NO.54 子馬
西までの旅の途中には、山あり谷あり川ありだ。
桃源郷が妖怪の暴走で治安が悪くなった今、ここを旅する者は少ない。
寂れた街や妖怪によって滅ぼされた村も多い。
だから毎晩泊まるところを確保できるほど、町や村が点在しているわけではない。
現に自分たちもかなりの数の野宿を強いられている。
一行は、山道を進んでいた。
山道とは言っても山岳地帯の高原を行く道程で、起伏はあるが厳しいものではない。
それでも いつも頼りにしているジープが通れる道幅が確保できないほど狭くて、
全員で荷物を抱え徒歩に移った。
ジープは変身を解いて、白竜の姿に戻った。
飼い主であり運転者でもある自分の肩にとまると、嬉しそうに頬にすり寄ってきた。
その様子をが見上げて微笑んだ。
この旅に加わった当初から、にはジープの面倒を見るのに手を貸してもらっている。
彼女に居場所を与えるつもりで頼んだのは自分だ。
予想外に懐いてしまって、ジープ相手に自分が嫉妬を覚えたのは計算外だったが。
その細く長い首を隣を歩くの方へと伸ばして「きゅ〜。」と鳴くと、
愛しそうに頬を寄せた。
いつもなら肩に飛び移ってもいいところだが、も荷物を抱えているのを見て
ちゃんと遠慮しているらしい。
自分よりも後にこの一行に加わったのことは、庇護するべき対象としてみているような
そんな素振りさえ垣間見える。
それはジープが雄だからだろうか。
川と言うほど大きい流れはなくとも、水源には困らない豊かな土地らしい。
ちゃんと整えられた泉がある。
下りの道も似たり寄ったりだろうと言うことで、まだ陽は高かったが
今夜の野宿はそこにと定めた。
いつものように悟空は食料の現地調達に、悟浄は薪拾いにそこを散らばった。
自分とも水汲みがてらその場を離れた。
宿と同様、最高僧様はその場を動く気がないらしい。
ある意味留守番とも言えなくもないが・・・。
横目で伺えばいつでも携帯している新聞を広げている。
山間部では良く見られることだが、この辺は家畜を夏の間だけ放牧しているらしく、
簡単な柵があってその向こうに、馬の親子が見える。
脚力がある馬にしてみれば、こんな低くて弱そうな柵ではあってないに等しい。
それでも柵の中に大人しくしているのは、馬が生来臆病な動物だからだ。
登ってくる途中には人家らしきものは見えなかったから、
放牧している馬の主の家は、下りにあるのかもしれない。
馬の子供が生れ落ちてすぐに健気にも立ち上がろうとするのは、
それだけ外敵が多く弱いためだろう。
だからこそ、一度に生まれるのはたいていが一頭だけ。
そして、母親がかなりの間付き添い育てる。
目にしている親子もその過程らしい。
子馬の方はやんちゃにその辺を元気に走り回っている。
子供はどんなものでも同じだ。
「可愛い。」
そう、横から上がった柔らかい声に自然と頷けた。
視線が交わっていなくても考えていることはなんとなく分かる。
その嬉しさ。
これこそ、一緒にいることでしか味わえない体験だろう。
危険な西への旅なのだから、同行させるのはどうかと考えていた当初に比べると、
いまやのいない旅なんて考えたくないほどに馴染んでしまっている。
慣らされたのは、なのかそれとも自分の方なのか。
「ああしてどんな生き物にもお母さんが居るんですね。」
走り回る子馬を愛情深く見守る母馬を見て、が言った。
「えぇ、そうですね。」
事情を良く知らないに、(僕は母親の顔を知らないんです。)と言っても
始まらないので、とりあえず同意しておく。
以外の旅のメンバーで、母親の顔を知っているのは悟浄くらいだろう。
それも実の母親の顔は幼さゆえに覚えていないかもしれない。
悟空は、人として生を受けたわけではないらしいのでもちろんだが、
三蔵も自分も生まれてすぐに捨てられている。
だから 目の前で子馬が受けているような母親からの愛情など知らない。
「だったら、ジープにもお母さんの白竜が居たんですよね。」
自分が考えていた展開とは話が違ったことで、
「は?」と珍しくとぼけたような返事をしてしまった。
自分としては(八戒さんのお母さんはどんな人だったんですか?)なんて
質問が来るのかもしれないと考えていたのだ。
事実を話すのは容易いのだが、それだときっと質問をした方のの優しい心を
傷つけてしまうんじゃないかと思った。
どう話を逸らそうか、
どううまく説明するか、
そんな事ばかりに考えをめぐらせていたのだ。
だから、ジープのお母さんに話が行った事は、正直ありがたい話だ。
だけど、知らないものを応えようがない。
「実は僕も知らないんです。」
素直にそう口にした。
飼い主だからある程度の意思の疎通が出来るとは言っても細かい所は分からない。
さすがに会話は成り立たないのだ。
「でも居ないと言うことはないと思います。」
ジープの話題を離れてしまうと、先ほど心配した話へと向かうかもしれないので、
この場はそれを繋いでおくことにした。
「そうですよね。
だとしたら、何に変身できるお母さんだったのでしょうか?」
が考えていることが分かって、その思考の可愛さに思わず笑顔になる。
彼女は、ジープが白竜から車へと変身することをとても不思議に思っているらしい。
白竜が4輪駆動の車なら、その母親は何に変身するのだろうと、そう思ったのだろう。
今まで考えていた暗い過去へのこだわりから開放されて、
との話を楽しもうと言う気になった。
彼女がくれるこんな穏やかな時間が何よりも嬉しい。
「そうですねぇ。」と、の言葉を受けて考えてみる言葉を口にしながら、
彼女の見上げてくる瞳を覗き込んだ。
「は何だと思います?」
彼女の思考をそちらに追いやるべく、質問を投げかける。
いままで自分を見ていたの視線が、肩にとまらせているジープへと移った。
自分のことが話題に上っているのを感づいているのか、
ジープも同じようにの顔を覗き込む。
一人と一匹の可愛いみつめ合いは横で見ていて微笑ましい。
どう言われるか気にしているようなその素振り。
飼い主が大事に想う女性だからということも、
他の誰よりも自分には優しいということも、
一行の誰もが気にかけている存在で、自分も守らなければない人だということも、
ちゃんとわきまえていると言うその態度で。
だから、が自分に関して悪く言うことはないだろうと、
その上で何を言ってくれるのか期待しているらしい。
がそっと手を差し出すと、その手のひらにキスするような仕草。
動物相手に嫉妬しても仕方がないことは知っているのだが、
それでも沸き起こる感情はとめようが無い。
手のひらへのキスは、親愛の証であり想いを込めてするものだ。
他の誰かなら絶対に冷静でなんか居られない。
子供と動物にはかなわないのだと、改めて思った。
の肩へと乗り移らんばかりなのにそうしないのは、
立っている彼女の負担にならないためだろう。
ジープがに身を預けるのは、彼女が座っているときや
動かなくてもいいときに限られている。
「鉄の乗り物には詳しくないし、名前なんて知らないから言えないんですけど。
ジープのお母さんもきっと素敵な乗り物に変身できたと思うんです。
だって、蛙の子は蛙って言うじゃないですか。
でも屋根があってガラスの窓もついているといいですよね。」
はそう言って、ジープの耳の後ろ辺りをコチョコチョしている。
毛繕い出来ないその辺りを撫でてやると嬉しいことを知っていてだ。
案の定、ジープは紅玉の瞳を閉じて、大人しく頭を差し出している。
(まったく、が飼い主である僕の彼女だというのに
遠慮というものを知らないんでしょうか?)
八戒は、その気持ちよさそうなジープの様子に、心の中で一人愚痴った。
ここで今の感情を表に出したら、きっと目の前の一人と一匹は驚くだろう。
普段は、その本音を嫌味やちょっとした愚痴に混ぜて吐き出してはいるものの、
ストレートに言葉に乗せたりしない八戒だ。
悟浄は一緒に住んでいるうちに、それをするりと交わす術を覚えていたし、
三蔵は分かっていながら聞こえていながら、耳には届いていない振りをする。
悟空に至っては嫌味にすら気づいていないことの方が多いくらいだ。
それを考えると、は交わしもしなければ聞こえない振りもしない。
まして、分からないほど頭も悪くなければ鈍感でもない。
自分の言った言葉をまっすぐに受け止める。
だからこそ、への言葉を口にするときは気をつけなければならないと、
八戒は思っている。
自分が何か言ったら、ジープへの態度に遠慮が混じるのかもしれない。
そんなは見たくないと思った。
自分に遠慮したり、咎められることに怯えるような真似はさせたくない。
彼女には、いつでも笑顔でいて欲しい。
「そうですね、そうだったら雨の度に足止めされなくて、
三蔵は喜んだかもしれませんね。
それにのこの綺麗な肌を日焼けや風からまもれるかもしれないですし。
フロントガラスだけでは、風も防ぎきれないですから。」
そう言って、親指の腹でそんな風や陽射しで痛んでいるはずのの頬を撫でた。
そこは、毎日のように風にさらされて、陽射しに焼かれているなんて思えないほど
滑らかで柔らかな肌触りだった。
服で守られている他の仲間の知らない、自分だけが知っている肌と同じに思える。
宿が取れて部屋に余裕があるときには必ず同室なのだから見ているが、
それほど肌の手入れに熱心なようには見えない。
それでもこんな肌触りなら、日にも当てず風にもさらさなければ
さぞや・・・と思わせるものがある。
くすぐったいのか首をすくめて、笑顔になる。
今日がこんな所で野宿でなければ・・・と、思わずにはいられない。
今夜は長い夜になりそうな予感がする八戒だった。
「じゃ、水を汲みにいきますか。
遅いと三蔵ににらまれそうですし、悟空が何かを採って帰っているかもしれません。」
そう促せば「はい。」と可愛い応えと共に笑顔が向けられた。
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「Another Moon.r」様、サイト公開2周年記念献上夢
「Another Moon.r」様サイト公開2周年、おめでとうございます。
これからも どうぞ素敵な夢を私たちに読ませてください。
この八戒夢の設定は、「Another Moon.r」様の
「Painless heart」をお借りしております。
トリビュート作品としてお読み頂ければ嬉しいです。
