短大を出てOL勤めも3年目に入いる頃になって、
こんな私でも先輩と呼ばれるようになった。
目の前にいる新入社員の彼女たちの方がよほどOLらしい落ち着きと
風格が備わっているように見える。
別に仕事が出来ないというわけではないと思うけれど、
童顔のせいかなかなか年相応には見てもらえない。
それでも うちの部の新入職員である彼女たち3人を教育する担当になったからには、
それなりに期待されていると思って頑張ろうと思った。
まあ 彼女たちに嫌われてはいないことだけは確かなので、とりあえずはよしとしよう。
なぜなら 毎日「先輩、お昼を一緒に。」と誘ってくれるのだから。
お陰で貴重なデートがここの所つぶれているので、
不機嫌モード全開の人が居るのだが、それは口に出来ないので黙っておく。
お弁当に舌鼓を打ちつつ、3人の会話に耳を傾ける。
どうやらどの子にも彼氏がいるような雰囲気だ。
こういう時、日本人って身内には厳しいことを言う。
愚痴とも取れるような発言が続くし、大事な彼氏のことを悪く言うことが多い。
本当は自慢したくて仕方がないはずなのに・・・・。
だって、好きで愛している相手でしょ?
まあ、年齢から言っても肌も許している間柄だろうし。
どうして『私にとってはとても素敵な人なの。』と言えないのだろう。
好みは千差万別だ。
何も恥ずかしがる必要などないはず。
まあ確かに世の中には誰が見ても綺麗に見える女性もいるし、
格好良い男性だって存在する。
その姿や顔で食べている人たちもいるくらいなのだから。
その人のどこがいいの?と思うような人でも、ちゃんと相手が出来たりするところを見ると、
人間ってよく出来ている動物だと思う。
動物では美の基準がちゃんと出来ているのだからそんなことは必要ないのかも。
鳴き声で優劣を競うもの、作る巣や捕ってきて捧げる餌で自己主張するもの、
求愛のためのダンスや個体の大きさ毛並み等、
その基準とするものは少しづつ違うけれど、比べる何かは決まっている。
それに比べると人の持つ基準とするものは、本当に固体によって違うのだ。
フェティシズムじゃなくてもその美に対する基準は、その人なりにこだわりがある。
手に魅力を感じる人、足や胸に性的な興味を持っている人など、
人の好みは千差万別だ。
私にもちゃんと好みがあるもの。
それでも 誰もが価値を見出す人という人が存在する。
そんな人は少数だけど現に存在するわけで、所謂カリスマ性とでも言えばいいのだろうか。
そこにいるだけで人目を集め、一挙手一投足に目を奪われる人。
確かにそんな人と比べれば、隣にいる彼氏が物足りないと感じるかもしれない。
素敵な男性の隣に立ってみたいと夢見るのも悪くないことだと思う。
思春期の少女のように、手に入らなくてもいいからとあこがれるのも。
(でも 逆にその人と吊りあわないのに恋人でいるのも大変なのよ。)
彼女たちの愚痴や噂話を聞きながら、心の中でそうつぶやいてみた。
今の私の境遇を一言でも口にしようものなら、『その相手って誰ですか?』と
根掘り葉掘り聞かれるのに決まっている。
そうでなくても彼との付き合いは大変なのに。
事情を知っている数少ない友人は、『贅沢な悩みね。』と
あきれた顔で言うけれど、『だったら代わってみる?』と聞けば
途端にいやな顔をする。
彼は鑑賞にこそふさわしいらしい。
確かに、彼の友人も含めて 誰一人として見劣りする人はいない。
みんな 素敵な人ばかり。
その中に自分がいるときの外からの視線が気にならないと言えば
それはきっと嘘をついたことになる。
多少の悪意と嫉妬で構成されている視線は、チクチクと痛いものだ。
自分よりも勝っている女性じゃなければ納得できないという視線。
『どうして貴女なんかがそこにいるの?』と言われているようで、
内緒だけど自室のベッドで泣くこともある。
泣かないまでも落ち込んでしまうことも・・・・・。
それでも彼を好きなことは止めようがない。
あきらめの悪い女と、分不相応な相手との恋だと知っていても
彼が拒否しない限りこのままでいたいと願う。
人は彼の態度を見て傲慢だと評するけれど、
本当に回りの誰のことも考えず自分のわがままを通している私こそ傲慢なのだと思う。
彼だって私以外にもっと素敵な女性と付き合うことだって出来るのに、
放さないし離れないから誰の元へも行けない。
夕方、上司に頼まれて彼の執務室へ行く。
大きなお寺である金山寺は崇敬護持(そうきょうごじ)を仕事の主体とする僧とは別に、
教区や末寺や檀家との事務的な取引をする宗教事務の宗務(しゅうむ)がある。
私が勤めているのはそこだ。
近来までは女性がかかわることも厳しく制限されていた分野ではあるが、
男女平等や女性の社会進出も目覚しい昨今は、
そんなことも言っていられなくなったらしい。
さすがに僧だけは男性だけで構成されているが、宗務には女性の職員も多い。
私の配属されているのは総務なので、崇敬護持を受け持つ僧の中心人物、
三蔵法師の直属の課だ。
それで時々ではあるが、仕事中でも彼の顔を見ることが出来る。
ノックをすると「入れ。」と許可が出た。
「失礼します。」と断って入室すると、書類に落としていた視線を上げた三蔵と
視線があってわずかに微笑んだ。
三蔵の方はいつもの不機嫌そうな顔がわずかに普通になった程度の変化。
それでも それは彼にとって好ましい態度になったと言うことが分かるという点だけでも
自分は彼女なのだと思う。
以前は目も合わせられないくらいに怖かったのに、
いつしかその瞳の奥には誰にも見せない本当の三蔵がいると知っている。
「これをお持ちしました。」と、預かった書類を差し出す。
忙しければ『あぁ。』か『そこに置いておけ。』くらいで終わる仕事だ。
執務中は意外と真面目に勤める。
先代の名に恥じぬようにとそれだけのことらしい。
『三蔵』という名もその仕事も先代が残してくれたものだからと、
そこにいるだけだと聞いたことがある。
だが、予想した返事はなく書類を差し出した腕をつかまれた。
「いつまでだ?」
何を尋ねているのかが分からない。
この人はいつもそう、主語をすっ飛ばして唐突に質問する。
返事の仕様がなくて困っていると、一呼吸してもう1度尋ねてきてくれた。
「新人の教育はいつまでだ?」
やっとで何を知りたいのかが分かる。
『この俺をいつまで放って置くつもりなんだ?』と言いたいのだ。
「実は今日までなんです。
だから もしよろしければ夕ご飯にご招待したいんです。
今夜は何かご予定が入っていますか?」
今夜の予定を恭しく尋ねた。
って言うか、夜に法話や末寺での行事に招待とかが入っていない限りは、
三蔵法師も夜は自由に出来ると知っていて尋ねている。
課の仕事の中には三蔵法師のスケジュール調整も含まれているので知っているのだ。
「一緒に食う。」そう言って、腕をはなすと手を握りなおした。
机を挟んで立っていた私を移動させて自分側に引き寄せる。
背もたれと肘掛の付いた黒い革張りの椅子を、
くるりと回すと同時に机から距離をとって腰に腕を回されて引き寄せられる。
不意の行動は私をあわてさせるには十分。
「だっ・・・駄目っ。誰が来るかわからないんだから。」
両腕を彼の肩に置いて離れようとした。
男のくせに腰なんか細くて、あまり外にも出ないせいか色も白くて、
男にしておくには綺麗過ぎる顔なのに、ちゃんと男の身体と力を持っている。
私の抵抗する腕の力など無いに等しい。
みぞおちの辺りに顔をうずめられる。
「動くな。」そう言われてうれしい反面、誰かが来るんじゃないかと気になる。
せめて手だけは抵抗せずにおこうと、下に降ろした。
だって、誰かが入ってきたときに腕を回していたんじゃ、ラブシーンになっちゃうし
離れようとしてたんじゃ襲われているみたいじゃないですか。
なのに、この最高僧様はそこがお気に召さなかったご様子。
こめかみにグッと力が入ったのが見えた。
ヤバイかもしれない。
この人は、怒らせると子供みたいに拗ねちゃうことがある。
他の人には触らないし触らせない分、懐に入れた人間にはなんだかんだ言っても許す。
多分、男ではあの3人だけ、女では私だけのはず。
だから自分も許されると思うのかもしれない。
『特にには気を許してますからね・・・・三蔵は。』と八戒が言っていたのを思い出す。
「三蔵?」
恐る恐る名前を呼んでみた。
閉じていた瞼が細く開いたのが見えた。
「今夜の宿の提供で許す。」それだけ言うとまた目を閉じた。
そういえば、新人教育の担当になってから、三蔵が泊まって行ったことは無かった。
彼が泊まるとどうしても朝早く起きることになる。
幼い頃からの生活習慣なのだと思うけど、お寺の朝の勤行の時間なんて私はまだ夢の中だ。
三蔵が泊まった朝は眠くても早起きして一緒に過ごす。
でも その夜は異常に早寝になるんだよね。
きっと疲れている私の身体を気遣ってくれていたんだと思う。
そう思ったら下に降ろしていた手を三蔵の背中に回しちゃってた。
腰に回っていた腕に力が入れられて、もうガッチリという感じで抱かれてしまった。
「三蔵、そろそろ・・・・。」
このままでいたい気持ちはあるけれど、まだ勤務中の身だしあまり帰りが遅いと
いろいろと邪推をされてしまうかもしれない。
私は良いけれど、三蔵にはあまり好ましくない話。
なんと言っても最高僧なのだし・・・。
「三蔵ぅ。」
ちょっと困ってきたんで、今度は泣きが入った声で呼んでみた。
「ちっ。」と舌打ちが聞こえて、腰に回された三蔵の腕がようやく離れた。
「行け。」短くそれだけ言うと、また椅子をくるりと回して机に向かう。
もう私なんかそこに居ないかのように仕事に戻っている。
冷たい態度をとっているようだけど、戻りやすいように気を使ってくれているのだ。
机を離れてドアに向かうとノブに手をかけた。
「残業は断れよ。」
背中にそう声がかかる。
「うん。」そう返事をして振り返ってみても、三蔵は書類から顔を上げもしない。
絶対照れ隠しだ。
廊下に出て「失礼しました。」と挨拶をしてドアを閉めた。
課に帰りながらふと昼間の女の子たちの会話を思い出した。
『好きって言ってくれない。』
『いつも忙しくて構ってくれない。』
『最近優しくない。』等々。
思い出したことを三蔵に当てはめてみれば、自分も同じような環境だ。
でも少しもそれが不満には思わない。
本当はすごく忙しい人なんだと知っている。
結構無理をして時間を作ってくれているんだよね。
それにあの性格じゃ気持ちを言葉になんて無理そうだというのは
言われなくても分かるし・・・・。
ホストのお兄さんが見せてくれるような優しさは無いけれど、
ちゃんと気遣ってくれてることも分かり難いけど何とか分かっている。
それが貴方というひとだもん。
