貴方にそっと包まれて
〜凍える指〜



会社から自分のマンションへ帰ってくると、小さな鍵を取り出して郵便受けを開ける。
エントランスの扉と暗証番号が必要な扉の間にある郵便箱は、管理事務所からよく見える位置にあるとは言っても、無用心だからだろう全て鍵つきになっている。
その気になればすぐに壊せる程度のものだろうが、一応監視カメラも設置されているから壊されたことはないらしい。
ダイレクトメールが2通と白い封筒が1通。
ダイレクトメールは、カード会社からの明細書だろう。
見慣れない白い封筒の宛名は、確かに私の名前だ。
誰からだろうと、封筒を返して裏を見た。
S.Iと書いてあるだけ。
もう一度表を見ると、切手のないことに気がついた。
「ふーん、切手がないんだ。イニシャルだけって、こんなことをする知り合いいないしなぁ。」
エレベーターの中で独り言をつぶやく。
「いたずらかな。」
中にかみそりの刃とかカッターの刃とか入っていたらしゃれにならない。
そう思って封筒の中に硬いものが入っていないか、指先で探ってみた。
便箋らしい紙以外の感触はない。
それでも、手で開けるのはやめて、はさみで封を切ることにしようと思った。
部屋に入ってすぐに文房具を入れている引き出しからはさみを取り出す。
封を開けながら冷え切っている部屋を暖めようとヒーターのスイッチを押した。
いつもならコートを脱いだりするのだが、手紙に何が書いてあるのか気になってソファに座って便箋を取り出す。
便箋は、よく見かける縦書きの罫線が入っただけのものだった。
文字は手書きで、青いインクのボールペンを使っている。
手書きと言うことは、いたずらや変な手紙ではないと思った。



『初めまして、突然のお手紙を失礼します。
驚かれたでしょうが、出来れば最後まで読んでください。
いつも、貴女を見ています。
貴女の美しい手が、好きです。
その動きは、まるで羽が舞っているようで僕は目が離せません。
その美しい手を、愛しています。』



「手?」
便箋をテーブルの上に置いて、思わずまじまじと自分の手を見た。
世の中にはフェティシズムという名の愛好者もいるのだから、何をより所としてその人を好きになるのかなんて決まっていない。
手だけのタレントさんもいるのだから、それも決して悪いとは思わないが、自分がその対象者になるとは思わなかった。
「手ねぇ。」
確かに手には少しだけ自信がある。
手タレになろうとまでは思わなかったが、綺麗と言われたことはあるし、言われれば悪い気はしなかった。
でも、手入れなんかは人並みだ。
ハンドクリームを塗る時には、それなりにマッサージをしたりしているけれど、それだけだし。
たいしたことはしていない。
ネイルだって、それほど気を使ってしているわけでもない。
そんな私の手が好きだと、この手紙の主は言っているのだ。
その夜、いつもに増して、ハンドクリームを丁寧に塗った。
自分の体のパーツとして以上に、手が愛しく思えたからだ。
翌日も手紙が入っていた。
同じ封筒で、同じイニシャル。
いまどき、高校生や中学生でもラブレターなんて書かないかもしれない。
それなのに、この人はあえて手紙でその気持ちを伝えてきた。
しかも、私の手が好きなのだ、この人は。



『今朝は手袋をしていませんでしたね。寒くなかったのですか?
それとも僕にその美しい手を見せてくださったのですか?
もう少し暖かくなるまでは、ちゃんと手袋をして手を大事にしてください。
貴女の美しい手が、寒さに凍えるのを心配しています。』



「寒かったけど、見えないと嫌かと思って手袋しないで出かけたんだけどなぁ。
この人、よほど私の手が好きなんだ。変わった人だよ。
でも、心配してくれてるんだ・・・手を。」
これだけ手だけがほめられるというのもなんだか面白い。
会社帰りに、ドラックストアに寄りハンドケアに関する棚の商品を見た。
いつもより高いハンドクリームを手に取り、ふたを開けて匂いを嗅いだりした。
どうせなら、良い匂いのクリームの方が良いだろうと、珍しくクリーム選びに時間をかけた。
顔に塗るクリームでさえ、こんなに吟味したことはないかもしれない。
翌日の手紙は少し分厚かった。
中にはかわいい小花模様の手袋が入っていた。



『美しい貴女の手のためになればと、今日は贈り物があります。
同封の手袋は、内側がゲルになっており、ハンドクリームをたっぷりつけてはめてください。
パラフィンパックのような効果が期待できるらしいです。
これで、より素敵な手になってください。』



なんともタイムリーなプレゼントに、S.Iさんがドラックストアのレジ袋を下げた私の帰宅姿を見ているのだと思った。
その後も爪の美容液や手用のパックなどが手紙と一緒に入っていた。
ぎりぎり、郵便受けの口から入る大きさと厚さ。
きっと、彼はその辺も配慮しているに違いない。
手を美しく保つためのグッズは、それほど多いわけじゃないので、プレゼント攻勢はすぐに終わった。
それにあまり高価なものも入っていなかったので、私もありがたくもらっておいた。
私がすべきことは、この手のファンである彼のために、きちんと手を美しく保つこと。



冬としては暖かい休日。私は買い物に出かけた。
セールでショッピングをしようと考えたからだ。冬でもこうして暖かい日に、出かけるのは楽しい。
それがたとえ1人でのことでも。
手紙のあの人は、どんな休日を過ごしているのだろうか。
そんな考えが、頭の隅をちらつく。
どんな人なのだろう。
本当に私の手だけが好きなのだろうか。
その持ち主である私には興味はないのだろうか。
手を動かし、仕事をさせ、きれいに手入れしているのは私なのに・・・。
通路に背を向けて棚の品物を手に取っている今の私を見たら、きっと買い物を楽しんでいる女性としか見えないだろう。
でも、商品を手に取り吟味している頭の中では、見ず知らずの男の人のことを考えてばかりいる。
そのギャップが、我ながらおかしかった。
帰りに地下1階の食品売り場のお惣菜コーナーで、おいしそうなサラダとベトナム春巻きそしてお気に入りのブランドのクッキーを買った。
電車に乗って窓から空を見たら、天気が怪しくなってきた。
あんなにお天気よかったのに、ついてない。
案の定、駅に降りた頃には雨になっていた。
冬の雨は冷たいから、ぬれると風邪を引いてしまいそうで、憂鬱な気分になる。
どうしようか・・・。暗い空は、雲の具合も分からないから、悩む。
私と同じように出かけて、帰りにこの雨に困った人が多いのだろう、タクシー待ちの列はすでに長蛇になっていた。
手荷物もあるし結構重いから、走るのは難しい。



「あの、505号室の方ですよね。」
背中からかけられた言葉に、思わず振り向く。耳にしたその部屋番号は、私のものだったからだ。
けれど、振り向いた先に立つ男の人に見覚えがない。見た事があれば忘れそうもないような美形だけど・・・。
「突然にすいません、僕、マンションの同じ階の508号に1ヶ月前に越して来た今井といいます。
お留守にご挨拶だけ投函させていただいたんですが・・・」
見た事ない人だったけれど、その今井という苗字と挨拶代わりに郵便受けに投函されていた引越し挨拶の図書カードには覚えがあった。
508号といえば、私の階の一番奥の部屋で、いまどきご丁寧な挨拶だと思ったのを、記憶している。
「あぁ、ごめんなさい。お会いしたらご挨拶をと思っていたのですが、僕は自宅での仕事なのでなかなかお会いできなくて・・・。」
「いえ、こちらこそ、ご挨拶もせず失礼しておりました。」
でも、あった事もないのに、何故私の事を知っているのだろうと、疑問が浮かんでくる。
同じマンションというだけでなく、部屋番号まで特定されているなんて・・・。
「僕の部屋の方が奥にありますからお気づきにはならなかったかもしれないんですが、何度かお見かけした事があるんです。
あの、もしよかったら、僕、車で来ているのでお送りします。
どうせ、もう帰ろうと駐車場に向かっている所でしたし・・・。」
彼の視線の先にある駅前立体駐車場。
いくら同じマンションの人でも、見ず知らずの他人だ。車に乗るのは戸惑う。
どうやって断れば角が立たないだろうと、言葉を捜した。
「警戒されてますよね?
すいません、自己紹介が不十分でした。僕、こういう者です。」
ポケットから名刺ケースを取り出すと、彼、今井さんは一枚抜き取って私に差し出してくれた。



そのフルネームを見て浮かんだ有名人が1人。私の蔵書にもある小説を書いている人の名前だ。
名刺に肩書きは、何も添えられていない。
「困ったな。何か証明できるものがあれば、よかったんですが・・・。」
ただ、名刺をにらむように見つめていると、あせったような声でジャケットの胸ポケットを探っている。
「あぁ、これなら。」
そう彼が声にして、財布からカード状のものを取り出して私に差し出した。
運転免許証だった。確かに身分を証明できるものとしては、身近なアイテムだ。
硬い表情の写真だから少し感じが違うけれど、確かに今井さんのものだ。
裏書には、私と同じマンションの住所と彼が言った部屋番号が、記載されている。
ここまでされては、断れない。
ましてや、彼は親切心から私を車に乗せてくれると言ってくれている。
利便性を考えて駐車場までは、アーケード街を通って雨にぬれずに行ける様になっている。
「じゃ、お言葉に甘えます。ありがとうございます。」
免許証を返しながら彼にそう告げると、うれしそうな笑顔を向けられた。



歩き始めてすぐに「お荷物お持ちします。」と、今井さんが手を差し出してくれた。
「いえ、大丈夫ですから。」
確かに結構な荷物を持っている。複数あるから重さもある。
けれど、さすがに持ってもらうのは気が引ける。
「こんなでも一応男ですから、力はあります。それに、ずいぶん重そうですから。」
「そこまで甘えられません。」
今日はじめて知り合いになった人に、そんな事はさせられない。
そう思って、私は1歩彼から離れた。
「駄目です。ショッパーの紐で手が赤くなっているじゃないですか。
食い込んで痛いんじゃないですか?手袋もしないで冷えているんでしょ?
あなたの美しい手が、そんな風になっているのを見過ごす事はできませんよ。」
その瞬間、私の心の琴線にふれるものがあった。
「あっ、あの、もしかして・・・。手紙。」
途切れ、途切れで出した言葉に、今井さんがしまったという顔をする。
「そうなんですか?今井さんがあの手紙の・・・。」
今度は確信を持って尋ねてみる。
「そうなんですね。今井さんが、あの手紙の差出人なんですね。もしそうなら『そうだ』と言ってください。」
空いている手で、今井さんのコートの袖を握る。



唇をわずかに噛んで少し考えた後、彼は大きめのため息を吐き出した。
「はぁー、僕って隠し事には向いてないって前から思ってたけれど、こんなに簡単にぼろを出してしまうなんて、我ながら情けないなぁ。
そうです。僕があの手紙を出しました。
気持ち悪いやつだと思ったでしょう?ストーカーって言われても仕方がない行為だと自覚しています。
自分でも、作品を書くこと意外に、こんなにも何かに情熱を向けることが出来るなんて思ってもみなかったんで、驚いちゃって・・・。
だから、迷惑ならすぐにでも引っ越します。」
頭を下げながら、今井さんは私にそう言い訳をした。
「いえ、そんな必要ありません。
気持ち悪くもなかったですし、ストーカーなんて思ってもいません。
手紙は、一種のラブレターだと思って読ませていただいてましたから。
それよりも、あの・・・そんなに、私の手が好きなんですか?」
重い方の荷物を足元に置いて、手を前に出して尋ねた。
彼が言ったように、その手にはショッパーの紐で出来た赤い筋が2本ついている。
寒さで凍えている手は、どこか痛々しささえ見せていた。
「手が、というよりも、手も、と言った方が正しいんです。
貴女の好きなところをいくつも連ねるよりも、ひとつだけに絞って書いた方が効果的に伝わるだろうと思ったんです。
もちろん、その中で手はかなり上位なんですが・・・。
だから、こんなに赤いあとが出来るほど思い荷物を持たれると、黙ってはいられないんです。」
私の手にそっと触れてくる彼の手は、大きかった。
「こんなに冷えて・・・。」
ふわりとその手に包み込まれて、自分の手の冷たさを思い知る。



彼は私の足元の荷物を片手に取ると、手を包んだままに歩き出す。
「まずは、タイマーセットしたエアコンで温かいはずの僕の部屋に行きましょう。それから自己紹介を最初からさせてもらいます。
紅茶でも飲んで僕を告白を聞きながら、ゆっくりと温まって下さい。」
なんだか彼に都合のよい言葉が混じっているような気がしたけれど、それも気持ちに暖かく感じる。
「強引過ぎますか?」
そう振り返って、心配そうに私を見る。
「えぇ、少しだけ。
でも、とても素敵な提案ですね。
その紅茶に合うおいしいクッキーは、私に提供させてください。」
そう返事をして、彼の手をそっと握り返す。
「お願いします。」
また前を向いた彼の頬がほんのり赤いのは、寒さのせいかそれとも別なせいか、原因を考えるのも楽しいなぁ・・・と、いつしか手の冷たさも忘れていた。





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2007.12.31up
「恋愛遊牧民SS/2008冬の短編企画参加作品」