ベビー・ブルー 3
そこへ橘を寝かせた洋子さんが入ってきて、兄貴の横に腰を下ろした。
兄貴は彼女に今の話の内容を、かいつまんで説明した。
兄貴の気持ちは分かったけれど、義姉はどう思っているんだろう?
彼女の実母として俺にどんな注文があるんだろうか?
兄貴はある意味俺の味方だと言ってもいいだけに、洋子さんの話を聞かなければ動けないと思った。
夫からの話を聞いた彼女は、俺のほうを見た。
「左近さん、私も右近さんもの幸せを願っています。
だから、もしが望むなら、どんな相手でも認めてやりたいと思います。
あの子は、私の勝手で実父と暮らすことが出来ませんでした。
私は納得済みで離婚しましたが、にとっては良い父親だっただけに、申し訳なく思っています。
あの人の再婚では、辛い思いもさせました。
そして、右近さんとの結婚についても、は祝福してくれましたし、着いて来てくれました。
その後、橘が生まれても手を焼かすような事もなく、思春期も問題なく素直に育ってくれました。
だから、本当に幸せになってもらいたいのです。
そのことだけは、分かって下さいね。」
思わず目頭を押さえて涙ぐんだ洋子さんを、兄貴がそっと抱き寄せた。
「だから、左近。
お前が本気なら、ちゃんを幸せにする役目を任せてもいい。
私たちは両親としてそう思っている。
身内の贔屓目を差し引いても、お前は良い男だと思う。
仕事も出来るし、家庭や妻も大事にしてくれるだろう。
もてるくせに、一途だし。
今回の見合いは相手方がどうしても会わせてくれと仰ったからで、私も洋子もお断るするつもりだったものだ。
お前の気持ちはなんとなくつかんでいた。
ちゃんへの過保護振りは、私たち以上だったからな。
ただ、彼女がお前のことをどう思っているのかが分からない。
嫌っていないことと、家族としては仲が良い事は分かっているが。」
「左近さん、私も同じ気持ちです。左近さんならと思っています。」
兄夫婦と言うよりも娘の幸せを願う両親としての言葉と気持ち。
それが痛いほど俺に伝わってきた。
こんな夫婦になりたいと思った。
2人がこんな風だから、もあんなふうに育ったんだろうと思う。
だったら、2人の気持ちを受けて立たなきゃ、俺も男じゃないと思った。
「義姉さん、兄貴。2人の気持ちはちゃんと聞かせてもらったよ。俺、が好きだ。
妹でもなく、姪でもなく、ちゃんと女性として愛している。
2人が俺の気持ちに気付いていたのは驚いたけど、俺を見込んでそんな話をしてくれるんだと思うと、凄く嬉しいよ。ありがとう。
すぐにでもに俺の気持ちを伝えたいところだけれど、そうは行かないと思うんだ。
まずに俺を男として認識してもらわないと駄目だと思うから。
だから、暫くこのまま見守って欲しいんだ。
こうしてご両親からのお墨付きを貰ったからには、の事を堂々と口説けるからさ。」
目の前のテーブルに手を着いて、頭を下げた。
自分のことで何かを頼むのにも、頭を下げることはなかなか出来ない俺だけど、
の事になるとこんなにも謙虚になれるんだと知って、我ながらおかしくなる。
「まあ、お前もちゃんもまだ若いし、それこそ彼女は学生だ。
そんなに焦るほどの事もないさ。
ただ、ちゃんにはそれこそ降るように縁談が来ているのは確かなんだ。
それらを理由のないままに、無視しているわけにもいかない。
断るにもそれなりのことを言う必要がある。
今までは、未成年で手放したくないといって来た。
これからは、まだ学生だとしか言い訳がない。
それも『婚約だけでも』と言われると弱い。
焦るなと言っておいてなんだが、早い方が良いと思うぞ。」
兄貴はそう言って、義姉と顔を見合わせて笑った。
「左近さん、私たち応援していますから。
だから、2人でちゃんと恋愛して、2人とも幸せになるために
愛情と信頼で結ばれた関係を築いて下さいね。
私たち待ってますから。」
「ありがとう。
が何か相談したら、よろしくお願いします。」
そう礼を言って、俺はそこから立ち上がった。
この2人は結婚10年を超えたのに、いまだに仲がいい。
せっかくゆっくり過ごせる夜を、何時までも此処にいて邪魔したくなかった。
廊下に出て、2階の自室へ上がろうと階段を登る。
踊り場まで昇って、次の階段へと足を向かわせ逆を向いた。
その一番上の段に、先ほど部屋に戻ったはずのが、例の封筒を胸に抱えて座っていた。
その顔には、どうしたらいいのか途方に暮れている・・・そんな表情が上っている。
「左近ちゃん。」
なんとも情けない声で俺の名前を口にした。
ももう20歳、28歳の俺をつかまえて『左近ちゃん』はどうかと思うのだが、彼女はそう呼ぶことをやめない。
誰もそう呼ばないから・・・と言うのが、その理由らしい。
「どうした?」
数段上がって、の視線と俺のとが同じ高さになったところで、そう問いかけてやった。
「どうすればいいの?お見合いだなんて、私初めてだし。」
「嫌なのか?兄貴はいい縁談だって言ってたぞ。」
本位じゃないのに、そんな言葉を口にした。
兄貴に言ったとおり、本当はすぐにでもに俺の気持ちを告げたい。
でも それはあまりにも大きな賭けだと思った。
俺たちはそうでなくても家族として一緒に暮らしている。
そして、例えこの家を出て別々に暮らすような事になったとしても、そう、が俺以外の男と結婚しても、
俺たちは叔父と姪という関係が残る。
上手くいったらそれに越した事はない。
でも、そうじゃなくなった時、これからのと俺は気まずいままで一生付き合わなければならなくなる。
それは勘弁願いたい。
だからこそ、此処は慎重に行かなければならないと考えた。
階段を登りきって、俺は自室へと足を進めた。
どうするのかと見ていると、は立ち上がって後を着いて来る。
もう少し話したいことがあるようだ。
ドアを開けてやると、その横をするりと交わしてが部屋に入った。
いつもならドアは閉めるけれど、そうしなかった。
テレビの前のラブソファに陣取ったが、「ドア閉めないの?」と尋ねた。
「ん、そう。
に縁談が来て、それを俺の前で話したということは、もう子ども扱いするなって言う、兄貴からのメッセージでもあると思うからな。
これからは一人前の女性として扱う事にした。
子供とだったら、ドアを閉めた部屋でも何も構わないけれど、妙齢の女性と2人きりとなれば話は別だ。
ただでさえ、俺とは血の繋がりのない叔父と姪だからな。
気をつけないといけないだろう?」
俺の言葉に、少しもの悲しそうな瞳をしてこちらを見ただったが、「分かった。」と小さく返して来た。
「だからって、今までと何も変わる事なんかないさ。
ただ、の事をもう子ども扱いしないって言うだけだ。
あの約束は今でも有効だぞ。」
軽い調子でそう言って、ウィンクを飛ばしてやれば、ようやく笑顔を見せた。
抱えていた紙袋をテーブルの上に置いて、それを睨みつけながら
は大きくため息を吐いた。
「ねぇ、左近ちゃん。
見合いしろって言うのは、早く嫁に行けって言う事なのかな?
お父さんが私を邪魔者だとは思ってないとは思うけど、やっぱり良いとこの御曹司とかとお見合いして、会社に有益な結婚をしなくちゃならないのかな?
私には恋愛や結婚の自由はないってことなの?」
俯いてポツポツと語るような口調。
今にも泣き出しそうな気配がする。
そりゃそうだろうなと、息を吐く振りでため息を落とした。
俺と兄貴が経営している会社が、会社なんて言葉ではくくれないほど大きくて有名だって事は、だって承知している。
それに、中学高校それに大学も追加して、有名私立校のエリートの中にいるんだから、その手の話には敏感だ。
クラスメイトも友人もそんな話はざらだろう。
ドラマや小説ではよくある話だ。
戦国武将のように、娘を他家に嫁がせて縁戚関係を結び、それによって自家の繁栄と守りを固める。
確かに現代でもそんな話がないわけじゃない。
むしろ経営者たるもの、そうしなければならないのかもしれない。
だけど、あの兄貴だぞ?
と、俺はの話を聞いて思った。
自分さえもそんな結婚をせず、バツ一子持ちと言う女性を選んだ男が、家族や娘にそんな結婚をさせるとは思えない。
もしそうなら、俺が一番にそれを強いられているだろう。
どこか有力企業の一人娘の婿にでも出されているに違いない。
兄貴はそんな悲しい結婚はにはさせないよ。
そう言って、安心させてやりたいと思った。
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2005.06.29up
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