NO.25 のどあめ
玄奘三蔵は、入社当時から目立つ存在だった。
同期と言っても彼は4大は短大出なので、歳は2歳違うのだが・・・。
偶然にも同じ課に配属になり、机を並べて彼の仕事をサポートするは、
多分同じ課の・・・いや、社内の女子社員の憧れのポストにいると思われているだろう。
例えそれが相当厳しい仕事と分かってはいても・・・・。
仕事が出来るということは、つまり制作しなければならない書類とか、
作らなければならない資料とか、掛けなければならない電話とか、
打ち込まなければならないファイルとかが膨大だと言う事だ。
出来なければ自分が必要ともされないと分っている。
だから は同期入社の女子社員の中では多分一番仕事が出来るはずだと思う。
必要な免許や資格は手当たり次第に取った。
まあ そのお陰で手当ても色々と着いてお財布を潤してはいるが・・・。
会社生活で一番暇になるのは、当の三蔵が長期で出張に出ているときだ。
1泊2日くらいでは暇になるどころか逆に忙しかったりするのだが、
それが3泊以上になると貯まっていた仕事も片付いて、急に手持ち無沙汰になる。
急に休んだ他の女の子の代わりに仕事をやったりすると、
その単純的で安易な内容に正直うらやましくなったりする。
これで 幾らも代わらないお給料をもらっているのだとしたら、溜息が出てしまいそうだ。
そういう時はあまりやりすぎると後が怖いので、ちょっと手を抜いたモノを作成する。
三蔵が要求するような書類を作ったりすると、
後から彼女からの風当たりが強くなって困るからだ。
数日して三蔵が出張から戻ると、その後始末とも言える作業に忙殺される。
出張の長さだけ片付けなければならない資料と書類があるのだ。
途中でメールやファックスを通して仕事を渡される時もあるのだが、
同じ会社、同じ課の人間であっても油断ならない部署であるため、
それはどうでも良い内容の事が多く、そしてそれ程多くもない。
そんな出張後の忙しい日々が続いたためだろうか、
少しだけ無理をして残業をしたせいもある。
は風邪を引いて熱を出した。
朝、ベッドから起き上がれなかったは、枕許の携帯で会社に電話をした。
目覚まし時計を確認すると8時半だ、課のあるフロアには誰かがいるはずだ。
多分、早出の女の子か残業をしてそのまま泊り込みの遠距離通勤社員。
何回かの呼び出しベルの後で電話がつながり、今日は休む旨を伝えた。
風邪のせいで喉が荒れて声がかすれていたから、嘘には聞こえなかっただろう。
だるさを覚えながら、何とか起き上がって冷蔵庫を漁り
白玉で素うどんを作り卵を落としたモノを食べて
買い置きしてあった風邪薬を流し込むと、ベッドに戻って布団を被った。
とにかく眠る事が一番だ。
幸いな事に今日は金曜日だ。
後 2日間はゆっくりと出来る。この週末で何とか直してしまおうと、
課題を自分に課した。
冷凍庫に入れてあった簡易水枕はコチコチに凍っていて少々硬いが、
その分冷たくて長持ちしそうだと思った。
その冷たさと日頃の疲れとがあいまって、は深い眠りに就いた。
目の前のPC画面を睨みながら三蔵はイライラと
本日何本目かわからないMarlboroを口にくわえた。
昨日、残業中に見たの横顔が何処か疲れていて
思い出すと顔色も悪かったように思う。
日頃から何を頼んでも笑顔で引き受けてくれて、
その上 自分に答えてくれるの存在は、三蔵の仕事上 無くてはならない。
それが 今朝出社してみたら休みだという。
出張中の社員についている女の子を頼んでみたら、これが酷かった。
とても使いものにならない。
しかも よりは2年ばかり先輩のはずだ。
仕方なく もう1人追加してみた。
2人にしてみたらようやく 手応えがあったので、今日はこれで行けると判断した。
2人に交互に仕事を渡す。
仕上がりを待つ間に、コーヒーでも飲もうと席を立って給湯室に向かった。
どの会社でもそうだが、給湯室は噂話の溜まり場だ。
良い言い方をすれば情報発信基地とも言えるし、収集基地とも言える。
隔離された小さな部屋から『玄奘』という自分の苗字が聞こえてきた事で、
三蔵の足が廊下で止まった。
どうやら何人かの女子社員が話をしているらしい。
『で、本当の所はどうだと思う?』
『ちゃんが渡辺さんの申し込みを断ったのは、
玄奘さんが居るからじゃないのかって言うんなら答えはNOね。
あの2人はそんな関係になってなさそうだもん。
だから ちゃんに声を掛ける男が後を絶たないんでしょ?
それに彼女悔しいくらい仕事の処理が速くて上手いじゃない。
出来ることなら自分のアシスタントに欲しいと思うのは当然の話でしょ。
今日だって彼女の代わりをするのに玄奘さんたら2人も使っているんだもん。』
『玄奘さんもいい男なんだけどさ、ああも厳しいとどうもね。』
『ホント、ちゃん良くやってるわ。
だいたい風邪引いて寝込んだのも元はと言えば玄奘さんの
残業とかに付き合わされて疲れがたまったんじゃないの?
彼女の残業時間、その辺の男性社員より多いって聞いたよ。』
『早く治って来てもらわないと、今の子達の替わりに使われちゃうのは嫌だよね〜。』
ケトルのお湯が沸いて出たピーという音に話が途絶えて、
それを機に三蔵はその場を離れた。
仕方なくベンダーコーナーで缶コーヒーを買い煙草を片手に缶を開ける。
何故か先ほどの話が耳に付いて離れない。
しかも こだわっているのは、自分に対する評価ではなくアシスタントののことだ。
三蔵よりも2〜3歳年上のその男性社員は、確かに仕事も出来るし良い男だと思う。
先輩ではあるが、自分の居る課は仕事上では皆平等だ。
成績や顧客数や売り上げなら自分だって引けはとらない。
普通なら誰が誰と付き合おうと結婚しようと気にも留めないし、関心もない。
だが 自分の持ち駒に声を掛けたというのは気に入らない。
まして プライベートを仕事の関係に使おうと言うのは、もっと気に入らない。
の仕事振りは非常に気に入っているのだ。
帰社すると笑顔で迎えてくれるところとか、
外の季節や気温にあった飲み物を用意してくれる所とか、
女性らしい気遣いや意見も邪魔にならないように言ってくれて、
そのお陰で商談がうまく運んだ事さえある。
相手の先輩をけん制するのは容易いようだが、同じ課内では波風が立つかもしれない。
そう思うとやりにくい相手でもある。
まして 自分はほとんど外回りで社内にいない。
自分の発言がきっかけでが矢面に立って悪く言われる可能性もある。
自己主張や性格がきつくないらしいがそれに耐えられるかどうかが気になる。
そこまで考えて、三蔵は自分の今の思考が仕事上のモノを超えている事にハッとした。
いつの間にか彼女の事を、身内のように考え始めている。
まるで自分の翼で雨や風から守ってやるのが当たり前のような気さえしている。
今までに自分が知った女の子にこんな事を考えたこともない。
「そういう事か。」
遅まきながら自分の気持ちを自覚した三蔵は、手にしていた煙草と缶を始末すると
自嘲的にククッとのどの奥で笑った。
デスクに戻ると2人の女の子はようやく仕事を終えたらしく、あからさまにほっとしていた。
そして5時の終業のチャイムが流れると、そそくさと帰って行ってしまった。
今日はこれ以上仕事になりそうも無くて三蔵も仕方なくデスクを離れた。
会社が入っているビルを車で出て、最初の信号につかまって止まった。
明日は土曜日。
珍しくほぼ定時に帰社できている。
胸ポケットの携帯を取り出すと、メモリーからの番号を選んでボタンを押した。
何度か鳴る呼び出し音。
会社にいる彼女へ電話をしたことはあったが、個人的な用でかけたことはない。
見知らぬ番号に警戒されているのだろうか、なかなか出ない相手にじれったい。
『はい、です。』
「三蔵だ。どうだ調子は?」
『はい、今日は急に休んですいませんでした。
熱は下がりましたので、何とか月曜日には出社出来ると思います。』
「そうか、ちゃんと食べているのか?」
『はい、何とか冷蔵庫の中を探して食べてます。
後は喉の痛みさえ取れれば大丈夫なんですが・・・ゴホッ』
「そうか、信号が変わった。切るぞ。」
『わざわざすいませんでした。』
スクランブル交差点の眺めのシグナルが替わったのを機に三蔵は携帯を切った。
いつもなら直進するそこを、左折への指示器ランプを点滅させて曲がる。
暫く走って目にとまったドラックストアに入ると、
棚から目に付いた商品を選んで籠に放り込んだ。
最近のドラックストアは米から冷凍食品まであり、まるで薬や化粧品も売っている
スーパーマーケットの様相を呈している。
何も両方へ寄らなくても事は足りる。
ふと目の端に止まったそのコーナーの中から三蔵は良さそうなモノを幾つか取った。
これだけ種類があったのでは、どれが効くのか分らない。
味も色々あるがの好みを知らないのだ、適当に選ぶしか仕方がない。
どれかは効くだろう。
自分のものでさえ 此処まで気を使って選ばないと言うのに・・・・。
どれかを気に入ってくれるだろうと、レジに向かって精算を済ませて外に出た。
車に戻ってシートに身体を委ねると、
切れてきたニコチンを摂取するべく煙草に火を点けた。
の家へ着いたら今日くらいは煙草を我慢しなければならないだろう。
家の中に上げてくれればの話だが・・・・。
仕事の話以外には、会話らしい会話も無かった。
問題はどうやって 尋ねてきた事を説明するかだ。
さっきかけた電話のの声がよみがえって、少し辛そうな掠れ具合を思い出す。
此処は今買い込んだものに頼るしかない。
そう考えた三蔵の視線の先には、助手席に乗せられたビニール袋があった。
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27万番夕姫様のリクエストで、三蔵ドリームでした。
「馴れ初め」が今回のテーマ。
夕姫様には、リクエストをありがとうございました。
