NO.24 ガムテープ
ここ数日 三蔵は、車での出勤ではなく電車を利用している。
車検に出した車に部品の交換の必要が出たからだ。
国産車ならすぐに対応できる事もそうでないために部品の在庫がないと
延々と待たされることになる。
これだけ飛行機が飛んでいる時代になっても その輸送費は一向に安くはならない。
特に重い荷物やかさばる荷物は、船便にまわされる事になる。
だから車やその大きな部品はたいていが船便だ。
ドイツの工場を出た部品は、大西洋岸で船に積まれて日本までやってくる。
だが その船も途中で南アフリカにある工場の製品も一緒に積んで来るのだと言うから
いくらその船足が速くとも3ヶ月はかかると言う事だ。
三蔵の車の部品は、船の中で既に予約が入れられているので、
その点は大丈夫だと言うのだがあと1週間は日本の港に入港しないと言うことだった。
他の車で通勤してもかまわないのだが、
いつも無理をさせている運転手が折り悪く風邪を引いた。
寝込んだ者に、さすがに無理は言えずやむを得ず電車通勤になったのだった。
帰宅した三蔵が、ゼロハリバートンのアタッシュケースと共にスーツの上着を差し出す。
「お帰りなさい。」と声をかけてはそれを受け取った。
そのまま三蔵は寝室へ向ってスーツを脱ぐと、いつものように風呂へと向かう。
は傍で脱いだモノをハンガーに掛けたり、洗濯する物を選り分けたりする。
部屋の隅にスーツをかけたハンガーをかけようとして思わず手が止まった。
上着に何かが着いている。
三蔵はその金糸の髪色からか、深い色のスーツを好んで着る。
中に合わせるシャツの色やタイの色柄は季節や天気などによって変えられてはいるが、
深い色が似合い過ぎてその筋の人に見られないようにするのに苦労するくらいだ。
凄みが出てしまってビジネス街でなければ誤解を受けてしまうかもしれない。。
普段は車を利用しているからか、そんなものが着いている事などない。
なによりも三蔵自身が、他の人と上着が接触するほど近くに人を寄せ付けはしない。
男でも女でも、例えそれが酒の席の上でもだ。
だから これは不可抗力だろう。
は、着いている何かの毛を指で摘んでみた。
人毛ではない。
これは・・・そう 毛皮にでも使う動物の毛だろうか?
OLや学生でも毛皮やそれを何処かにあしらった服を着ても可笑しくはないから、
電車の中で隣り合わせになったのだろう。
季節等お構い無しにバックなんかには使っているブランドもある。
でも 背中にではなく前側の胸元だ。
場所が気に入らない。
背中なら見えなかったというので、着いていても不思議な事はない。
触れてなくてもこの手のものなら近くに居るだけでくっつく可能性はある。
だが、三蔵が自分の視界の内でそんな事を許すだろうか?
自分でありもしない火種を起こしているような気さえする。
痕跡を消したくて、ブラシを当てて見るが上手く取れない。
そのまま ハンガーごとリビングに運んで、引き出しから梱包用にしか使わないテープを
取り出して短くカットした。
接着面をスーツに当てて、トントンと叩くようにしてついているモノをテープに移し取る。
三蔵の容姿を考えれば、会社でも取引先でも接待に訪れる夜の街でも
女性の方が放って置かない事くらい承知している。
どんなに拒ばまれても冷たくされても だからこそ
恋い慕ってしまうと言うことだって在り得る話だ。
その方が燃え上がる恋だってあるし、そういう恋が好きな女性だっている。
相手がいたって想うのは自由だ。
隙があれば、チャンスが転がっていたら、当然のようにそれを手にするだろう。
それが三蔵の気まぐれでも 一夜限りの夢でも構わない。
そう思う女性がいたって不思議に思わない。
だって自分が抱えている気持ちが、それとどれほど変わらないかも知っている。
たまたま 三蔵が近くに居る事を許し、こうして自分に唯一の席を与えてくれたのも
何かの偶然が積み重なっての事で、何か1コマ違えば
他の誰もが座りえた席であることも判っているつもりだ。
醜く嫉妬をさらして呆れられないように、
バカな女だと思われないように気を使っているというのに、
こんなゴミだか埃だか分らないものにまで嫉妬を覚えるなんてどうかしている。
そう 分っているのに、それでも 三蔵のスーツについている全てのそれを取り去るべく
は懸命に作業していた。
夢中になるあまり風呂からあがった三蔵が部屋に入ってきたのにも気づかなかった。
「おい、何をしている。」
不意に背中から掛けられた言葉に、驚いて身体がビクッと振るえた。
三蔵が肩越しに手元を覗き込むのが分る。
「スーツに何か着いてたから・・・・。」
荒れ狂っている心を出来るだけ悟られないように押し殺して、手元に集中した。
「そうか。」
三蔵の足音がキッチンへと移動して行ったのを聞いて、
力を抜くように大きく息を吐き出す。
今の自分の内側で起こっている嵐を知られたくない。
それこそ 心に張り付いているゴミを落とせるものがあるのなら手に入れて、
こうして手元の作業のように綺麗にしたいほどだ。
ゴミも汚れもない綺麗な気持ちで三蔵のことを想えたら、
どんなに幸せで平穏な日常が送れるだろう。
だが、現実は竜巻のように触れるモノをみな吸い込んで巻き上げ、破壊する。
今まで隠していた醜い嫉妬心、呆れられて捨てられるのではないかと思う不安感、
家に居る事で世の中の流れから置き去りにされているのではないかと言う疎外感、
いつも三蔵だけを待っている孤独感など、隠していた気持ちを根こそぎ掘り起こして
自分に見せ付けるようにクルクル回してみせる。
綺麗なものならそれはきっと見ていてもいいだろう。
でも 自分でも何処かに埋め込んでいたはずの醜悪な気持ちばかりを、回して見せられては
美しいどころかこの世で一番醜いものに思える。
突発的に起こると言われる竜巻もちゃんと発生には条件が必要だ。
発達したかみなり雲や積乱雲の下で発生すると言う。
上空に寒気が流れ込んだときや、台風や低気圧が近づいている時、
そして寒冷前線が通過した後などは積乱雲が特に発達しやすくなるため発生しやすい。
だとすれば、かみなり雲や積乱雲は、いつも心にある不安や嫉妬心。
寒気の流れや低気圧の接近などは、
Yシャツの口紅や香水の移り香・源氏名の名刺と言う所だろうか。
それらはただの条件に過ぎない。
起こるか起こらないかは、そんな条件に左右されるの心だ。
「そんなに掛かる様なら、クリーニングに出せ。」
テープを手にいつまでもやっているに、三蔵が声をかけた。
「はい。」
そう返事をして、手元を見れば既に綺麗になってしまっていた。
これ以上やれば、今度は生地を痛めて毛羽立たせる。
無意識に同じ所ばかりを作業していた事に、はなんだかやり切れないモノを感じた。
スーツを手に立ち上がって振り返ったは、
三蔵が自分に視線を注いでいるのに気づいて立ち止まった。
手には先ほど冷蔵庫から出した缶ビールをもってはいるが、
TVをつけているわけでもなく 新聞も広げずにをじっと見ている。
自分の心の中を見透かしているようなその視線に耐え切れず、
は逃げるように廊下へと出た。
寝室に入るとクローゼットの扉を開けてハンガーにかかったままのスーツを片付ける。
もっと深刻な事例での嫉妬なら自分でも言い訳が立つのに、
まさかスーツに着いていたもので勘ぐったなんて恥しくて説明のしようが無い。
些細な事で嫉妬しているなんて三蔵が知ったら、いい顔をしないことは判っている。
嫉妬渦巻く心を何とか抑えるべくゆっくりと息を吐き出した。
浮気をしているとかなんて少しも疑っていない。
三蔵に他に好きな人が出来れば、彼はすぐに自分に打ち明けて
今の関係を終わらせようとするだろう。
これだけ傍に居れば、三蔵の性格は多少なりとも把握しているつもりだ。
自分の気持ちを誤魔化す様なことはしない人だ。
落ち着いて考えれば、たわいもないような事だと分る。
なんだか可笑しくなって笑えて来た。
ポケットにホテルのマッチが入っていたわけでもなければ、
領収書が入っていたわけでもない。
口紅とか合鍵とかが見つかったのでもないのだ。
手にしていたスーツは三蔵のコロンの香りしかしなかった。
「ほんと、バカみたい・・・。」
こみ上げてきた笑いを、大声にならないように抑えて肩を揺らす。
クローゼットに顔を突っ込んだ状態で、クスクス笑う自分を想像してみた。
余計に笑えてしまう。
何とか大きく息をして笑いを収めようとしていたは、
三蔵が部屋に入ってきたことに気づかずにいた。
「何がそんなに可笑しいんだ?」
かけられた声に、驚いて笑いが引っ込んだ。
「ううん、なんでもない。
さあ、夕ご飯にしようか、おなかが空いたでしょ?」
三蔵の元まで歩み寄ると、眉間にしわを寄せた顔に笑いかける。
いぶかしんだままの顔を気づかない振りでやり過ごすと、
「さあ。」とダイニングの方へ身体を向かせて背中を軽く押した。
「何かあったんじゃねぇのか?」
に背中を押されながら三蔵は念を押すように尋ねる。
「何もないよ、大丈夫。
スーツに着いたゴミはちゃんと取れたから、心配しなくてもいいよ。」
いつもの様子に戻ったを三蔵は不思議そうに見ていたが、
無理しているように見えなかったからか、それ以上の追求をあきらめたようだった。
キッチンでお味噌汁をお椀に盛りつけながら、は先ほどの自分の思考経路を辿ってみた。
「三蔵みたいな旦那様を持った苦労とでも言えばいいのかな。
気をつけないと、自分で火のない所に煙を出す事になっちゃうかも・・・。
今回は上手く誤魔化せたけれど、感がいいから・・・・。」
トレイを手にしてダイニングに戻りながら、は三蔵に笑顔を向けた。
------------------------------------------------------
【Another Moon.r】様に進呈
