ベビー・ブルー 1




珍しく家族が揃った夕食の席。
最近じゃ何かのイベントか甥の橘(たちばな10歳男)の誕生日でもなければ全員が揃って席に着くようなことは無い。
兄(右近36歳男)は、会社の社長として毎日忙しそうだし、義姉(洋子40歳女)も秘書室長としてそれをサポートしつつ、橘の子育てにも忙しい。
俺(左近28歳男)だって、専務として働いているんだから当然忙しい。
だいたい兄貴は人使いがめちゃ荒いんだ。
我ながらすげぇ頑張ってると思う。
まあ、それも下心があるからなんだけど。
そして、義理の姪(20歳女)も大学の2年生だから、一応勉強とサークルや友達と遊ぶことで忙しいのだ。
それでも家族全員が橘の為ならこうしてやりくりして食卓を囲む。



今日は、特別そんな話は聞いていない。
つまり凄い偶然に、こうして夕食を食べることになったらしい。
橘がすげぇうれしそうに学校での様子を話して聞かせる。
兄夫婦は言うに及ばず、俺やもそれに驚いたり相槌を打ったりして、橘の話を聞く。
まさに絵に描いたような家族の団欒という奴だ。
これはこれでいいと思う。
まあ、俺的には不満もあるが、家族が揃って食べる飯は旨い。
ところが、食事を終わってリビングで紅茶を飲んでいると、兄がおもむろにA4サイズの紙が入る封筒を取り出して、俺の隣、ちょうど一人分空けた所で、同じように紅茶のカップを口にしているに話しかけた。



ちゃん。
ちゃんにはまだ少し早いと思うんだけど、こういうのは縁のものだからね。
何時が早いとか遅いとかではないと思うんだ。
それは、ちゃんのお母さんと僕との結婚でも分かってくれていると思う。
僕としては、ちゃんに幸せになってもらいたいだけで、早く嫁いで欲しいとかそんなことは考えていないから。
それだけは分かって欲しいんだ。
実は、高校を卒業してからすぐにこういう写真は僕に来ているんだ。
ただ、洋子が20歳になるまではと言っていたんで、今までは見せなかったんだよ。
ちゃんは、僕の大事な娘だ。それに、春野コンツェルンのお嬢様だ。遅かれ早かれこういう写真と話は来るからね。」
そう言って、その封筒をテーブルの上に置いた。



義姉は、橘の部屋に行ってしまっている。
きっと宿題や明日の時間割を見てやっているのだろう。
まだ小学4年の橘は母親が手をかけなければならないことが多い。
異父姉のがこれだけ年が離れていれば、一人っ子だと言ってもいいくらいだ。
兄貴の話の中に義姉の名前が出てきたということは、この話は義姉も知っているということを意味する。
ま、こんな話を兄貴が義姉に黙ってにするはずが無いのだが。
そのことが俺に気持ちを一層ブルーにさせた。



ふと兄貴と目が合った。
口角だけを少し持ち上げる笑い方で、にやりと俺に向けて笑う。
しかも俺だけに見えるように笑ったのは言うまでも無い。
その表情は、俺の気持ちを知っていてのこと。
じゃなにか、兄貴は俺の気持ちを知っていて、それで尚にこんな縁談を勧めるのか?
そう考えたら、胸の中がざわつき始めた。
今まで必死に隠してきた思いが思わず口を付いて出てしまいそうだ。
『俺はを愛している。』
そうこの場で叫びたい気持ちになる衝動を、ぐっと抑えるのに苦労する。



兄貴だって4歳年上の秘書室長の義姉に告白する時には、思い悩んだ末だったろうに、何で俺の気持ちを汲み取ってくれないかね。
兄弟なんだから、もっと優しくしてくれよ。
そう心の中で愚痴ってみた。
義姉と兄貴が結婚した12年前は、は8歳の小学2年生。
俺は16歳の高校1年生だった。
俺の高校合格と同時に兄貴は『僕、結婚したい女性がいるんだ。』と、俺に告白した。
親父たちが他界して、会社のことや家のことを面倒見てくれた兄貴が、まあ年はまだ若いけれど、そんなに結婚したい女がいるのなら、それはそれでいいだろうと思ったから了承したのに、顔見知りの秘書だったわけだ。
職場で、結婚相手を見つけたと・・・・。
そういうことですか・・・・って事で終わるはずだった。
4歳年上だという洋子さんは、それは綺麗な人で認めてやるよと、俺は兄貴の幸せを願ったもんさ。



だけど、彼女には子供がいた。
しかも女の子。
初めて会ったのは4人で食事をした時だったか・・・・。
利発そうな瞳に、細い手足は色が白くて、お人形さんみたいだと思った。
顔は将来がめちゃ楽しみになるような可愛い顔。
きっと学校のクラスでも男の子の人気ナンバー1に違いないだろうと思った。
8歳年下だと姪と言うより妹だなと、そんな風に思った。
そして、話は順調に進んで、兄貴と洋子さんは結婚した。
が微妙な年齢であることと、義姉がいない秘書室が成り立たないと言うので、子供はもう少し後と言うことになったらしい。
橘が生まれたのは、それから2年後だ。



結婚後、兄貴はますます社長業に忙しく、それを補佐する為に義姉も忙しかった。
橘が生まれても会社に保育施設を作って、女性社員労働向上とか何とか理由をこじつけてたっけ。
生後6ヶ月の橘を連れて、出社して行った。
それまで母1人子1人の生活だったせいか、は不満も言わず大人しく過ごしていた。
彼女の言うには、それまでは1人での夕食が普通で、洗濯や簡単な料理は自分でやっていたらしい。
だから、『ママが結婚して、その必要の無い暮らしになった。』事は、とっても嬉しいらしかった。
出来た子だと思った。



兄貴とも年の差があった俺には、他に兄弟姉妹もいないから、が本当に可愛くてしょうがなかった。
も母と子だけの生活で寂しかったんだろう、帰りの遅い兄貴や義姉より一緒に過ごす時間が長い俺に、懐いてくれた。
洋子さんが出席できないと知れば、参観日や運動会も高校を休んで行ってやった。
俺が味わったような寂しさや切なさを、には味わわせたくないと思ったからだ。
実際、小学校の参観日はほとんど俺が行った。
高校のブレザー姿で参観日に行くのは、正直高校生の俺には恥ずかしいことだった。
でも それも教室までのことだった。
なぜなら、教室前の廊下では、が俺が行くのを待っていたからだ。
『左近君、来てくれたの。』と、少しはにかみながら嬉しそうに笑って、俺の傍に駆け寄ると手をつかんで何処にも行かないようにする。
そんなが可愛かった。



はもちろん賢かったけれど、家庭教師を頼もうかと言う兄貴たちに、は「そんなのいらない、左近君が居ればいいの。」と断った。
もちろん、兄貴たちのことだから、家庭教師だって女の人を頼むに決まっているだろう。
けれど、誰よりもが俺を選んでくれた事が嬉しかった。
だから、俺は自分の勉強の合間に、の家庭教師もした。
それは、が大学を受験するまで続いたから、2年前の話になる。
中学からは私立の有名校に通学する事になった。
それは、名家の子女なら当然のことだろう。
今までは母子家庭の普通の子だったに、それを望むのはどうかと思った。
けれど、がこの家の名前を名乗っている限り、学校や教養はそれなりのものが求められる。
兄貴もその辺をことを考えての事だろう。



そうして中学、高校とは益々可愛くなっていった。
俺の惚れた贔屓目なんてことはないと思う。
女の子なのにバレンタインには、たくさんのチョコをもらって帰って来たし、ホワイトディには、貰わない筈のプレゼントを持って帰った。
聞けば、迷惑になるからはバレンタインは家族だけにしたと言う。
俺と義父に当る兄貴、生意気盛りの弟の橘の3人だけにチョコが渡された。
は、家族だけにチョコをくれる。
それはが中学1年の時からずっとそうだ。
なのに、女の子の先輩後輩の他に、他校の生徒からもバレンタインはもちろん、ホワイトディも訳の分からない言い訳の元に、押し付けられるようにしてもらったと言うのだ。
まったく、罪作りな女だとしか言いようがない。
ちなみに、俺も兄貴も橘もホワイトディにはきちんと返礼をした。
兄貴は父親らしくと気を使って、家族での食事とかにしている。
橘は子供らしく折り紙や絵だった。
今年はスーパーなんかで売っている、キャンディだったような気がする。
俺は義姉には毎年花束。
その場で喜んでくれればそれでいいからだ。



でも、にはピンキーリングをプレゼントしている。
それは俺なりのこだわりだ。
は覚えているだろうか・・・あの約束を。





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2005.06.22up