NO.61 飛行機雲








バシッ。

「馬鹿野郎!

何べんも同じこと言わせんじゃねぇ。」

ドアを開けた途端の音と怒鳴り声に思わず足がすくんで止まった。

いつも繰り返される光景だったが、その痛そうな音と騒音にも似た言い争う声には

なかなか慣れるものではない。

固まって動かないを心配して、八戒がそっと声を落として気遣ってくれた。

、驚かせましたか?

心配しなくてもいつもの事ですから、大丈夫ですよ。」

そう言われても、はい そうですかと言えるほどは図太くない。

頭を押さえてうずくまる悟空が目じりに浮かべている涙が 心配になる。

何か声を掛けようと思うのだが、ここで が悟空に何かを言えば

それを三蔵が咎めて、また怒られるのは悟空だったりする。

だから は悟空が心配だったけれど 黙っていた。



それから暫くして 八戒のお手伝いをしてベランダで洗濯物を干し終わったは、

マンションの裏に流れる小川の土手に、大好きな悟空の背中を見つけた。

八戒に彼を指差して許可を取ると、駆け足で悟空の元に向かう。

「さっきは三蔵にずいぶんと怒られていましたから、少し慰めてあげてください。

悟空に元気がないと、僕たちの可愛い花も萎れてしまいますからね。」と、

八戒はをからかいながら「2人で食べなさい。」と、

買い物の折に買って来てくれた菓子パン2つが入った紙袋を渡してくれた。

きっと悟空のおやつに違いない。

三蔵は新聞を読んでいて、そのと八戒のやり取りに気付いているのに、

知らん顔を決め込んでいる。

玄関を出ると急いでマンションを出て 悟空の元に向かった。

はこれで悟空も元気になってくれるだろうと、笑顔で近づいた。

「悟空、何してるの?」

そう声を掛ければ、悟空は少し驚いたように振り返った。



八戒が言ったとおり、今日の悟空には元気がない。

可愛い笑顔に影が差した。

いつもなら もう立ち直っているはずの悟空が、の持っている袋にも気付かない。

視線をから川面へと戻した悟空は、隣に腰を降ろした

ポツポツと話し始めた。

「俺、怒られてばっかりだよな。

そんな事望んでねぇのにさ、悟浄にはからかわれちまうし 三蔵にはハリセンで叩かれるし

そんなに駄目なのかな?

なぁ、 どう思う?」

いつもなら太陽とも思える笑顔や覇気をまとった悟空が、弱気なことを口にしてに尋ねた。

なんと言って慰めたら良いだろう・・・自分は良い言葉を持ち合わせていない。

悟空の問いかけに もまた少し沈んだ。



悟浄なら からかったり発破をかけたりして元気にさせることが出来るだろうし、

八戒なら 美味しいものを作ってあげたり さりげない気配りで笑顔を引き出すだろう。

三蔵は ああ見えても僧侶だから、真理を説くのはお手の物だ。

それになんと言っても 悟空の飼い主だとみんなが認めている。

自分が沢山何かを言うよりも きっと 一言で片付けられるはずだ。

でも・・・・と、は悟空の横顔を見た。

でも、他の誰かに悟空を元気にする役を渡したくない。

何か元気にする言葉はないものか・・・・・。

顔を上げて空を見た。



そこには 真っ直ぐに伸びた一筋の細い雲。 



「ねぇ、悟空。

飛行機雲ってどうして出来るか知っている?」

その脈略の無いの言葉に、悟空は意外そうな顔をに向けて首を横に振った。

「あのね、飛行機のジェットエンジンはね 排気ガスと一緒に水も出すんだって、

それで 飛行機って上空を飛ぶでしょ?

そこはとても寒いから 排気ガスと一緒に出た水は、水蒸気になるの。

それが雲になるんだって。

その辺を走っている車も同じなんだよ。

でも 普段そんな事はあまり気付かないでしょ?」

そう言って は悟空の顔を見た。

が一生懸命に話すせいか、悟空も真剣な顔をして聞いていてくれる。

それだけでも はなんだか嬉しかった。

でもの言った意味は悟空にはうまく伝わっていないらしい。

なんだか難しそうな顔をしている。



もっと悟空に分りやすく伝われば良いのに・・・と、は歯がゆく思った。

「悟空は とても元気があるし、いっぱい動き回るよね。

だから 三蔵が怒るのは悟空が元気で笑顔でいる証拠だと思うんだ。

悟空が怒られて凹んじゃう気持ちも分かるけど、それだときっと三蔵も心配するよ。

だって ここに来るのに、八戒は悟空にってパンを持たせてくれたし、

それを気付いていて三蔵も悟浄も黙って私を出してくれたよ。」

の言葉に 悟空は少し頷いて「それと飛行機雲とどういう関係があるんだ?」と、

の説明を促した。

「ん〜、つまり 三蔵がハリセンで叩くのも 悟浄がからかったりするのも

私には悟空が元気な証拠に見えるんだ。

飛行機のエンジンが調子が良くって空に真っ直ぐな雲を作るのと同じに見えるってこと。

分ってくれる?」

今度はうまく伝わったかどうか心配で、は悟空に尋ねた。



「うん、それは分った。

じゃあさ、は俺が三蔵に怒鳴られてると安心するのか?

でもあれ 痛てぇんだぞ。」

少し元気が出た悟空は に頭を押さえて訴えた。

「そうだね、痛そうだね。

でも 悟空が元気だと 私 嬉しいんだ。

だから いつも笑ってて欲しいの。」

そう言ったは少し寂しそうに俯いて、自分の非力さを感じていた。

やっぱり自分じゃ悟空の笑顔を引き出すことは出来ない・・・と、思った。

そんな横顔を見せられて 悟空が何も思わないはずがない。

「じゃあさ、元気になるからさ。

の笑顔見せてよ。

そしたら元気が出るからさ・・・・な?」

悟空の言葉には顔を上げて 少し笑った。

「こう?」

「ううん、もっと・・・・こう ニコッとさ。」

悟空の暖かい手がの頬を少し上に押し上げる。



悟空は夢中で気付かないが は触れてきたその手に頬を染めた。

だが 悟空の手が邪魔して俯く事も顔を逸らす事も出来ない。

「悟空、一人じゃ笑えないよ。

悟空も笑って。」

お返しとばかりにも悟空の頬に手をやって、頬を上に押し上げた。

今は照れ隠しをするしか にはなすすべがない。

お互いが相手の頬を押し上げて「笑って!」と言う状況に、

いつしか2人は 本当に可笑しくなってきて 自然に笑顔になった。

「悟空のその笑顔大好き。」

「俺だって のその笑顔大好きだぞ。

だって すっげ〜綺麗で可愛い花みてぇだもんな。

でも・・・・。」悟空が 何か言いよどんだ。

「でも・・・なに?」

「腹減ったぁ〜。」悟空は笑顔でそう言い放った。

は嬉しくてクスクス笑う。

「じゃあ、八戒がくれたパン食べようか?」

「マジ? なんだ〜あるんなら早く言えって!」

悟空の返事には益々可笑しくなった。

さっきからパンのことは言っているのに、少しも気付かなかったのは悟空の方だ。

手元の紙袋を開けて 中身を悟空に手渡すだった。




「おい、あいつらは頬を触りあって何してるんだ?」

ベランダで三蔵が隣の八戒に尋ねた。

「さぁ、何をしているんでしょうか。

でも なんだか微笑ましいじゃないですか。

可愛い恋人同士みたいですね。

2人とも気付いてないんでしょうね、お互いに必要な存在だってことに。」

八戒の言葉に「フン。」と、三蔵は返した。

は可愛いからなぁ、小猿にはもってぇねぇんじゃねぇの?

女の子は花だって言うじゃん、を手折るのが猿ってどうよ?」

くわえ煙草の悟浄が 可笑しそうに例えた。

が花ならば、僕達は花のための大地や空気や水みたいなもんです。

でも 花が向いているのは いつも太陽の方なんですよ。

ね、三蔵。」

そう言った八戒を チラッと視界に入れると三蔵は黙ってベランダを離れた。





一筋の線だった雲は いつしか広がってぼやけてしまっていた。







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香桜様、おめでとうございます。
リクエスト頂いた「悟空ドリーム」お祝いに献上させて頂きます。
私の書く悟空が好きと仰って下さる香桜様のご期待に添えているといいのですが・・・。

香桜様に限りお持ち帰り可です。