美しさにため息をこぼした。
左近ちゃんが香水ビンに興味があるかどうかは分からないけれど、今日の私は、自分が思い描いた左近ちゃんに相応しく大人っぽい
理想のデートをすることが重要で、それが叶えられればそれで良いと思っていた。
多分、これがデートらしいデートの初めで終わりになると考えたからだ。
だったら、多少の我侭も押し通そうと。
ミュージアムショップで、今日の記念にコロンを一つ選んで買った。
残念ながら左近ちゃんには選んでもらえなかった。
でも、私の選んだコロンを嗅いで「可愛い匂いだね。」と言ってくれた。



左近ちゃんとは、私がどれだけ望んでも添える事はないと思う。
お義父さんもお母さんもきっと反対するだろう。
いずれ、左近ちゃんとのことが、私の中で良い思い出になったら、誰か好きな人が出来ると思うから。
その人と結婚すれば良いと思う。
自分で探す事が出来なければ、それこそお見合いと言う手もある。
それよりも先に、左近ちゃんが誰かと結婚する方が可能性が高い。
そんなことを思っていた。
その日が来れば、今日の事はきっと可愛い姪に振り回された一日として、幸運な花嫁に苦笑しながら語られることになる。
私は、それで良いと思った。
どこに嫁いでも私が左近ちゃんの姪である事には違いない。
それこそ一生関係は続くのだ。



美術館を堪能してから出ると少し西に傾いた太陽が、辺りをオレンジ色に染めようとしている。
、この後予定あるか?」
「ううん、もう何も。夕食には帰ろうと思ってたし。」
お子様タイムは終わりってことだよね。
出来るだけがっかりしないように気をつけて、左近ちゃんを見上げる。
「じゃあ此処までがのデートてことなんだな?」
そう確認するように尋ねられた。
自分に言い聞かせるようにして、その問いに頷く。
「本当は、夜の部もあるはずなんだろ?
大人のデートだって言ってたもんな。」
悪戯を仕掛ける男の子のような顔をして、左近ちゃんが私の顔を覗き込む。
そりゃ、もちろん希望はある。
「けど、それは左近ちゃんとでは駄目でしょ。叔父と姪のデートなら、夕食は家族と一緒でなきゃ。」
気付かない振りをして、明るく答えた。



「確かにが言うとおり、俺とお前は叔父と姪だよ。でも、血が繋がっていないだろ?男と女になった所で、何の支障もない。
自身が俺の事を男として魅力がないというのなら、そりゃ駄目だろうけどさ。
が駄目じゃないなら、此処からは俺の憧れのデートに付き合ってくれよ。
男の俺にだって、夢見るデートくらいあるんだぜ。」
左近ちゃんはそう言って、腕を組めと言わんばかりに肘を差し出してくれた。





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2005.08.24up