No.89 マニキュア






仕事をひと段落終えて、三蔵はふと愛しい新妻の事を想った。

結婚式の後の忙しさにかまけて、なかなか昼間は相手をしてやれない。

ダンスの練習なら自分が買って出ると言っているのだが、その時間が取れない。

溜息を大げさに吐き出して、横で涼しい顔をしながら書類の整理に当たっている

優秀な秘書を睨んでみる。

見ている・・・いや、睨んでいることに気づいているだろうに

素知らぬふりで仕事を続けている。

もはや感心するしかない。

仕方なく、次の書類に手を伸ばして手元で広げた。




「今夜の予定は?」

まだ時間はあるだろうが、今夜もその他大勢と食事をしなければならないのなら、

政務は少し早めに切り上げてとお茶だけでも一緒に取りたいと、三蔵は思った。

「はい、今夜は珍しく晩餐の予定はございません。

お2人でゆっくりとお食事して頂けます。

陛下、両国の統合に関する政務で新婚旅行も予定が立たない状態でしたが、

何とか10日ほど空けられると思います。

僕の根回しと陛下の頑張りのおかげです。

今夜、女王陛下とお2人で、旅行はどちらへ行かれるかについてお話し合いください。

予定によっては準備の必要なことも出てくると思いますので、よろしくお願い致します。」

先ほど睨んだ分も返すように笑顔でそう言われると、

王といえども此方の方がたじろいでしまう。

どちらが王なのか分ったもんじゃない。

それでも この優秀な秘書のお陰でスムーズに事が運んでいるのも事実だ。

「分った。」と、頷いた。




さえ納得してくれれば、自分はあの湖畔の離宮で過ごしたいと考えている。

あの宮殿の壮麗さは、新婚の妻の美しさに相応しい。

先祖の王が愛しい妻の病気療養のために作らせた宮殿は、

歴代の王たちがもっとも愛しく思う女性へと捧げている。

もし、さえ受け取ってくれるなら、あの宮殿を彼女に捧げたい。

どんな反応を見せてくれるだろうか?

そう考えて、結婚のプレゼントにしようかと思いつく。

「悪くねぇな。」そう三蔵は1人悦に入った。





いまだには、女王として扱われる事に慣れていない。

確かに血筋は王女なのだが、育った環境はそうではないのだから無理はない。

王族として慣れる前に、すぐに女王となってしまったのだ。

何処へ行っても何をしても注目を浴びるというのは、あまり気持ちのいいものではない。

まだ、宮殿の中にいるときはいいのだが、公務は外でも在る。

何処かの施設公開のテープカットだったり、病院の慰問だったり、国賓の接待だったり、

宮殿外へと出かけることも多い。

王である自分も必ず同行するようにしている。

まだ 彼女1人で公務に出るまでには至っていないからだ。

その折に以前と比べると扱われ方が格段に違うと感じる。

王は女王の添え物でしかないような錯覚に落ちる事さえある。

それほどへの国民の関心度は高いのだ。

ストレスはいかばかりだろう?

自分へ泣き言を言わない妻の気持ちを思って、三蔵は眉間にしわを寄せた。




10日間だけでも離宮へこもれば、最低人数だけの手を借りて生活する事が出来る。

人目にさらされずに、散歩や日光浴を楽しめるだろうし

スケジュールにとらわれずに寝坊だって出来る。

人前でのキスさえいまだに恥しがって頬にしかさせてくれないが、

あの柔らかい唇に何時でもキスしたいと考えているのだ。

まずはキスにも慣れさせなければならない。

そういうことをするには、何処かに篭らないと駄目だろう。




夕食は2人で静かに取れることを聞いて、着替えるために自室へと足を運ぶ。

はもう着替えただろうか?

そう思いながらドアを開けると、ソファの上でが丸くなって足先を見つめている。

シャワーの後らしくバスローブに身を包んでいる姿が可愛い。

手には小さい刷毛を持っていることから、マニキュアを足の爪に施しているのだと分った。

三蔵にとっては、の足の爪に色が付いていても付いていなくてもあまり関心が無い。

彼女の足の爪に惚れている訳ではないからだ。

の足の爪だからこそ色が付いていれば、ないよりは可愛いと思うという程度のことだ。

ただ、新聞の社交欄に『女王陛下お使いの口紅は何処の会社の何番の色だ。』とか

書いてあるのを見ると、そんな事は放って置いてやってくれと思う。

そう言えば、先日訪れた会社でお茶と一緒に出されたチョコレートがあったが、

お腹が空いていたので2つほど食べたら、

『女王陛下は、○○会社のチョコがお好き。』と、

そういうことになっていて行く先々でそれが出された。

「出されたお菓子はもう食べない。」とは言っていた。





その真剣になっている横顔は声をかけるのも戸惑うほどで、

自分が部屋に入ってきているのも気づかない。

刷毛を小瓶の中の色に浸して、1本1本の指の先に丁寧に息を詰めて塗っている。

今、の頭の中は全てを忘れているに違いない。

女王である自分も、妻である自分も、夫である三蔵のことさえも・・・・。

人間は単純作業に没頭すると、ストレスを発散できると聞いた事が在る。

頭で考えてやらなければならないことは、駄目なのだ。

スポーツも何も考えずに体を動かして汗をかくからこそ

ストレスの解消になるのであって、考えながらするスポーツではそうも行かない。

何をするにも誰かの手を借りなければならない生活は、

にとっては不自由だろうと三蔵は思う。

マニキュアを塗るという単純な行為だからこそ、自分1人だけで出来るのだ。

その点、ただ感じる事に集中できる行為は、

スポーツではないもののストレス解消に繋がる。

日頃のコミュニケーション不足とか、スキンシップ不足とかも解消できる。

何より、身体よりも心で欲する相手を同意の下に組み敷くのは、男として至上の喜びだ。

お互いが相手を自分のものとして受け入れる事が出来る。





ふと、今夜はこのままをリラックスさせてやりたいと思った。

夕飯は2人だといっても給仕やメイドが周りをうろつくのは止められないし、

仕方がないとは言えドレスも着用だ。

三蔵はそのまま隣の部屋へと入った。

内線の受話器を取り上げて、「今夜はこのまま自室で食べる事にする。

ピザにワイン、それからポットでコーヒーをくれ。」

そう注文すると、通話を終えた。

スーツを脱いでシャワーを浴びTシャツとジーンズを着ると、

の居る部屋へと戻った。

寝室の方のドアから出てきた三蔵に、はもの凄く驚いていた。

この部屋を通らなければ隣へは行けないのだから無理もない。

「三蔵が此処を通ったのに気づかないなんて・・・・ごめんなさい。

これから着替えるんですか?

少しお待ち下さい、私もこれから着替えます。」

立ち上がろうとしたを、三蔵は肩に手を置いて止めた。

「いや、今夜はもう着替える必要はねぇ。

夕食はもうすぐ此処に来る。

化粧もドレスも気にしなくていい、今夜は俺と2人ゆっくり飲むぞ。」




夜だけ、しかも自分だけが見る事が出来るの素顔に、

笑顔が浮かんだのを見て三蔵もわずかに口角を上げた。

肩に置いた手を顎に添えて上を向かせる。

の身体にわずかに力が入ったのが分る。

「今は2人だけだ。

誰も見てねぇのなら、キスは拒まねぇだろ?」

返事を聞く前に唇を塞いで、逃げ道も塞いだ。









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キリ番NO.282828 eme様のリクエストでした。
eme様にはリクエストを頂きまして、ありがとうございました。

三蔵で「マニキュア」上手く書けているでしょうか?
ご感想などお聞かせ願えると嬉しいです。