NO. 46 名 前





常世の国では 名前がいくつもあることがある。

生まれたときに決まっているのは「姓」。

これは 戸籍上で使い 生涯を通して 変わることがない。

そして 正丁(成人)すると 「姓」を本姓とし 自分で「氏」を付け それを名乗る。

の場合は 姓は「龍」だが、ほとんどといってもいいほど これを使う事はない。

それに比べると 「国氏」である「藤」は よく使うことになる。



名は 戸籍上で使うものの事だが 公式の場・書式以外では 

名を呼ぶ事を忌む風習があり「字」をもって 呼び合っている。

真名を知られる事は よくないと思われている。

だから 名で呼び合うことは稀だ。

は 名は「」だが 字は「天香」だ。

王となってもそれは変わらないのだが 「主上」と呼ばれることがほとんどだ。

三蔵は 「」と呼んでいるが それは 稀なことだと皆も思っている。

臣下が主のを 呼び捨てにしているのだ。

それでも 三蔵らしいとが とがめないので そのままにされている。



「字」には 「別字」と「小字」があり、

「別字」は正丁となってからの 字。

「小字」は 幼名として用いられている。








三蔵は 胎果の麒麟だ。

6歳までは 蓬莱で育ったのだから 向こうで使っていた名前があるはずなのに

それは 誰も知らない。

蓬山にいた頃は「蓬山公」と呼ばれるか「藤麒」と呼ばれる。

正式に自国へ入国してからは 「宰輔」だが おそれ多いことだと言うので

「台輔・藤台輔」と呼ばれることになる。

「三蔵」は が下賜(かし)した字で その登極の折に 

『私のという名は、父が仏教の天地開眼経文から文字を取り 付けた名なんだ。

『三蔵』というのは 経文の守護者に付ける称号だからね、

私たちの関係にぴったりだ。』」と つけた。








その三蔵の蓬莱名は どんなだろうと 桃源宮で話題になった。

あちらでは 例え捨て子だとしても ちゃんとした名前をつけるものだという。

は 三蔵自身から 両親がいない子供を世話する施設で育った事を 聞き及んでいたが、

それは 太師の光明や冢宰の八戒、大僕の悟空や大司馬の悟浄も知っていた。

だが 蓬莱名については 誰にも明かしてはいなかった。

もっとも 話題になるまでは 聞こうともしなかったらしいが・・・・・・・・。

同じ蓬莱名のある 延麒六太のことが話題になった時に 三蔵の蓬莱名も話しのついでとして

出たのであったが 誰も知らないことが いっそうの拍車をかけたのはいうまでもない。

だが ストレートに三蔵に「蓬莱名を教えて。」と言える者は この桃源宮の中では

1人しかいないのは 周知の事実だ。

しかし それをに頼めるものは 誰もいなかった。







だが 女官の噂話の中に それが出た時 はいたく関心を示したという。

それならば 誰かが頼まなくても 主上が聞き出してくれると 皆が期待した。

案の定 その日は 意外に早く来た。

それは 主上が皆と夕餉を共にしたときだった。

「ねぇ みんな知ってる?

今 後宮で三蔵の蓬莱名が なんと言うか話題になっているんだって。

誰も知らないって評判らしいよ。

お師匠様は ご存知なのですか?」

夕餉を楽しくする話題のひとつとして は切り出した。

光明は 「いいえ 存じていないんですよ。」と 三蔵を見た。

「皆は?」との主上の問いに 一同が同様にに首を横に振る。

話題の人物は そ知らぬ振りで 酒を飲んでいた。








「三蔵、誰も三蔵の蓬莱名知らないって 本当なの?」と

隣に座る 己が半身に 尋ねた。

そこに居た 全員が(主上、いい質問です!)と思ったのは 間違いない。

「あぁ しらねぇだろうな。

誰にも教えた事はねぇからな。」と 答えた。

その答えすらも が尋ねたからこそ 返されたもので、もし 以外が問うたならば

冷たい沈黙か 否だけを返されただろう事は 分かっている。

「みんな知りたいと思っているみたいだよ、私も知りたいから 教えてよ。」

は その可愛い笑顔を向けて 三蔵に頼んだ。

(いくら 台輔が言いたくなくても 勅命という手段もありますよ。)と 

八戒はに進言したい位だった。

「なんだ は 俺の蓬莱名が知りてぇのか?」と笑みを含んで 三蔵が言う。

主上にだけは 甘い三蔵が 「主上に問われれば 教えるかもしれないですねぇ。」と

言ったのは太師の光明だったが、「それも自然でなければダメでしょうから 

入れ知恵は禁物ですよ。」とには 『三蔵に聞き出して欲しい。』と

言ってはいけないと かん口令がしかれた。









「俺の蓬莱名を 聞ける相手はただ1人だけと決めているんだ。

それも 場所と時を選ぶんでな。

軽々しくは 教えねぇんだ。」

三蔵の意味深な言葉に は 「それは何時で何処でなの?」と食い下がった。

「知りてぇのか?」

「うん。」

の同意にニヤリと笑った三蔵が を手招きした。

隣に座ったが 椅子を降りて 三蔵の横に立つ。

その耳元で 三蔵はの耳に何事かを 囁いた。

それを聞いたの顔が さあっと桜色に染まった。








「主上、台輔はなんと?」

冢宰の八戒が の反応を見て 心配げに問うた。

「ごめん、・・・・・・・・言えない。」

染め上げた 頬を押さえて は恥ずかしそうに言った。

「お願いだから 聞かないでね。」と 困っている。

その姿は 何とも言えず 美しく可愛い。

主上のそんな顔を一同は 幸せそうに微笑んで見守っていたが、

それだけに そんなに 誰もそれ以上追求できなかった。











『俺の蓬莱名は 生涯愛すると決めた ただ1人の女性と 初めて交わす契りの夜に

その臥室の牀榻の上で 愛と共に囁くのだ。』と 言われて 

それを太師たちに言えるほどは 世慣れてはいなかった。   










しかして 三蔵の蓬莱名は 誰も知りえないままになった。

その手段を唯一知っている 藤王に それを質問してはならないと

を心配する冢宰八戒によって 

またもや かん口令が桃源宮内に しかれたのだった。








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*「かん口令」
ある事柄について他人に話すことを禁止すること。また、その命令