薄蘇芳 3(雷汞 26)




困った。
ドアを開けることを考えていなかった。
引き戸なら足で開けることも可能だが、ノブを回すことは出来ない。
眠っているを下に降ろすことも出来ない。
仕方がない、つま先ででもノックをして中のやつに開けてもらうか。
どんな顔をされるかと思うと、正直気が重くなる。
だが、いつまでもこの廊下にこうしてを抱いたまま
立っているわけにも行かない。
そう思ってドアから一歩下がった。
まるでそれを待っていたかのようにドアが内側から開いた。
にっこりと微笑んで立っていたのは八戒だった。
「あぁ、良かったです。
あまりに遅いので様子を見に行こうかと思っていたところです。
三蔵のことですから、悟浄のような間違いは起こさないとは思いましたが、
やっぱり男ですからね。」
最後の言葉に棘を感じて、睨んでやった。
視線があったにもかかわらず、八戒は何事ですかという表情で
綺麗に無視をしてそれを流す。
そして、笑顔でそらされた視線は、俺の腕の中で眠っている
少しやせて疲れている顔へと落ちた。
「さすが三蔵ですね。
彼女を眠らせてくれたんですね。
最初はそうでもなかったんですが、だんだん眠れる時間が
短くなって来ていたようですからね。
心配していたんですよ。
さあ、ベッドに降ろしてあげてください。」
八戒が脇に避けたので、の使っていたベッドへと近づいた。



ベッドの横に立つと、八戒がのひざに乗せておいた刀を2本取り上げ、
枕許にきちんと並べて置いた。
悟浄や悟空のように召喚できる物ならば簡単だが、
俺とはいつでもそばに置いておかなければ意味がない。
特には何があっても2本の刀を手元から放さなかった。
それは、先ほどの様子でも分かったことだったが、
彼女にとって2本の刀が家族との絆のようになっているからだろう。
八戒が上掛けをめくってくれた。
腕の中で眠るは、悟空が小さい頃に見せたような子供のような表情で、
丸くなって俺にくっついている。
それこそ、ここに八戒や眠っている振りをしている悟浄がいなければ、
その髪や頬に触れたくなるほど無邪気だ。
腕の中から手放すのが惜しい。
けれども、そういうわけにも行かないと片膝をベッドについて、
彼女を降ろそうとした。



枕に頭を乗せてやり、背中と膝に回していた腕を抜く。
そっと離れようとした。
ツンと、胸元が引っ張られる感触。
その場所を見ると、の手に法衣の襟がつかまれていた。
「クククッ、は離れて欲しくないようです。」と、
八戒が実に愉快そうに肩を揺らしてこちらを見ている。
もし今夜の部屋割りが、と俺の2人部屋だったら、
このままのベッドへ俺も横になっているだろう。
への言い訳などは何とでもなるだろうし、
明日の朝のの目覚めてからの反応も楽しいだろう。
きっと、あたふたとして可愛いものだろうと思う。
剣の流派の宗家の一人娘として育った彼女は、
男社会の中で育ったようなものだ。
確かに女であることは捨てていない様子だし、
女らしいところもずいぶん自然な姿として見受けられる。
でも、だからと言って男との触れ合いに慣れているわけではない。
多分、大事な跡取りとして育てられ、恩師や宗家の一人娘として
周りの男共も手を出さずいたためだろう。
彼女の話から、道場の高弟にも引けを取らない腕の持ち主のようだ。
返り討ちにあうのも怖かったのだろうと思う。



そんなとひとつ布団で眠るのは、願ってもないチャンスだ。
だが、今夜の部屋は5人一緒だ。
八戒や悟浄の前で、と同じベッドを使う気にはならない。
握りこんでしまっている彼女の手を解けば、眠りから覚めてしまうかもしれない。
どうするか・・・・。
軽くため息を吐いて、俺は懐から経文と銃を出しベッドの上に置くと、
法衣の帯に手をかけた。
シュルッと衣擦れの音がして、帯が解けた。
が握っている襟を動かさないようにして、法衣を脱ぐ。
握られた法衣をそのままに、彼女にかぶせてやった。
脱いだ衣には法衣独特の匂いと、煙草と硝煙の匂いがするだろう。
その衣に擦り寄って、安心したように寝入った彼女を見て、
こういうのも慕われていると言えるのだろうかと、
自分の行為がおかしくなった。
少なくとも嫌われたりしてはいないらしいことは分かったが・・・。
法衣ひとつでよく眠れるというのなら、安いものだ。



経文と銃を手に自分のベッドへと戻った。
枕許にそれを置いて、さっさと布団の中へもぐりこんだ。
八戒や悟浄に何か言われるのも嫌だったし、
が目覚めて法衣を返そうとする恐れもあった。
どうせなら、このまま朝まで俺の法衣に包まれて眠ってほしい。
身代わりと言ってはこちらの方が切なくなるが、
俺の法衣に抱かれて眠ってほしい。
そう思った。
八戒もそんな俺の様子に、黙ってベッドに戻ったらしい。
しばらくは足音と衣擦れの音がしていたが、まもなく静かになった。



***



朝の気配に日頃の習慣で意識が覚醒する。
少し頭を上げて周りを確認する。
八戒はすでに起きていて着替え始めていた。
悟浄と悟空はまだ夢の中らしい。
は・・・・隣のベッドで俺の法衣に包まれたままで穏やかな寝顔を、
俺に向けて眠っていた。
法衣ではなく、俺の腕の中と言うわけには行かなかったが。
まあ、あの様子では当分無理かもしれない。
無理やりに自覚させられてしまった自分の気持ちに、
布団の中でため息と共に苦い笑いがこぼれた。
いつまでもこうしてはいられないと、布団を避けて身体を起こした。
「おはようございます。
はどうやら、ゆっくり眠れたようですね。
あの後、目も覚まさなかったようです。
三蔵の法衣でと言うところがなんだか妬けますねぇ。
僕のシャツか肩布でも良いと思うんですが・・・・。
悟浄のブルゾンならここまでそう思わないのかもしれないのですが・・・。」
八戒が食えない笑顔でそんな毒を吐くのをやり過ごす。
まったく、何で俺がそんな嫌味を聞かなくちゃならないのか。
法衣を取られた上に、割に合わん。



「今の発言は聞き捨てならねぇぞ。」
八戒の話をどこから聞いていたのか知れないが、
悟浄がいきなりそう言って起き上がった。
「おや、気に障りましたか?」
「あたりめぇだろうよ。」
「それはすいません。」
少しも悪いと思っていないような口調で八戒が謝罪の言葉を口にする。
「ま、俺ってそういうポジションって見てんだよなぁ。
きっとも。
懐いてくれてんのはうれしぃけど、恋心からじゃねぇもんなぁ。」
「よく分かってるじゃないですか。」
八戒がベッドから立ち上がって、荷物を整えだした。
その話し声じゃないゴソゴソとした音で、覚醒に促されたのか
のまぶたがピクピクと動いた。
眼球が忙しく右左に動いてから、ゆっくりとまぶたが上がる。
視界がはっきりしてきたのか、何度か瞬きを繰り返した。
目の前に俺を認めると、恥ずかしいのか頬をほんのりと染めた。
「おはようございます。」
小さい声でそう言って挨拶をしてくる。
「ん。」
挨拶を受け取った意を伝えると、彼女はゆっくりとそのまま起き上がった。



洗面から戻ってきた八戒がそんなに気がつく。
「おはようございます。
目覚めはどうですか?
ゆっくりと眠れたようですね、よかったです。」
八戒の言葉に頷いて、
「ありがとうございます。ご心配をおかけしてすいません。」と、
いつもより元気そうに返事をする。
「さあ、もうすぐ朝食も出来ると思います。
身支度を整えていらっしゃい。
着替えは洗面所横のお風呂の脱衣所を使ってください。
誰も行かないように僕が見張ってますから。」
5人一緒と言うことはそれほどないことなので「はい。」と、
は素直に返事をした。
ベッドから降りるために布団をめくったところで、
彼女は体が動かなくなったかのように固まっている。
その視線の先には、俺の法衣。
「あぁ、昨夜が三蔵の法衣を放さなかったんで、
三蔵が脱いで貸してくれたんです。
出かける前にアイロンを借りてきて、プレスしましょう。」
八戒の言葉にゆっくりと大きく頷くと、は俺を見た。
「よく眠れたか?」
「はい。」
「それならいい。」
それだけ言うと、俺はに背を向けてテーブルの上にあった新聞紙を広げ、
紙面で隠すように顔を隠した。





執筆者:宝珠
2006.04.07up