NO.09 かみなり





三蔵が蓬莱で過ごした 常世の国で言う里家のような所は、

宗教色の濃い所で礼拝堂があった。

毎週催される『ミサ』と名のついた礼拝には 長いお説教がついていて

三蔵はことさらそれが嫌だった。

ずいぶんと聞かされたはずだが 今ではほとんど忘れてしまっている。

だが 忘れてしまえない話のひとつに 『神』と呼ばれる信仰の対象に仕える

『大天使』という使徒の中に『天罰』として

『雷』(いかずち)を落とす者が居るという話があった。






王と麒麟の関係は よく『半身』という話で象徴される。

それは お互いが相手の命を握り合っているからに他ならない。

王は神獣である麒麟の誓約の下に 神籍に入り不老不死となる。

だが 麒麟がその命を落とせば 王も天寿が尽きる。

麒麟の命を落とす原因のもっとも大きな可能性は 王が王道を失することなのだ。

王は元来人間なので 神になろうとも間違いも犯すし 煩悩も抱いている。

だから 王は道を失いやすい。

それに比べると神獣である麒麟は 

慈悲と慈愛の象徴とか民意の具現化した生き物とされ

間違いを犯し 煩悩に支配されることは無いとされている。

麒麟がそういった定義の基に生きているのだとしたら、

自分のこの感情は どう説明するのだろうと 三蔵は思う。






『麒』である自分は 生物の分類上で言えば 確かに雄である事には違いない。

だが 人の雄ではない。

麒麟とは 獣なのだ。

それも 一国に一頭の神獣だ。

その妖力が甚大だからこそ 人としての姿を持つことが出来る。

同じ獣の雌に 何らかの恋情を抱いたり

性の対象として見るのならば 理解できなくは無い。

だが 本来ならばそれさえも あるまじきことなのだ。

それが自分は 人の雌に恋情を抱いている。

それも自王にだ。

共に国を支えてゆく同士であり 三蔵の命を握っている相手でもある。

三蔵が恋情を抱いているは 確かに桃末国の王だが 

王だからこの想いを抱いているのではない。

という女性が 自分を惹きつけてやまないのだ。






王が人として また王としての道を失するときには 麒麟を失道させることで

天は 王に天罰を下す。

麒麟が道を失するときには どうやって 天は罰を下すのだろうか?

そして それはこの三蔵の抱く恋情の場合 何をもって罪とされるのだろうか?



麒麟の三蔵が その想いを 王であるに伝えたときだろうか?



が三蔵の想いに 答えたときだろうか?



その想いを伝えるべく の玉体に触ったときだろうか?



それとも 男女として契ったときだろうか?




それが罪となり 罰を下されるときは この雲海を突き抜け雲のかからない果香山の頂に

天罰としての『雷』(いかずち)が 自分をめがけて 下されるかもしれない。

三蔵は それを想像して 自嘲気味に口角を上げた。






タバコをくわえると もう習慣となっているの王気に目をやる。

自分だけに見えるの存在を示すそれのまぶしさに目を細めて

のことを愛しく想うのだった。

どんなに強く愛しく想っても それが罪にならないことを

三蔵は良く知っている。






これまでに何度も繰り返したが 罰は未だに三蔵の身に下っていないのだから・・・・ 








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