こんな時くらいはと思って張り切ったのが、いけなかったのだろうか。

せっかくあの出不精の三蔵が渋々でも頷いてくれたのだからと、

押入れの衣装ケースの底の方から取り出して午後からいそいそと準備した。

それがどうだろう、思惑が外れてしまって時間が迫っているのに、

少しも上手く出来ない。

リビングでは新聞を広げて、時計を見ては溜息まじりで三蔵が

きっと機嫌を悪くしているだろうと思うと余計だ。

焦るばかりでは、出来るものも出来なくなってしまう。

着物の中でも浴衣は一番簡単に着付けられるものだから

大丈夫だと思っていたが、こんなに時間を取られるとは思っていなかった。




写真つきの解説本があるのだし、見る限りではそれほど難しいとも思えない。

振袖や訪問着などなら自分で着れなくても、現代女性なら珍しくもない。

それほど恥にもなりはしないだろう。

でも 今が取り組んでいるのは浴衣だ。

昔なら、着物にも数えられなかったような汗取り下着。

着られないと言うのは、今夜出会う浴衣を着ている女の子たちに

自分が負けるようで面白くない。




夕飯は使う食器の数を減らして片付けの時間を取らないために、

簡単なもので済ました。

素麺だったが薬味は大皿に綺麗に盛り付けた。

まるでオードブルのような豪華さに、自画自賛してパーティと名付けたくらい。

一緒に出かけられる嬉しさに、少しはしゃいで三蔵に怒られたほど。

それでも外出をやめると言わなかった所を見れば、

三蔵だってまんざらじゃない様子だ。

それから急いでシャワーを浴びた。

本来浴衣とは、湯上りに汗取りに着るものだ。だから『浴衣』と書く。

水分の吸収を良くするために、木綿で出来ている。

絹よりも安価で丈夫だからというのもあるだろう。

汗がひくまで浴衣を着て、それから本来の着物や寝巻きに着替えるものだ。

お殿様やお姫様は、湯上りにそれを着せられてその上から押えて

身体の水気を取ったという。

洋風でいえばバスローブというところか。

夏の汗をかく季節には絹で出来たものは面倒だ。

レインガードやパールコートなどない時代。

黄ばみや縮みや洗濯を気にしなければならない。

汗をかいても良い浴衣を日常で着るようになり、それが習慣化して夏の衣類として

定着し外着にもなっている。

そう、下着から外着になったTシャツの存在そのもの。

しかして美意識にうるさい日本人の事、外着となった浴衣は白いだけではつまらない。

だから、柄を着け色を着け楽しむようになり現在に至る。



本は「綺麗な浴衣の着付け」等と言うのが書店に並んでいたのを見て、

三蔵には内緒で買い込んできた。

ペチコートとキャミソールの下着をつけ、ブラはつけないでおいた。

その上から、浴衣を身体に羽織ると巻きつけるように着ていく。

平面に仕立てたモノを、立体の凸凹した身体に着るのだから大変だ。

この部屋には、クーラーを効かして通常より温度を下げている。

それでも浴衣との格闘に汗がにじんでくる。

タオルで拭きつつ開いたページを覗き込む。

「え〜っと、撒きスカート風に・・・・裾はくるぶしの辺りっと。」

肩にかけておいた腰紐をウエストに2回まわして結ぶ。

「打ち合わせは左の方が前になるように・・・・あぁ、やり直しだ。」

姿見などがあるはずもない、ドレッサーの鏡で代用する。

だからなかなか綺麗に出来なくてやり直しの連続。

それだけで疲れてしまう。

それでも何とか、おはしょりを整えて後の襟をうなじが見えるように抜いて、

前襟も綺麗に打ち合わせた。

胸紐を締め伊達締めを締め帯板までは着けた。

いよいよ最後の難関、帯を締める。




どんなに簡素な着物でも帯は絹の事が多い。

浴衣に締めるなら、細帯と呼ばれる半幅帯。

文字通り反物の半分の幅18センチほどの幅の帯だ。

素材が絹と言うのには訳がある。

木綿や麻では結び目が緩んでくるが、絹はそれがないからだ。

紐を幾つか使う着物だが、それは帯と言う大きな紐を支えたり補助したりするため。

帯が解ければ意外と後はたわいもない。




細帯(半幅帯)だから、結ぶのにそれほどの決まりはない。

「文庫結び」でも「貝の口結び」でも「リボン結び」でも、自由な結びで楽しめる。

帯揚げも帯締めも要らないから、発想は自由だ。

本には前で結んでくるりと後ろへ回す事も出来ると書いてある。

これなら、後に手をやって結ばなくても良い。

浴衣と帯を買いにいった時には既に形を作ってあって、

差し込み式になっている帯も売っていた。

今思えばあれを買っておけばよかったのだとは思う。

しかし、あの母親がそれを見て言ったのだ。

「これじゃ、お代官様ごっこは出来ねぇな。」と。

の思いとは裏腹に、作り帯は母親によって却下となった。

「どうして?」と尋ねれば、「帯をくるくるしてお代官様になるのは、男の憧れなんだと。」と、

訳の分からない理屈を言われた。

だから買ってはもらえないらしい。

あの時は、彼氏もいないし好きな人もいない状況で、男のロマンなど関係なかった。

浴衣の着やすさだけにこだわっていた。




そういえば、三蔵はどうだろう?

やっぱりお代官様になりたいのだろうか?




そんな時、リビングへと続くドアがいきなり開いた。

「おい、まだか?

何をそんなに時間を食っている。」

不機嫌を隠そうともしない様子で、苦情を言いに三蔵が入ってきた。

帯を身体に巻きつけてみぞおち辺りでもさもさと形を作っている最中の事。

三蔵の声に驚いてせっかく結びかけていた所が手からすり抜ける。

「ん〜〜もぅ!邪魔しないでよ。もう少しだったのに・・・。」

の頬が膨らむのを見ても顔色1つ変えない。

こんなやり取りは既に日常化している。

「何結びだ?」

「何結びって?」

三蔵が尋ねた意味が何をさしているのかが分らない。

「帯の結びには名前があるだろう。

どの結び方をやろうとしてたか言ってみろ。」

ようやく言わんとした事がわかって、は本を手にして目的のページを開いた。

「ん〜とね、やろうとしていたのはこの文庫結びってやつ。」

指をさして写真つき解説のページを見せる。

チラッとだけ見て三蔵はの帯に手を掛けた。

結び目を緩ませてするりと解くと、そのまま引っ張る。

条件反射のように、の身体は独楽の要領で回ることになる。

あっ、これのことだ。

母親の言っていた事を思い出す。

三蔵は今お代官様。

はさしずめ町娘だろうか。

お姫様でないのは、着ている着物が浴衣だから。

これが振袖や訪問着なら武家娘や腰元、お姫様気分なのかもしれない。

三蔵の反応をうかがうが、別にいつもと同じだ。

楽しそうでもロマンを感じているようにも見えない。

世の中、例外という事もある。まして目の前の男は例外中の例外と言ってもいい。

もどうしても三蔵にお代官様になって欲しいわけではない。




浴衣の裾とかおはしょりとか襟なんかの具合をきちんと直してくれて、

何事もなかったように帯を手にして三蔵がの身体に巻きつけていく。

2回まわして後で結び、なにやら形を作ってくれているらしい。

その慣れた仕草に、は首をかしげた。

「三蔵そんなこと何処で習ったの?」

帯だけは絹織物だから結び目を締めるとキュッと音がした。

「あぁ? 俺の職業言ってみろ。」

そう言えば・・・と思い出す。僧侶には着物は不可欠だ。

男だって帯を結ばなければならない。

「出来た、出かけるぞ。」

そういい残して部屋を出て行った。

慌ててドレッサーの鏡に後ろ姿を映してみる。

頼んだはずの文庫結びよりもなんだか可愛い結びが出来ている。

見ただけであきらめた文庫結びのアレンジだった。

帯の裏柄も使って綺麗な蝶は浴衣にも似合っている。




「いくぞ、早くしろ。」と、玄関のほうから声がする。

「まだ髪の毛出来てないし、お化粧もしてない。」

そう返事をしながら、急いでコンパクトに手を伸ばす。

粉だけを軽く肌に乗せることにする。

縁日と花火が目的なのだから、それほど気にしなくてもいいだろう。

髪の毛に櫛を通していると、「遅い。」とこめかみに怒りマークが浮かんでいるような

物言いで、声がかかった。

あの声音からして、臨界点は近そうだ。

綺麗にしたいのは山々だが、怒らせてしまっては元も子もない。

まだ少し濡れている髪の毛はあきらめて、口紅だけを急いで唇に乗せた。

カチャッと施錠を開ける音がした。

出来上がりを確認している暇はない、怒らせるよりも悪い状態になってしまう。

立ち上がって振り向きざまにもう一度三蔵に結んでもらった帯に目をやる。




玄関に出て行くと既に三蔵の用意は出来ていた。

出しておいた盆下駄に素足の足を滑り込ませる。

帯に合わせた綺麗な鼻緒が、白い素足に花を添える。

花火が見える目的の海浜公園まではそれほどの距離もない。

慣れない鼻緒で足を痛めることもないだろう。

今夜はいつもと同じようで違う自分。

着物を着た勢いで少し大人の女になってみたい。

子ども扱いばかりの三蔵に、少しだけでも違う自分を見せてみたい。

忍ばせた匂い袋が少し香った。

自分でもいつもよりなよやかな気がする。




三蔵は気づいてくれるだろうか?










【Deep Forest】連様より「暑中お見舞い」三蔵イラスト
頂いたイラストにレスドリームをつけました、連様お見舞いをありがとうございます。
実はこのドリームは【Another Moon.r】沙季様のドリームの前座となっております。
この後の2人を読みたい方は、【Deep Forest】様か【Another Moon.r】様までどうぞ。
ドリームの題は「heart beat」(大人の為のお題 009)です。