100のお題 No.72 「喫水線」





 ヘッドライトが薄い闇を切り裂くように照らして行く。  城を出てからまだ程無い。
時間も決して遅くはないが、
普段なら急ぐことなく走る路程が今夜はヤケに遠く感じられてたまらない。
だから走った。   目立った通りまでは対向する車もない。
 目指しているのは市街地を見下ろす高台の城から住まい代わりのマンションまでだ。
本来であれば郊外の邸宅に戻るのが普通だが、通勤時の慌しさはご多分に漏れず。
むしろ早い登城のためには自宅代わりの部屋をひとつ、用意した方が合理的である。



 足回りのいい身でいる方が何かと都合がいいばかりではなく、
折に触れて戻る以外、面倒な親戚付き合いから解放され
とふたり寛いだ時間が取れるのもこの生活スタイルがもたらす僥倖のひとつだ。
友人につられて珍しいほど饒舌になった。    酒を持ち込んだ赤い髪が改めて過ぎる。
 男気に溢れ、部下にも女たちからも愛され慕われるのはあの男本来の性格からだ。
物静かで本音を漏らさず他人を容易に受け容れない三蔵の孤高さとは違った
解放的な明るさが目立つ。    もちろん、どちらがいいとは言えない。
ふたりともいい男には違いがないから比較などとても出来ない。
それは立場から来る優先順位を考慮しても同じことだ。
王だから、そうではないから、といったものとは関係ない。



 こんな時は自分の方がむしろ卑小に思えてくる。
女ひとり、奪われたくないばかりに抜け駆けを繰り返した。  のことだ。
そうしながら遊学中、言い寄って来る数人と係わりを持ったこともある。
同じ貴族出身者ばかりではなく、富豪の娘からモデルや女優の卵まで。
しきたりばかりで窮屈な貴族の立場より自由さを味わったのは言うまでもない。
 それは、そのままただの民間人として生きて行きたくなった程。
あの時だけは出世も爵位もどうでも良かった。
――――・・・・・・・。
その気持ちを引止めて今の世界に自分を戻したのは言うまでもないだ。
 以来ずっと、ここに生き、今日までと共にある。
ただ仲間と飲んだだけの帰り道、
決して普段と変わりなく1日会わない日常が過ぎただけでしかないと言うのに。
――――
 恋しさが込み上げる。
高速を飛ばしながら視線が上がった。  晴れた空に月がひっそり浮いている。
国の永劫をどこまでも照らして弓形に曲がった銀の色に夜が淡く照らし出される。







 いつもなら車を地下に止める車を正面に置いた。
中に入るとエントランスを突っ切って、立ち上がって迎えた案内役が恭しく一礼した。
逸る気持ちを抑えられず、足が急ぐ。  気持ちが急く。
「これを地下に・・・・お願い出来ますか」
カウンター越しにキーを手渡すと右手のエレベーターホールに向かわず
反対に歩いて、奥の目立たないドアを開けた。  専用エレベーター。
 ここはの父親の持っている建物だ。  最上階だけはどのフロアとも繋がっていない。
専用エレベーターでしか行けない構造になっている。
どのフロアもエレベーターもセキュリティレベルは格別だが、ここは特に出来が違う。
溺愛する娘ひとりに構造からから警備の類まで堅牢過ぎるほど堅牢に作り込んでいる。
そのクセ使われる大理石や重厚なドアの質感は冷たさを微塵も感じさせない。
 手の込んだドアのレリーフ、淡い色が溶け込んだような大理石。
壁の石にはアンモナイトがほぼ完璧な形で浮き上がって並んでいる。
その石を化石としてでなく建材として使ってしまえる力の威容。
それがの実家の有りようだ。
数億年の時を越えた遺物を一ヶ所に閉じ込めて置いても余りある。
その娘をよく自分などに嫁がせたものだと思えるほどだ。




 出迎えの執事にカバンを渡しながら聞いた。
は?」
「先ほどご自宅から戻られました」
なぜだかホッとした。
普段家にいられる身だが時々こうして外出する。
自分に代わって、郊外にある邸宅の切り盛りをするのはだ。
特に邸内の管理などはどこかで家人の目を行き届かせたいと時折足を運んでいる。
 それから父親から呼び出しを受けて帰ることもたびたびあるが
出来る範囲で早めの帰宅を心がけているようだ。
どんなに遅い時間でも必ず起きて待っている。
そして滅多にあることではないが早く帰っても大抵いる。
 国王の側近であることがとの結婚を決定付けさせた。
結果的にはそのことが
自分たちを中央に住まわせ、が折に触れて郊外へと出て行く理由になっている。
物静かに部屋から出ずにいる方が多いの気質にこの生活が
合っているかどうかといえば、決して合っているとは言い難かった。
 結婚してからというもの、それでも必死に合わせてくれる。
そこが愛しくてたまらない。   出来ればそばにいてやりたい。
さっき話した男同士に歓談を思い出しながらを呼んだ。
こんな夜は特に離れていたくない。




「お帰りなさい・・・・・」
 こちらを見て微笑む表情はいつもと同じ柔らかさで子供のようであり暖かくもある。
見た瞬間、自分が子供の気分になった。

「ねェ、八戒・・・もう食事は済んだの?」
食べずに待っていたのだろう、そんな口調にますます気持ちがホッとしていく。
「実は軽く飲んで来ました」
「お城で?」
「えぇ・・・・僕にしたら序の口ですけど」
 軽く頬から唇へと口付ける。
「悟浄に貴方とのことを聞かれました」
「私とのこと・・・・?」
丸く見開かれた瞳の具合は昔と殆ど変わらずにいる。  子供の頃と同じ表情。
「結婚がどれだけいいものかだけ話して退散して来ましたけどね」
「ふたりだけで飲んでいたの?」
「ぃえ、国王もいっしょでした」
 同時にが赤くなった。
私生活を王にまで聞かれたことに照れを感じているらしい。




「あの人は自分の新婚生活がまともかどうか知りたかったみたいです」
 ぽかんとが口を開いた。
それでもバカバカしい冗談だとすぐ解かったのか笑い出した。
「解からなくもないけど・・・・」
三蔵ならありそうだ。  他人に興味など持つような男ではなかったが
共に生きる第三者を得たことで心境の変化でも起きたのだろうか。
そう言わんばかりにが笑う。
「自分のことだけ考えて生きていればいい訳じゃなくなったんだから」
 こんな冗談を解せるのも子供の頃からの心地よさだ。  阿吽の呼吸が通い合う。
肩を抱き締めて髪に唇を当てると眼下で変わる表情を窺った。
「あの人だったらねェ・・・・」
謡うようにが続けた。

「・・・・・・・?」
 さっき城で尋ねられた話が頭の中を過ぎる。
ふたりの前では淡々と話していたが、この顔を思い出すにつれ、胸苦しい思いに駆られていた
今でこそ普段は意識しなくなったが、どんな思いで結婚まで漕ぎ付けたか。




「余計なことかと思ったんですけど・・・・・」
「?」
「貴方のことをどうやって手に入れたかも話しました」
「手に入れたって・・・・・」
 そっと微笑した唇がのそれに重なった。
「ただ平凡に幼馴染から結婚しただけなのに・・・・・」
「そうでしたか?・・・・・僕には充分波乱に富んでいましたよ」
 啄ばむような口づけを何度も繰り返した。  目蓋や頬、唇に。
甘える仕種のが胸元に顔を埋めるたび、顎を捉え上を向かせる。
「別れの数も数えたら何度あったか知れないでしょう・・・・
悪いのは全部僕でしたけど」
 しがらみのない外の誰かに気を許したことなど数え上げたら
枚挙に暇がないぐらいだ。  同胞ではない外の女。
このまま外にいられるならそうした誰かを愛したまま生きていたいと
切に願ったこともある。  その間は解放されて自由になれると思っていた。




 生真面目さが災いして、その都度本気になってしまう。
そのたび受けるの痛手がどれほどのものだったか、今思えば胸が痛い。
 自分のことなど忘れてくれと本気で思っていた頃でさえは何も言わなかった。
モノの見方、捉え方、外の相手とはいつもどこかに齟齬を来す。
それを解かっていたのだろうか。
 育った環境、生活習慣、全て違うから当たり前だが一生掛けて守るにしては
ただの齟齬が大きなズレとなって立ち塞がった。
話し合いで持てる理解など何の役にも立たなかった。  自分はここでしか生きられない。
そう思ったのはいつだったか・・・・。
迎えた国の空気はいつもと変わらず穏やかで変わらぬ佇まいを見せていた。
そう感じるまで、自分は忘れていたというにも拘らず。




「ずいぶん泣かせていたはずです」
 王達には波風のない穏やかな恋としてしか言わなかったが、
内幕は得てしてそんなモノだ。  「泣かせていた」のひと言にの目から涙が溢れた。
そのひとしずくは何が琴線に触れたのか、胸を乱すように頬を伝い落ちて行く。
「いつも戻ってくれてたもの・・・・」
 思わず頬が緩んだ。
だからと言っては、いいと言わなかったが、ダメとも一度も言わなかった。
責める口調ではなかったがそのひと言で自分に対するの姿勢が窺えた。
 何度別れても戻れたのはが待っていたからだ。
「違うのよ・・・・・」
かぶりを振るとが笑った。
「私が忘れようとしてると貴方が戻って来ちゃうの・・・・
それで、もう忘れるわって言う前に貴方が『会いたかったです』ってウソつくから」




「どうしてウソって解かるんです?」
「会いたかったらそんなに放っておかないでしょう、突然来てそんな言い方するなんて
それまでは会いたくなかったからとしか思えない・・・・」
 否定しようにも仕切れない、肯定などはまず出来ない。
意地の悪い言い方にからの仕返しをつい感じてしまう。
「怒ってたんですか?」
「怒ってたわ」
 珍しい鸚鵡返しに思わず苦笑が漏れた。  やぶ蛇だったようだ。
「でもね、八戒・・・・・・」
「?」
「それが嬉しくて、知らない振りして受け入れるのが精一杯のバカな女もいるのよ」
 瞳の奥で藍の虹彩が広がった。
「何があっても貴方のことが好きで好きでたまらなくて、怒る暇なんてなかった・・・」

 小柄な身体を抱き締めると慣れ親しんだ体温が腕を通して伝わった。
気がつくと外の空気がいつになくシンとして凍てつく月が見下ろしている。
これまでにないほど甘く長い口付けを重ねた。
体温が上がりそうなほど息遣いが乱れる。
「部屋を変えましょう・・・・貴方が欲しくて急いで戻って来たんですよ・・・」




 身体がふわりと抱き上げられる。  思わず肩に顔を埋めた。
男の背後から見える景色がシンとして何かが動いている。
音もなく雪が落ちて来る。  清冽な空気の中をただ静かにはらはらと。
「八戒、雪・・・・」
 月も凍る上空で凍て付いた水の塊りがただシンシンと落ちて行く。
「キレイですね、
 統治する男の城を、仕える者、支える者の上に音もなく降り積もる。
体温が下がる音まで聞こえそうな静けさに腕の中の温もりを改めて確認した。
バランスを崩す寸前まで水に浸かる船のような精神を理性が留めている。
このまま溺れこむのは目に見えて明らかだ。 という深い海へと。
 雪を仰ぐ翡翠の瞳にエレベーターホールに沈んだ化石の白さが浮かぶ。
喫水のラインなどあってないようなものだ。 という温もりを抱き締めたまま
という水の底へと。  ただ深く深く深く。
雪が降り注いで水温をさらに低く凍て付かせる。  やがて春に目を覚ますまで。


fin







2004.12.25(土)

書き出しの日付は9月1日でした。
約4ヵ月。  来年に持ち越したら
足掛け2年になるところでした・・・・・(^^;

執筆者 管理人・樹咲沙季



「Imperial Romance」で王の忠実で優秀な側近をしている八戒の私生活を、
こんなに素敵に書いて下さってとても嬉しいです。
沙季様、どうもありがとうございます。
クリスマスプレゼントとして頂いたのですが、私一人で2日間楽しませて頂いたので、
皆様にも幸せのおすそ分けです。
沙季様のサイト【Another Moon.r】には、相互リンクさせて頂いております。
「輪」「頂き物」にリンクがございます。

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