No.99 ラッカー
私の家は、茶道の教授を生業としている。
父が今の家元の従兄弟にあたるのだから、当たり前かもしれない。
家での教授ではなく、流派の師範として家元の補佐に当たっていると言う方が
正しい説明になるだろう。
そんな環境に生まれ育ったものとして当然のごとく、私は幼い頃から
茶道の全てを教えられ躾けられた。
父も母も忙しくてそれほど手ほどきをしてくれるわけではないが、
他の誰かに託すこともなく2人が交代で指導してくれた。
それでもいつも一人で教授されることはなく兄弟弟子の誰かと一緒だった。
一番一緒になったのは、近所の名刹金山寺の江流君だったと思う。
彼は、寺を預かる光明三蔵法師様の養い子で、私の同級生でもあった。
光明三蔵法師様が夭折(ようせつ)して、江流君が13歳で三蔵法師の位を
受け継ぎ金山寺を預かるようになっても彼はお稽古に通って来た。
確かに僧の生活の中には、茶道の心得があったほうがいいと思うこともあるし、
高い位に就けば所作や動向を目で追われることになる。
綺麗で無駄の無い動きを体得できる茶道の心得があったほうが良いに決まってはいる。
畳の上で生活している彼には、何よりも必要なことかもしれない。
でも それも高校を卒業する頃までの話だ。
その頃には、もう習う必要など無いほど彼は茶道に精通していたからだ。
ひょっとしたら私よりも・・・。
高校を卒業して、彼は宗教系の大学へ。
私はお嬢様系女子大へと進学した。
その頃にはもう私も子供や初心者相手なら茶道教授をするようになっていて、
両親からさえも教授を受けるようなことはなくなっていた。
だからあまり会話もなかった彼が、その後お稽古をどうしているかは知らなかった。
そんなある日。
父から個人教授をして欲しい人が居ると頼まれた。
時々そういう人はいるので珍しいことではない。
忙しくて不定期なお稽古をしなければならない人や有名人で他人との同席を
嫌がる人にはそういう事もする。
学生で師範免許は持っていても私に回ってくるような仕事ではないのに・・・。
そんなことを言うと父に怒られそうなので、素直に受けておいた。
どんなに地位のある人も有名人でもあの茶室に入るときには、
手をつき腰をかがめ「にじり口」と呼ばれる小さな入り口から入らなければならない。
つまり、入り口で身分を捨て地位を捨てなければならないとする教えなのだ。
茶室にあっては誰もがみな茶道の精神を尊ばなければならない。
森羅万象の自然の一部にならなければならないのだ。
映画やドラマの撮影で茶道の心得が必要な役のために、
役作りをする俳優や女優は珍しくない。
初心者なら私でも指導は可能だ。
きっとその辺りだろうと考えていた。
だから、にじり口が開いて金髪の頭が見えたときには驚いた。
人工ではない本物だけが持っている光沢。
その髪色には一人しか心当たりがなかったのだから。
身に付いた動作のおかげで、何とか茶をたて作法通りに茶碗を差し出す。
何も言わずに瞑目している江流君を前に、自分が緊張しているのが分かる。
向こうも慣れたもので、自然体で茶碗を持ち上げると正面を除ける為に
丁寧な動作で茶碗を回し口をつけた。
相変わらず流れるような動作だと感心する。
でも、何故今になって個人教授が必要なのだろう?
江流君は私になど習う必要は無いはずだ。
不思議に思っていると、「結構なお手前でした。」と彼が茶碗を返した。
手をいっぱいに伸ばしたとしても届かない場所に茶碗が置かれている。
亭主に取り難いそんな場所に置くなんて、彼らしくないと思ったが
客として座っている人にそれを言ってはならない。
顔に出さずため息を吐き出したいところを飲み込んで、拳にした手をついて
膝を前に出し身体を江流君へと近づけた。
腕に余裕がある位の位置で茶碗を受け取ろうと手を差し出した。
視界に男にしては白いけれども大きな手が飛び込んできて、私の手首を掴んだ。
引っ張られると言うわけではなく、振りほどけないほど強くない。
その微妙な力具合に彼が何をしたいのかがわからない。
「江流君?」
「三蔵だ。」
「じゃ三蔵君、何故こんなことをするの?
もう貴方にはお稽古なんて必要ないでしょ?
それに、私では十分なお稽古にはならないと思うけど。」
彼の手は茶碗を持って下がろうとした時点で外れたので、そのまま元の場所へ戻る。
茶碗に釜の湯を注ぎ軽くすすいで綺麗にし湯を捨てて茶巾で拭いた。
別におかわりが必要と言うわけではないだろう。
そう思ってだまって彼が何かを言うのを待った。
本当のお稽古ならこの後彼にお手前を頼むのだが、三蔵君の目的は
きっとお稽古ではないと思ったからそれは言い出さずに置いた。
「もう、こんなことでも言い出さない限りには会えねぇ。」
彼はそう突然にポツリと言葉をつむいだ。
「そんなこと無いんじゃない?
クラス会でだって会えるし、流派主催のお茶会には招待状が行くはずだよ。
私も出なきゃならないから、必ず会えるし。
それに近くに住んでいるんだもの、道でばったりという事だってあるでしょ。」
三蔵君の言っている意味がつかめなくて、そう一般論を言ってみた。
「クラスメイトとか隣人としてなんか会ううちに入らねぇだろ。」
「えぇ〜、そういうもんかな。」
三蔵君がどういうつもりで会いたいのかなんて良く分からない。
だいたい彼は、言葉が足りなさ過ぎる。
「おい、道具の拝見はねぇのか?」
別に構わないけれど、稽古だと思っていたからそれほど気の効いたものなど
用意していないかったので、三蔵君の言葉に正直驚いた。
初心者にはとにかく手順を教える為に、お道具の拝見も必ずさせるけれど
彼の場合はそんな必要は無いはずだ。
それでも お客が彼一人なら彼が正客だ。
道具を見たいと言われて断るわけにはいかない。
手元にあった茶碗と棗(なつめ)茶杓(ちゃしゃく)を釜前に並べた。
三蔵君に道具を見せるために、亭主席を退いて彼に畳を空ける。
2人しかいなかったためそれほど離れて座っていなかったから、
横によけると彼に近くなった。
手を前に着いて「お道具の拝見をどうぞ。」と軽く頭を下げた。
着いた私の手の上に男の手が重なった。
「会うのに理由がいらねぇ仲になりてぇっての親父に申し込んだら、
『こちらこそ、お願いしようと思っていました。
段取りをいたしますので、是非見合わせて下さい。』と、
この席をセッティングされたぞ。」
顔を上げると、男にしておくには惜しいほどの綺麗な顔が窺うように見ていた。
「そう言えば、近々見合いをするとかしないとか言われてたっけ。
いつもと一緒で断るつもりだったから、すっかり忘れてたわ。
今日は個人指導をして欲しい生徒さんがいるからって・・・・・、
お父さんったら黙ってたんだ。お見合いって言うと逃げるか必ず断るから。」
「断ることは許さねぇ。」
その一方的な言葉に、反射的に対抗心が生まれる。
「何言ってんのよ、私の気持ちだってあるでしょ?
それとも三蔵君には私の気持ちなんか要らないとでも?」
こんなに自分の気持ちをこの人に話したことなどなかったな・・・と、
何処かで冷静に成り行きを見ている自分がいる。
「嫌なのか?」
あぁ、どうしてこうも短気なの?
学生時代から思っていた彼への印象が頭をもたげる。
「誰も断るとか、嫌だとかなんて言っていないでしょ。
でも『嫌だ。』って言ったら、あきらめるの?
その程度の気持ちだったら、こっちから願い下げだわ。
私は自分が結構な箔を着けているってことには、自覚があるの。
私と結婚することで、相手の男にもある程度のステイタスをもたらすことも。
だから、父の立場や地位で、ある程度のお見合いとか政略的な結婚とかも
仕方ないかなって思ってる。
でも だからと言って、自分を犠牲にしようとかなんて考えてないから、
だから好きな人と結婚したいし、愛されたいと思ってる。
『嫌だ。』って言って引き下がるくらいの気持ちで私が欲しいなら、
さっさとこの手を放して。」
見上げて睨んだってあまり効果があるとは思えないけれど、
それでも視線を逸らすことなく三蔵君の目を見た。
「前から思ってたが、やっぱり馬鹿決定だな。」
呆れたようにため息をつくと、人のことを『馬鹿』呼ばわりした。
この男は。
カーッと身体が熱くなるのが分かる、
頭に来た、誰がこんな男の彼女だか恋人だか妻だか知らないが、
なるもんかという気になる。
もうこうなったら意地でも手を放してもらおうと、身体ごと三蔵君から離れて
畳の上を後ろに下がって手を無理に引っ張る。
お茶室はあまり広いものではない。
四畳とか六畳くらいがいいとこだ。
今日は個人教授だと思っていたから、このお茶室を選んだけどここは四畳しかない。
後ろに下がったけれど背中がすぐに壁に行き着いた。
しかも手は放されていない。
「気づかなかったか?
俺がずっとを見ていたこと。」
どうしようかと思案していると、手を放さずに傍まで来た三蔵が
耳に唇を寄せてそう囁きを落とした。
「えっ、それって・・・・もしかしてそういう事?」
憎からず想って見ていた相手が、向こうもそんな思いを抱えていたと知って
嬉しくないはずは無いのだが、その割には不機嫌そうだ。
「もしかしなくても・・だ。
こんな馬鹿のもらい手なんかねぇだろう。
しかたねぇ、俺が貰ってやる。」
そう言って、握られていた手を引かれた。
驚きに力が抜けていたこともあって、引かれるままに三蔵君の腕の中に
ストンと自然に収まってしまう。
今までのイメージからもっと冷たくて硬いと思っていたのに、
その三蔵君の腕の中は意外と温かくて柔らかて、私の全てを包んでくれるように思った。
大きな手が背に回されて、安心して身をゆだねることが出来る。
本当の三蔵君は私が感じていたのとは、少し違う人じゃないかと思った。
もちろん悪いイメージでは見ていなかったけれど、塗られたペンキの外側からしか
見ていなかったのかもしれない。
その色の下にある彼自身が持つ色を見てみたい。
三蔵君がそれを私に許してくれるというなら、飛び込んでみようと思った。
顔を上げて彼を見上げると、間近に彼の顔があった。
その紫暗の瞳には私が映り込んでいる。
「やっと手に入れた。」
ギュッと抱きしめている手に力が入ると、私の肩口に顔をうずめる。
三蔵君の髪が首筋を撫でてくすぐったい。
逃れようとして身体を動かすと顔をうずめたまま、くぐもった声で
「も少し幸せかみしめさせとけ。」と、
お願いだか命令だか分からない微妙な言葉が耳に届いた。
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’04三蔵誕生日記念夢として
又、「誕生日イラスト」のお礼として「Deep Forest」様へ献上
