ベビー・ピンク 1




「じゃあ、ドレスは当日までのお楽しみってことにしておくね。」と、は俺にウィンクして部屋を出て行った。
物分りのいい女はありがたい。
そう思いながらその背を見送る。
数歩の足音の後、廊下の向こうでドアが閉まる音がした。
息を吸い込んで、肩の力を抜きながら一気に吐き出した。
なんにしても、を怒らせずに済んだことにほっとした。
結婚を前にして相手の女性を怒らせるのは得策ではない。
兄貴の心遣いにも感謝だな。
さっきの続きを・・・と、パソコンのブラウザを立ち上げる。
ティアラではなく、クラウン。
俺にとってという存在は、お姫様じゃない。
それは、が幼女や少女の頃の話だ。
彼女が『女』になってからは、自国の王女と言うよりも隣国の女王といった感じになっている。
きちんと外交しないと問題が起きるし、交渉が決裂すれば戦争が起きることもあるし、時には国交断絶ということもあるからだ。
ただ、ありがたいことには、必ず家族としての愛情で仲裁の手が差し伸べられることだ。
何度それに救われた事か・・・。



と俺の関係が崩れそうになってしまったことがある。
が中学の頃のことだ。
あの頃、俺はが少女から女へと変化していくのを見て、手を出してはいけないという自分に課した誓約を守ることにジリジリと苛立ち、まるでさなぎが蝶に羽化するようなその美しさに焦っていたのだと思う。
俺の人生の中で、一番女遊びと酒量が多かった時期だ。
何かで紛らわせていないとに俺の内部の熱を全てぶつけてしまいそうだった。
つまり怖かったのだ。
それから逃げる為には彼女を見ないようにしていた。
嫌われたら立ち直れない事は自分でも分かっているから、喧嘩はしないように気をつけてはいた。
でも、多感な思春期のは、廊下やダイニングで顔を合わしても口も利いてくれないくらいに怒っていた。
話をしようとしても『お酒臭い』とか『香水の匂いがして嫌だ』とか言われてしまう。
実際にはそんなことはないのに、俺の素行から来るイメージが悪かったんだと思う。



「いい加減にしないと、本当に嫌われてしまうぞ。」と、兄貴に釘を刺された。
が本当に俺を本格的に避け始めた頃だったと思う。
言われてみれば確かにしばらく顔を見ていなかった。
ひょっとしたらと思い返せば1週間は声も聞いていない。
同じ屋根の下に住んでいて顔を見ないばかりか声も聞いていないというのは、どう考えても異常事態だ。
俺の顔色を見て兄貴がなんだかうれしそうに笑った。
「悪いが今のお前には大事なはやれないぞ。
娘を持つ親なら誰でもそう言うだろうな。
今のお前は、女の敵のような男だからな。」
ぐっと身体に力が入った俺。
「今なら、まだ間に合うぞ。」そう告げると、兄貴は背中を向けた。
それから、ちょうど学校の勉強が難しくなってきたの家庭教師役に立候補した。
の成績がそんなものが必要ないことは知っている。
けれども、会話をする為には何かきっかけが必要だったんだ。
今思い出すと本当に笑える話だ。
当時、本当に必死になったおかげで、今がある。
携帯にメモリーした女のナンバーが仕事関係だけの味気ないものになってしばらくして、と俺は恋人同士になった。



ブラウザを重ねてイメージに近いクラウンを探す。しかし、出るのはため息ばかりだ。
ブラウザで見ているクラウンの形は、男性の王がかぶる王冠というイメージだ。
ウエディングブックのモデルもこの形をかぶっていた。
英国の現女王が戴冠式にかぶっていたのと同じ。
最初はこういう形でいいかと思っていたのだが、見ているうちにそうではなく、女王の為のクラウンが欲しいと思うようになった。
それは、グリムやアンデルセンなどの童話に出てくる女王がかぶっている形。
細身の輪で、角というかあの尖っている部分が少しだけ外側を向いているようなもの。
ビーズや彫金などで作ったものの中にこの形があった。
とても女性らしい王冠だと思う。
だが、気に入ったものがない。
「やっぱり、オーダーしかないか。」
今まで開いていたブラウザの中で、形だけイメージに近いものをプリントアウトした。



がクラウンにふさわしい形のドレスのデザインを依頼するとしたら、この形にも合うとは思う。
それでも、一生に一度のことだから黙っているのはよくないと思った。
、俺、こんな形のクラウンをにプレゼントすることにしたからな。これにあわせてドレスを選んでくれ。」
プリントアウトした手元の紙を見せた。
「わぁ、可愛い。プリンセスというよりもクィーンって感じだね。じゃ、私もこれに似合うドレスにしなくちゃ。これもらってもいい?」
「いいけど、どうするの?」
「デザイナーに見せて一緒に考えたいから。」
「ん、楽しみにしてる。」
チュっとリップノイズをさせて頬に唇を寄せる。
くすぐったそうに肩をすくめる仕草が幸せそうに見えて、俺の気持ちを暖かくさせる。
そう、のそばにいると、そういう気持ちになることが多い。
それは何にも変え難いものに思える。
癒されるとかそんな軽いものではなく、水中にもぐっていて息が苦しくなり呼吸のために水面に顔を出すそんな感じだ。
生存のために必要なこと。
とのふれあいや会話は、俺にとって心の呼吸のようなものだ。
だからこそ、どうしてもが欲しかった。
に渡してしまったので、もう一枚写真をプリントアウトした。
それを個人用のバインダーに挟んでかばんに入れた。



時間は秘書に頼んで作らせた。
仕事の後じゃ閉店してしまっている。
真珠では国内ばかりではなく海外でも有名な宝飾店のオーダー部門に依頼することにした。
式と披露宴に使った後は、リメイクしてもらってネックレスやブレスレットにでもして貰えばいい。
結婚の贈り物としては真珠は定番だから・・・。
確か、モナコ皇妃になったグレース・ケリーも結婚プレゼントに真珠のセットを贈られたはずだ。
デザインを担当してくれる事になったのは、30代の女性だった。
持ち込んだ写真を見ながらいろいろ注文を追加する。
彼女はそれをスケッチブックに形にしていく。
アバウトなラインで描いているにもかかわらず、俺の思うような感じになっていく。
「角は少しだけ外側に反っていた方が、綺麗ですね。
その先にもパールをあしらいます。
正面中央の角だけ少し長くして、その先に何かシンボリックな石をぶら下げるのはいかがでしょう?
ティアドロップのバロックパールとか貴石でもいいと思います。クリスタルなどもライトに映えます。」
彼女の手元を覗き込んでから、その素案に満足した。
本体はフラワーをモチーフにパールを組んでもらう事にして、パターンを考えてもらうことにした。
俺の宿題としては中央の角につける宝石を何にするかだ。



最初は光るものがいいと考えた。
けれど、花嫁は披露宴の会場でライトやフラッシュを浴びる。
光を乱反射するクリスタルなどは、写真に影響が出でしまうのではないか?
せっかくの記念写真がスナップでも駄目になるのは惜しい気がする。
では、クラウン土台と同じパールがいいだろうと思った。
ただし、目立つものにしたいから、カラーパールで何かを作ってもらおうと思った。
そう、後でネックレスにした時に、ペンダントヘッドになるようなものに・・・。
花の形にしてもらおう。唐突にそう思った。

のような、花に・・・。




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2007.05.25up