NO.71 誘蛾灯
「いい酒が手に入ったんだ、今夜は飲もうぜ。」と、
悟浄が酒瓶を手に三蔵の執務室に現れた。
三蔵は思わず眉間にしわを寄せて不機嫌な顔をしたが、
傍で書類をまとめていた八戒は、主が口では文句を言い歓迎しないといった
態度を取りながらもこの長年の友人の誘いを断る事はまず無いだろうと、
「ではグラスと摘むものを用意してまいります。」と笑顔で返事をする。
こうして 幼馴染の3人は、時々主従の関係を超えて
酒を飲んだり語り合ったりする事がある。
八戒は いつも多くを語らない三蔵が、
実はこういう時間をとても大切にしている事を知っている。
この国の唯一無二の存在として孤高な男だから
その胸中を吐露する事はめったに無いが、
悟浄と自分の存在が この男をわずかでも支えているという自負があった。
その夜の話題は、もちろん隣国の王女にベタ惚れと自覚した
この国の国王の事に他ならない。
時々銃の照準を合わせられながらも悟浄は 三蔵をからかう事を止めようとはしない
楽しい酒宴が続いた。
そんな中 三蔵がふと「誰か特定な女を とことん好きになるという感覚が、
俺にはうまく掴めない。」と、独り言のようにもらした。
グラスを傾けながら「あっ、それ俺もおんなじぃ〜。」と、悟浄は賛同の意を示す。
だがすぐに「それでも三ちゃん王女にベタ惚れジャン。」と 笑った。
「そうなのか・・・そんな風に見えるのか?」
自覚しているにもかかわらず 未だにそんな事を言う三蔵を見て、
悟浄と八戒は顔を見合わせて笑った。
王女に対してはあれほど強気な態度で臨むくせに、
この男は影ではそんな事を考えているのか・・・と
八戒は恋愛初心者へ慈愛の眼差しを注いだ。
そんな八戒を見て「此処は1つ、経験者のご意見を拝聴させて欲しぃんだけどなぁ。」と
悟浄がウィンクを投げてよこした。
「高くつきますよ。」と 八戒はまず勿体ぶってみるが、
悟浄だけでなく三蔵も聞く態勢のを見て取ると
「仕方がありません、でも 僕の場合はあまり参考にならないかも知れません。」と、
普段は決して語ろうとはしない個人的な事を口にしようとした。
この優秀な秘書官は こうしてプライベートな時間でも
あまり自分のことを多くは語ろうとしない。
特に 私生活は分厚いカーテンの奥だった。
悟浄と三蔵が八戒のプライベートな事で知っていることといえば、
彼が既に結婚している事と その相手の女性が
自分たちも知っていると言う女性だと言う事くらいだ。
は三蔵の学友を貴族の子弟から集めた時に入っていた少女だった。
その中には八戒も悟浄もいて ジュニアスクールを出る年頃までは、
共学の体制を取っていた事もありよく知っているクラスメイトのような存在の少女だ。
貴族の女の子は大概12〜13歳くらいでスイスやウィーンの上流家庭の女子のための
寄宿学校に入ることが多い。
もご多分に漏れず スイスの寄宿学校に留学するために、学友仲間から外れていった。
最もその頃になると 三蔵や八戒の学習ペースに着いてこれない者が出始めて
集団での授業が難しくなっていた事もあり、必然的に小数になっていた。
三蔵と悟浄はその後のの消息は知らなかった。
次に彼女の名前を聞いたのは、3人が英国のオックスフォードへの留学が
決まったときに発表された八戒の婚約者がだったと記憶している。
それは本当にに耳に水の発表だった。
しかも 帰国後すぐに八戒はと挙式している。
もちろん、三蔵も沙悟浄も参列してそれは知っているが、
2人がどうやって付き合っていたのか どうして結婚に至ったかまでは知らなかった。
八戒は自分のグラスをもてあそびながら 何処から話そうか考えているようだった。
「・・・・・そうですね、三蔵と違って僕の場合は 分かり易かったですからね。」と、語りだした。
「もうどうしようもなかったと言う感じでしたね。
の事は三蔵も悟浄も知っているでしょう?
僕ももちろんの他にも女の子は知っていましたし
特にオックスフォードでは、此処で出合った数の女の子なんかめじゃない位に
たくさんの女の子と知り合いました。
それに自慢じゃないですが 結構モテましたしね。
でも 僕には以外の女の子は、目に入りませんでした。
冷静に考えれば、より綺麗な女性なんかいくらでもいると思います。
それが証拠に僕の目から見ても 王女は事の他美しく見えますから、
心配頂かなくても 眼鏡の度数は合っていると思いますよ。
それでも がこの世で一番綺麗で可愛く思えるんです。
この辺は 今までどんなに美しい女性に仕掛けられてもなびかなかった三蔵には
少しお分り頂けると思うんですが・・・・。」
八戒はそう言って 三蔵を見た。
三蔵もそれには頷いて賛同の意を示したが、口を開く事は無かった。
「ですから、僕は三蔵や悟浄のようにあれこれ迷う事も考える必要も無かったんですよ。
これが『恋』だ・・・とか、これが『愛している』という事だ・・・とかさえ
確認する必要も無かったです。
僕の中では 決定していた事のようにへの愛は事実として存在していました。
もう だけが欲しくて それ以外の女性は性別として『女性』なだけで、
僕にとって『女』ではなかったんです。
だから 三蔵や悟浄が知らないところで、僕は彼女への愛を示しました。
ライバルの出現をけん制するためでもありましたが、が注目されることすら嫌でしたね。
手に入れるためには手段を選ばなかった・・・と、言っても過言じゃありません。
今もそうですが 彼女に溺れています。」
八戒はそう言って、グラスに入った琥珀色の液体を口中に含むと、2人に笑顔を向けた。
三蔵と悟浄はその長い付き合いから八戒の性格は多少なりとも把握している。
それだけにこの男が、『手段を選ばなかった』等と言う場合の事も良く知っている。
そして本当に手段を選ばなかったのだろう・・・・と言うことも。
「それで留学前に婚約して行ったンか?」
そう悟浄が確認するように八戒に尋ねた。
「えぇ そうです。」と八戒は楽しそうに頷いた。
呆れたように悟浄が「1人モンにはたまらねぇなぁ〜。」とつぶやき、
三蔵は「フン。」とだけ反応する。
「イギリスに行っている間も毎日メールは書いてましたし、
長期休暇にはこちらに帰っていました。
まあ、三蔵もそうでしたから一緒に行動していただけですけどね。
これでもとの婚約に際しては 僕でもかなり苦労しましたよ。
の両親にとって僕はあまり歓迎すべき婿ではありませんでしたから・・・。
僕は確かに伯爵ですが、それ程地位は高くありません。
まあ ピンキリですが、名前ばかりの端くれ程度です。
それに比べるとの家は同じ伯爵でも裕福で地位は高いですからね。」
普段はそんな片鱗も見せない八戒という男の本音。
八戒がこれと言って何かにこだわるような所を
三蔵は今まで見たことが無かった。
子供の頃 何かを選ぶ時でも最後に残ったものに手を出すような
子供らしからぬ冷めたところがあったし、
洋服でも道具でも使い勝手や着心地で選ぶタイプで、
ブランドや形にもこだわりを見せた事が無い。
その確かな審美眼で選んだものだけを身に付け、使うタイプ。
そんな男だからこそ一度執着を見せたものには、
何処までも貪欲に追い求めていくのだろうか。
三蔵は 八戒の話の続きを待った。
「ふ〜ん で、どうしたんだ?」
悟浄は八戒の手練手管に興味を示したらしい。
「えぇ、ただお互いが好きで 彼女が欲しいだけでは駄目ですからね。
それなりに周りを納得させる材料を集めましたし、僕自身にも箔を着けました。
次期国王の学友というのは 偶然とは言えありがたいものでしたし、
そのまま留学させてもらえたのも得点は高かったでしょう。
貴族の子弟で留学することはそれほど珍しくもありません。
でも 皇太子と共にオックスフォードへとなると話が違います。
の両親も先物買いをしてくれたと言うところでしょう。
何より今現在のポジションと発言力は、
僕の地位には関係なくかなりなものだと自負しています。
ねぇ、玄奘三蔵国王陛下。」
八戒はそう言って 三蔵に酒のお代わりを注いだ。
「なるほどねぇ〜それは おいしい餌だわ。」
悟浄が感心したようにつぶやいて 次の煙草をくわえた。
「まあ 公爵(duke)は無理でしょうが、いずれ侯爵(marquis)辺りにでも
昇格して頂ければ 光栄に思います。
僕の働きを少しでも認めていてくださるのでしたら、の両親が存命中に
是非ともお考え下さるようにお願い致します、国王陛下。」
プライベートであるにもかかわらず『国王陛下』を連発する八戒に、
三蔵はグラスの酒を煽りながら 沈黙で返した。
いずれと言わず三蔵は王女との結婚では恩赦を出すつもりでいる。
加えて両国の合併と2人の結婚に尽力した者に 何らかの褒章を与えるつもりでもいる。
王女との事では 八戒には並々ならぬ助言と尽力をさせたことには違いない。
一代限りの侯爵ならば 問題にもならないだろう。
寵愛が過ぎると言い出す輩も出るであろうが、三蔵の耳に入る前に
八戒が自ら黙らせるだろう事は想像に硬くない。
その辺りの事を含んでの発言だということは三蔵も承知していた。
これが公的な場所や立場で発言しようものなら 昇格どころか罷免に成り得るところだが、
今は私的な時間である。
お互いが許しあっているからこそ ある程度の暴言も許されるという事を踏まえての発言だ。
だが 出世を望む動機が、自分の出世欲や自己顕示欲などではなく
妻の両親への対面だというところが 面白い。
そんな八戒に 妻・への並々ならぬ愛情を見た気がした。
「で、てめぇの意見をまとめると?」
八戒の惚気話にけりをつけるべく 三蔵は結論を言うように促した。
「そうですね、女性をよく花に例えるものですが どんなに綺麗な花でも
どんなにおいしそうな密の香りがしていても
その時のお腹の空き加減で我慢が出来なくも無いでしょう?
まして 好みや相性と言う問題もありますからね。
相手も生き物なら またこちらも生身の身体です。
悟浄は別ですが、いつもかも 誘われてばかりと言うわけでもありません。」
自分を特例にされた事で悟浄は「ひでぇなぁ〜。」と つぶやいて抗議したが、
2人には完全に無視されてしまった。
「ところが こちらの意図に関係なくその魅力に惹かれて行ってしまうと言うものがあります。
その魅力に誘われて近寄れば身の破滅も在り得ると言うのに、
逆らいがたいほど惹かれてしまうんですよ。」
八戒はそう言っていつもより苦く笑った。
「蝶や虫が花でもねぇのに惹かれるものか?」
「えぇ、そうです。
ただありがたい事に 与えられるのは必ずしも死ではないという事ですね。
人生において極上の時間を得られるかもしれないんですから・・・。
僕とのように お互いがそういう存在と言うこともありえます。
その女性だけが出すあがらい難い周波数と光が、僕と三蔵と悟浄ではまったく違うと言う事ですよ。
三蔵が言った『誰かを特定に好きなる』と言う感覚は、
その周波数に捕まる事だと思うんですよ。
それが 何時何処で感じて捕まるかが分らないからこそ
恋や愛は不思議なものだと思うんじゃないですかね。
僕の場合はと知り合ったのが子供の時だったですから そういう自覚も早かっただけです。」
そう事も無げに言い放った八戒は グラスを置いてすっと立ち上がった。
「それじゃ僕はこの辺で 引き上げさせてもらいます。
話をしていたらが欲しくなっちゃいました。では また明日。」
ヒラヒラと2人に手を振ると 八戒は笑顔でドアから出て行った。
残された2人の間には微妙な沈黙が訪れた。
奴だけが感じる周波数が届いたのか それに誘われるように帰って行った八戒が、
やけに幸せそうに見えたことは 悔しくて口に出来なった。
恋に迷う残された2人は、その惚気に当てられて暫く黙って飲むことになった。
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三蔵現代パラレル「Imperial Romance」の八戒ドリです。
サイト運営で悩んでいた龍宮に 暖かいご助言を頂いたことに感謝して
リクエストを頂きました。
沙季様、いつもありがとうございます。
ささやかですが頂いたご厚情に少しでもお返しできれば幸いです。
沙季様に限り お持ち帰り可とさせて頂きます。
