NO.70 ベネチアングラス




チン♪と、グラスを重ねて鳴らしてから、お互いが香り立つ液体を口に含んだ。

「ねぇ、もしそのグラスのお酒に、私が毒を入れていたとしたらどうする?」

先に一口飲み終わったが華やかな笑顔を向けながら、三蔵に尋ねた。

まだ口内に酒を持っていた三蔵は、

それを飲み込もうか一瞬迷った後 喉を通過させた。

「入れたのか?」

料理に手を伸ばしながら 何気ない振りで三蔵は尋ねた。

「入れてないわ。

こんな所で殺してあげるほど、私は優しくないし 愚かでもないもの。

それより 最初に尋ねたのは私のほうよ、答えて。」

笑顔の癖に目が笑っていない。

(美人がやると凄みがある。)と、同じような手段に出る

眉目秀麗な翡翠の瞳を持つ男の顔をふと思い出した。

逃げない方が懸命なことを悟る。

「そのまま飲む。」

前菜にフォークを突き立てて三蔵は断言した。

その返事には少し眉を上げて黒曜石のような瞳を見開いた。



「どうして そんなに迷いが無いの?」

少し呆れたようにさえ聞こえる声で、更には三蔵に尋ねた。

「それがの意思だからだ。

女が男を殺す動機なんざ、俺たち男には理解できねぇだろう。

酷く単純なこともあれば、これでもかと言うほど複雑極まりないときも在る。

女が男ほど単純だったら、歴史はもっと簡潔に出来てるはずだ。」

それは降参しているとも取れる発言だ。

その癖、愛を囁くよりも重くて熱い内容を告白している。

三蔵は自分にそんな言葉を吐かせるを見る。

惚れているのだと、今更のように自覚した。

「それで殺したいのか?」

何か物思いにふけるの思考を断ち切るように 三蔵が尋ねた。

にそうとは気取らせないが、答えによっては2人での晩餐は最後にもなり得る質問だ。

が『別れたい』などと素直に別れの言葉を口にして、

別れを告げるような女でない事は承知している。

それだけに 嫌な汗が三蔵の背中を伝った。



此処まで酷い危機もなく付き合って来たが、

世間的に見て自分が褒められたような恋人でないことを三蔵は自覚している。

他人との接触が事の外苦手な自分だ。

男の友人さえ少ないのに、女の知り合いはもっと少ない。

それ故、あの垂らしの友人のように女心を掴むことが出来ない。

どうして良いのか分らないから、結局自分の思うとおりに行動してしまう。

がそれをどう思っているのかさえ、尋ねたことがない。

まして仕事も忙しい。

見た目で付き合おうとする女で良いのなら、幾らでも転がっているだろう。

だが、それでは満足できない。

自分でも厄介な男だと知っている。

だが、手に入れて一度味を覚えた幸福感は 既に手放せない程に馴染んでしまっている。

他の誰かではこの満足感は得られない。



がまたグラスの酒を口に含んで、こちらを見て笑った。

柄にもなく その笑顔に手放すもんかと決意する。

「三蔵を殺すことが出来たらとても幸せだろうな。

だって誰にも奪われる心配をしなくても良くなるでしょ?

でも 実際は、私自身からも貴方を奪ってしまうことになる。

だから 殺したいけど殺さない・・・・殺せない。

ただ、お願いがあるの。」

笑顔を引っ込めて、は少し伏し目がちにそうつぶやいた。

(お前を手放さないためになら、どんな願いでも聞き届けてやる。)

そう心の中で思いながら「言ってみろ。」と、いつもどおりの声に乗せた。

「うん、クリスマスもバレンタインもホワイトデイも恋人らしい事なんかしなくてもいいから、

1年に1度だけの私の誕生日だけは、こうして一緒に過ごしてほしいの。」

黒曜石を思わせる瞳がライトで煌いて見えるのは、潤んでいるからだろう・・・と

三蔵はその真摯な願いに頷いた。



「それで今日は、ドレスアップして食事なのか?

分った、それでが俺を殺さずに傍に居ると言うのなら、

年に一度のこの日くらい必ず空けてやる。

ただし、条件がひとつだけある。」

「なに?」

「俺の誕生日にもこうすることを約束出来るならだ。」

三蔵はまだ並々と酒をたたえるグラスを持ち上げて目の前に差し出した。

もそれに習って同様にグラスを手にする。

チン♪

と、もう一度テーブルの上でグラスが音を奏でた。




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【Deep Forest】連様、
サイト公開1周年おめでとうございます。
日頃の感謝を込めて、短いですが三蔵ドリーム献上させて頂きます。
これからもどうぞ親しくお付き合いさせて頂ければ嬉しいです。