NO.68 蝉の死骸





ジープから降りて 少し離れた木の根に座り 懐の煙草を取り出して火をつけた。

ぼんやりと立ち昇る紫煙が空に解けるのを見ていると、

ポタッと何かが樹から離れるように三蔵の足元に落ちてきた。

よく見れば それは蝉の死骸だった。

地中から出て1週間ほどの短い成虫としての命を終えたのだろう。

だが 7年もの長い年月を地中で過ごした後では 

1週間ではあまりに短く儚いのではないだろうか?

三蔵はふとそんな想いに囚われた。




から聞いた話では 天界と言う世界は常春の上に 

神たちは永い時を生きるのだと言う。

人である自分から見れば それは永遠に近い命だ。

比較するなら 蝉が地中にいる時間と 外にいる時間ほど違うだろう。

でも だからと言って 地上の7日間が地中の7年に劣るとは思えない。

生を生きるものさしは 刻の長さではないはずだと三蔵は思う。

蝉だとて 地上の7日間で空を飛ぶ自由と恋をする切なさを味わう。

それは 地中では絶対に得られないものなのだ。





八戒を手伝って 昼餉を用意しているを視界に捕らえて、

その美しい笑顔に 心が癒されるのを 三蔵は感じる。

同時に 胸中にへの愛を確認することも出来る。

この想いに答えるべく、は人と神と言う種族を超えると言う禁忌を犯し、

三蔵は その上に僧の戒律も捨てている。

神から見れば短いものだとしても 密度は引けを取らないと自負している。

自分の前世だと言う の婚約者と比べるのは 虫が好かないが、

それでも 短いからこそ激しく燃えるものだと思う。




いずれ 三蔵も生を終えて この足元の蝉のように 屍になる日が来る。

それは 間違いの無い事実なのだ。

死は全ての者に平等に与えられるのだから・・・・。

そして その日が来ても は神と言う身体だからこそ 

永遠に近い時の中に存在し続ける。

三蔵はを残さなければならない。

それでも を愛さずにはいられない。

死に逝くその時まで を誰にも渡すつもりもない。

それは 紛れもない事実であり、三蔵の決意でもある。




500年前に死んだというその自分の前世だった男も 

瞼を閉じるその時までを愛していたに違いない。

そうでなければ は三蔵に会うまでの永い時を 

その男だけを想って暮らすはずはない。

は誰にもその心を許さないことで、その男の愛にこたえていたのだろうと想う。

だが 過去はともかく今は俺の女だと、三蔵はを見る。

『金蝉の生まれ変わりではなく、三蔵と言う名の今のあなたが好きです。』と、

が言っていた様に 過去は関係ない。




例え時間は短くても その愛の深さと激しさで、

三蔵はの中に自分を刻み付けることを選んだ。

金蝉と自分が にとって過去の男になって同列となる時、

その激しく深い想いで 奴より鮮明に残るようを愛する。

まるで 蝉が生を謳歌するがごとく 鳴くように・・・・、

この姿も、

声も、

愛も、

自分に愛いされたことを思い出すようにと・・・・・。




用意が出来たと、が三蔵を呼ぶ声が 耳に届いた。

その足元の蝉の死骸に そっと土をかぶせると、

三蔵は立ち上がって そこを後にした。

  






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