伝えきれない 2




「もしもし・・・です。」
声を出す練習をしてから、短縮ボタンを押す。
携帯特有のコール音が鳴るまでの時間の数秒に、彼の街の彼の部屋を思い出す。
すぐに鳴り出したコール音を、なんとなくいつもの癖で数えだす。
今夜は社の同僚と飲みに出かけると夕方メールが入っていたから、ひょっとしたらまだその最中かもしれないと思った。
それでも、こちらの1日の予定がほぼ終わって、後は駿へのお休み前の電話だけ。
電話をかけたことで邪魔してしまうかもしれない。
けれど、毎晩今日一日の終わりに駿の声を聞く事が私の日課になっている。
わがままだとは思うけれど、どうしても声が聞きたい。
こちら側ではすでに5回目のコール音だけれど、ずれがあることは知っている。
音に気づくまでと、気づいてから通話をしようと携帯を手にして着信ボタンを押すまでの何回かは、あきらめずに呼び続けることにしている。
コール音は3秒に1回、10回で30秒、20回で1分。



?俺。」
今夜は5回で出てくれた。
電話の向こうの駿は、とても静かなところにいるみたい。
何処だろう?
飲んでるところが静かなところなのだろうか。
「今、大丈夫?」
「あぁ、平気。帰ってきて、飯を食べようとしてたところだから。こっちからかけようと思ってたんだよ。」
よく聞けば、テレビの声らしき音がしているのが分かる。
それもすぐに無くなってしまったから、駿がリモコンでスイッチを切ったのかもしれない。
「あれ、今夜は飲み会だったんでしょ?ひょっとしたら邪魔しちゃうかもしれないって、思ったんだけど・・・。」
「あぁ・・・、えっと・・・、怒らないで聞いてくれよ。」
「う・・・うん。」
こんな風な前置きをされると、思わず身構えてしまう。
「実は同期の奴が、もちろん男のだけど、飲みに誘われたから着いて行ったらなんか・・・その・・・コンパ?みたいでさ。思いっきりだまされたらしくて・・・。」
歯切れの悪い言葉が続く。
「そうなんだ。」
駿の声がなんとなく遠くなったような気がした。
遠距離なのだから、2人の間には距離がある。それを感じさせないほど携帯の声は近いはずだ。
遠くなったと思うのは、聞こえ辛くなったと言う意味ではなく、気持ちの問題じゃないかと思う。
浮気じゃないだろうけれど、それに近いコンパなんていう飲み会の話をされるとは思っていなかったから、動揺してしまったんだ。
?切らないで最後まで聞いてくれよ。」
「うっ・・・うん、聞いてるよ。」
黙ってしまった私を警戒してか、駿が焦ったように話しかけてきた。
「で、携帯使って社から呼び出しかけられた振りしてさ、コンパの席には腰もかけないで帰ってきたから、飲み会に出かけたのは本当だけれど、酒も料理も手をつけなかったからさ、これから夕飯なわけ。
もちろん、コンパに来ていた女とは話しもしてないからな。変な想像して心配すんなよ。」
「うん、分かった。」
そう返事をしたけれど、私の心に広がった波紋は湖面をゆらしたままで、まだおさまらない。



もし、私に対して少しでもやましい気持ちがあったら、早めに帰ってきた事だけを告げればそれでいいはずだ。
それをわざわざコンパに呼ばれたなんて伝えなくていいはず。
「早く帰ってきたって言うのは、好みの女の子がいなかったから?」
自分でも意地が悪い質問だと思うし、これは立派な八つ当たりだ。
それでも、私の口は止まらなかった。
「えっ、なに言ってるんだよ。」
「何って、駿の楽しい独身ライフのことでしょ。今夜はたまたま好みの女の子がいなくて、お持ち帰りも出来なくてつまんないから早く帰ってきたんだよね。
で、今はこうして遠距離な恋人の電話に付き合っていると、そういうことだよね。
恋人なら、浮気しても別れちゃえばいいもんね。
もし、これが婚約者だったら、ただ別れるだけじゃなくて、婚約不履行とかで訴えられるかもだし、慰謝料とかも払わなくちゃならないからなぁ・・・。」
「何を言い出すんだよっ。俺の事を信用していないのか?」
焦ったような、怒ったような声で駿が反論しようとする。
「じゃ、どうしていつまでも何も言ってくれないの?私たち、確かに幼馴染だしお隣さんだけれど、正式にお見合いしたんだよ。
普通は、結婚を前提にしてお付き合いをして、お互いの意思が確認できたら何らかの形にするものじゃないの?
駿は、私だから、そんな必要ないと思っているの?
ただ、付き合いたかっただけなの?」
言うつもりなんて無かったのに、いつも胸の奥でくすぶっていた想いが、飛び出してきてしまった。
電話の向こうで駿は、どんな顔をして聞いているんだろう。
何も言わないところを見ると、絶句してしまっているのかもしれない。



「おばさんからこのお話をもらった時、私は長い間の片思いにけりをつけるつもりで、お受けしたの。
何時までもただのお隣の女の子でいるのがいやだったし、私も適齢期になったと駿に知って欲しくて。
駿にはその気なんか無くて、断られるかボイコットされるかもしれないと思ってたのに、こうして恋人になれてとてもうれしかった。
ずっと、ずっと、好きだったから。
それも、お見合いという形で交際がスタートしたから、駿は当然2人の未来を考えるつもりがあるんだって・・・。
1ヶ月じゃ早いかなって思ってた。2ヶ月だったらどうかなって人に聞いたりした。3ヶ月も経てば十分じゃないかって待ってたけれど、何も言ってくれない。
ちょっと遠いけれど毎週のようにデートしたりアパートに泊まったりして、毎日こうして電話してメールして恋人にはなれたけど、これからの事は口約束さえもらえてない。
・・・って事で、このお話は無かったことにしてください。
短い間でしたが、ありがとうございました。おやすみなさい。」
「えっ、?・・・」
駿が何かを話そうとしているのに、なんだか勢いで通話を切ってしまった。
すぐにボタンを長押しして携帯の電源を落とす。
今夜は、どんなに電話やメールをくれたとしても、とても冷静に話せるようにはならないように思えた。



お見合い直後の私は、駿と付き合えることになったといううれしさで、舞い上がっていた。
だって、お見合いで始まった交際は、もちろん結婚前提という折り紙つきだから。
駿のアパートで、初めて肌を合わせた夜は、素敵な思い出になったと思った。
子供の頃からの願いが叶ったと思うくらいには・・・。
それなのに、駿はいつまでもこれからの話をしてくれない。
お見合い直後はすぐにでも婚約して結婚しそうな勢いだったのに・・・。
何がコンパだ。
いくらだまされていたとはいえ、同僚だか友人だか知らないけれど、付き合っている子がいることすら話していないのだろうか。
そしたら、女の子とのコンパなんて最初から除外されるはずなのに。
駿が高校生の頃、あの頃から素敵な男の子だったから、いつも彼女がいた。
私は、そんな2人を見て、いつか駿の隣に立ちたいと思っていた。
誰よりも愛されたいって・・・。
いつも着けている可愛いプチペンダントとファッションリングは、駿からのプレゼント。
あの頃の夢が叶って、愛されているんだって、うれしかったのになぁ。



「私ったら、別れるって言っちゃった・・・よね。」
自分で言っておいて、その現実が今まさに押し寄せてきた感じ。
手にした携帯が、その輪郭をゆるゆるとゆがめ始めている。
「どうしよう、どうしたらいいの?」
誰かに話しても、きっと笑われてしまうような気がする。
ただの痴話げんかとしてしか見てもらえないだろう。
それも私が悪いと言われてしまいそうだ。
「駿、助けてぇ・・・。」
自分から駄目にしておいて、それはないだろうと突っ込みたくなるような言葉が、つい口から漏れた。




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2008.02.13up