一顧傾城 (いっこ けいせい)

『絶世の美女のこと。
ちょっとした流し目に見るだけで 人の心を乱したり、
国を傾けさせるに至る妖艶な女という意。』





「三蔵 実は明日からの2日間 河仙の用事で 天界へ行かねばならなくなりました。

八戒が言うのには 明日は大きな街に着くそうですから、

到着したら そこから行こうと思います。

そこで 私が戻るまで お待ちいただけないでしょうか、いかがでしょう?」

他ならぬ の頼みとなれば 先を急ぐ旅でも 頷かない三蔵ではない。

「ああ かまわねぇ、だが 必ず 明後日には帰って来いよ。

が側にいないと 悟空が寂しがって 元気がないからな。」

悟空にかこつけてはいるが、

三蔵が寂しいのである事を はわかっている。

を引き寄せて 抱きしめながら 三蔵は 離れることが本意ではないと、

に告げるのだった。





実は 天界へ行くというのは嘘で、

次の街に着く明日は 三蔵の誕生日なのである。

その準備のために は どうしても 三蔵から離れなければならなかった。

しかし 三蔵は から目を離さない。

もちろん惚れているからということもあるのだが、

常に危険と隣り合わせの旅では、が1人になるのは 危険だからだ。

それが解っているからこそ も三蔵から 離れることは無いのだが、

今回 誕生日を祝うのに が凝らそうと思っている趣向は、

どうしても 三蔵から離れなければ用意が出来ないものだったからだ。

三蔵以外の3人が の協力者に立候補してくれたのは、言うまでもない。






次の日 午後の早い時間に 街に到着した三蔵一行は、宿を決めて落ち着いた。

八戒は しばらくぶりの大きい街で 買い物をすると言って、悟浄と悟空の2人を供に

買い物へと出掛けた。

は 荷物の整理と洗濯をすると 三蔵のところへとやって来た。

「三蔵 それでは 行ってまいります。

明日には 戻ってまいりますので、待っていてください。」と挨拶をした。

「気をつけていくんだぞ。」読みかけの新聞を テーブルに置いて立ち上がると、

を その腕に抱えて 三蔵は 香しい髪に 頬を添わせる。

「はい そういたします。」とは素直に 返事をした。

「必ず 帰って来いよ。」そう言いながら の顎に手を掛けて 上に向かせると、

花弁のような唇に 優しい口づけを落とした。





は 宿を出ると 3人と待ち合わせていた食堂に入り、

これからの事を 打ち合わせた。

「八戒、必ず三蔵の事を 連れてきてね。」は 八戒に念を押した。

「わかっていますよ 。僕たちだって とても楽しみにしているんですから、

三蔵に縄を掛けてでも 連れて行きますから、心配しないでくださいね。

それより お店との交渉は 済んだのですか?」と八戒は 確認した。

「ええ それは大丈夫。洗濯をしている振りをして さっき行って来たから、

お店では そういうお遊びだと 思っているらしいし、お金で解決したわ。」

は そう答えた。

「じゃあ 私は準備があるから もう行くね。」

は立ち上がると 食堂を出て行った。

その後姿を見送って 3人も買い物の続きに 出て行く。





その日の夕方 西の空が 薄紫に染まる頃 八戒は 三蔵の部屋を尋ねた。

「三蔵 夕飯を食べに出掛けますよ。

が いないという事で 今日は 男ばかりですから 

いつもとは違う場所へ出掛けるので、

すいませんが 法衣を着替えてもらえませんか?」

三蔵は 八戒を見て 

「何故 着替える必要があるんだ? いつもと 違う所って何処だ?」

と不機嫌に 尋ねた。

がいなくて ただでさえ機嫌が悪い三蔵に 八戒は心のうちでため息をつきながら、

損な役回りに なってしまったものだと思った。

「さあ 悟空が待っていますから、とにかく着替えて 着てくださいね。」

怖いほどの笑顔でそう言われてしまうと、

さすがの三蔵も 言うことを聞かないわけにも行かず、

私服に着替えて 宿の帳場に降りて行った。





そこには すでに 3人が待っていて、「では行きますよ。」

八戒のひと言で、4人で 宿を出た。

目的の店が はっきりしているらしく 飲食店や屋台があっても 

うかがう素振りも見せずに、道を確かめながら 進んでいく。

それに 食事前はことさらに煩い悟空が 珍しくおとなしい。

が いないことが寂しいのだろうか・・・そう思いながら三蔵は 付いて行った。

しばらく歩いて 辺りを見れば そこは言わずと知れた 妓楼街。

三蔵は 「おい 八戒、お前等 がいない隙に 妓楼で 遊ぼうというのか?

俺は 帰るぞ。」そう言うと 踵を返して戻ろうとした。

「そうは行かないんですよ。」

そう言うと 八戒と悟浄は 両脇から 三蔵の腕をガッシリと抱えて、

「もうすぐ 目的の店ですから 辛抱して付いて来てください。

入っても 妓女と遊ばなくてもいいですから。」

そう言って 2人に捕らえられたまま 三蔵は 連れて行かれたのだった。




まさか 2人に捕まるとは 思っていなかった三蔵は、愛銃を出しそびれてしまい。

仕方なく 歩を進めて 行くしかなかった。

ひときわ高級な妓楼の前で 4人は止まると、

「ここですね。」そう言う八戒の判断で、店に上がった。

2階の奥まった座敷に案内された4人の前には、朱塗りの膳が用意されている。

妓楼というだけあって 柱や襖の枠なども朱塗りで 華やかな造りとなっている。
                 
座ってすぐに 2人の妓女とかむろらしい女の子が2人 酒を持って現れた。

妓女の2人は 八戒と悟浄に付き 話やお酒の相手をしているが、

三蔵と悟空にはかむろの少女が2人で世話をしている。

悟空には 3人前のご飯が用意されており 

ご飯をおかわりする事に、忙しそうにしている。





三蔵は なんだか よく解らないままに かむろのお酌で 静かに飲んでいた。

こういう所の少女は 話をしないことになっているらしく 

ただにこにこと 笑って座っているだけだ。

10分も経っただろうか 「太夫のお越しです。」

と声がして、廊下から1人の妓女が 座敷に入ってきた。

それは 本当に美しく 麗しい女で、さすがの三蔵も見惚れてしまうほどだった。

黒髪を結い上げて ほようの付いたかんざしを いくつか刺しているために 歩くと

シャラシャラと 音がして 何とも言えない風情が漂う。

瞳は 優しげで 唇は 花弁のように華やかだ。

妓女なので仕方がないことだが、肌をことさらに白く塗り 

隙のない化粧をしている。

目元に入れた 朱が 白さを際立たせ 妖艶さを かもし出している。





三蔵は その太夫に ここにはいない 

が重なって見えてしまい 胸苦しさを覚えた。

ただ 似ているというだけなのに 自分は 

こんなにも という女に 捕われていると 感じる。

旅の途中で 野宿もあるせいか 清潔にはしているが、が着飾ることは無い。

きっと 着飾らせたら この太夫などは その比ではないと、

三蔵は の艶姿を想像するのだった。





しかし ただ美しさに 見惚れた三蔵とは 違って、悟空と八戒・悟浄には それが

妓女に扮した だということを知っている。

それでも 彼ら3人は そのの美しさに しばらく言葉が出てこなかった。

三蔵の前に座った 太夫は「主様には お初におめもじ致します。

太夫の陽神にございます。

さ ご酒をどうぞ。」と 酌をした。

「陽神と言うのは また随分と 大きく出た源氏名じゃねぇのか。」

三蔵は 杯を空けながら、

太夫の名前である 自分の恋人を 思って不機嫌そうに言った。

「はい 恐れ多くも 揚子江の神女様にあやかった 名前でございますが、

拙の美を現すのによいと言うので、つけて頂いた御名でございます 

主様には ご不興の様ですが、お許しいただきたく願います。」

は さらりと三蔵の嫌味を返した。





そこへ 楽器を手にした3人の妓女が入ってきた。

三蔵達のいる座敷から 廊下への出入り口のように使われている続きになっている座敷に

こちらを向いて座ると、楽器の調音をして 待つ素振りを見せた。

「主様には 本日はお誕生日との事 おめでとう存じます。

拙のつたない芸では ございますが、お祝いの気持ちを込めて 

一指し舞わせていただきたいのですが よろしいでしょうか?」

が扮した太夫は、三蔵ににこやかにそう言うと 流れるような動作で立ち上がると、

続きの間に行き 舞の準備をはじめた。

三蔵はそこに至って八戒たちが 自分をここへ無理やりに連れてきたのかが解った。

「そういうことか・・・・。」酒を口に含みながら つぶやいた。





が扮した 太夫陽神の舞が 始まった。

流れる音楽にその身を躍らせる女は 天女のごときあでやかさで 4人を魅了する。

は 天女なのだから 文字通り 天女の舞いなのだが、4人はそれを忘れるほどに

惹かれてしまっているのだった。

舞が終わると 妓楼の者達からもため息が漏れた。「すばらしいですね、太夫。」と

八戒が 賛辞の言葉を述べると、「ありがとう存じます。」陽神は 微笑んで返した。

一通り料理も出尽くしたころ 悟空が うつらうつらし始めた。

それを見た 八戒は「三蔵 僕たち3人は 帰りますから。」そう言って 席を立った。

「俺も・・・」と三蔵が言いかけると、「三蔵は 今夜はここに泊まって下さい。」

八戒は 陽神に向かって 頷くと、さっさと 行ってしまった。




残される形になった三蔵は 目の前の陽神に扮したと目が合った。

「主様 こちらでございます。」

三蔵の手を 己の手の平に 乗せると、廊下を歩いて 別室へと案内をする。

着いた先は この妓楼でも上等と思われる部屋で 

すでに 床入りの用意がされているようだった。

「悪いが俺にはその気がねぇんだ。

ここに 1人で寝るから、おまえは 他で寝てくれ。」

三蔵は 陽神に言った。

「主様には 操をお立てになっていられる方が おられるのですね。

わかりました、でも ここをすぐに出ると 今夜は 他にもお客を取らねばなりません。

今しばらく 置いてくださいませ。」切なげに縋る 陽神を突き放すことも出来なくて、

仕方なく 三蔵は 頷いた。

三蔵は 座敷に座りなおすと 用意されていた酒を 

陽神に酌させながら、飲む事にした。





「主様 先ほどから 私を見てどなたかを 思い出しておられますね。

今日は 離れておいでなのですか?

そんなに拙は 主様の想い人に 似ておりますか?」

微笑ながら 三蔵を見るその瞳は、紛れも無くのものに 違いなかった。

「陽神と言ったな、本物の陽神 つまり 揚子江 神女 なのか?」

三蔵は ふと湧き出た 疑問をそのまま ぶつけてみた。

「はい 本物でございます。やっと気付いていただけましたか。

我ながら 化粧でここまで変わるとは思いませんでしたので、

もう少し 早く見破られると思っておりましたが、

意外と持ちましたね。」は 楽しそうに笑って答えた。

 なんだって こんな真似をしたんだ。

しかも あいつ等も一枚噛んでやがるな。」

三蔵は 怒鳴りはしないものの 不機嫌さをまして 言った。





「それは 先ほども申したように 今日は 三蔵の誕生日だからでございますよ。

何か お祝いを差し上げたくて みんなにも 協力してもらったのです。

帰っても怒らないでくださいね。以前に 皆で月見を致した折に 三蔵には 喜んで

頂いた様だったので 今回は趣向を凝らしてみたのですが、

お気に召しませんでしたか?」

心配そうに 尋ねる

「いや 怒ってはいないし、悪くは無かった。」の言葉に 三蔵は それ以上の

追求をやめようと思った。

せっかくの心尽くしなのだ 受け取るのも まあいいだろうと・・・。

「三蔵 私は 他の部屋に泊まりますので、そろそろ 失礼致します。」

は そう言って立ち上がろうとしたが、

三蔵に 着物のすそを引っ張られて その腕の中に 倒れこんでしまった。




「何を言っている 今夜は 俺がを買い占めたんだ。逃がさねぇよ。」三蔵は

を抱きしめながら その耳元に囁いた。

「先ほどは その気が無いとおっしゃられたでは ありませんか。」

身をよじりながら は答えた。

「ここまで 綺麗なが抱けるんだ 騙したことや妓楼を使ったことは許してやる。

おとなしく 俺に帯を解かせろ。が 贈り物なんだろう?」三蔵の言葉に

は 頬を染めながら、その細い腕を 首にまわす事で それに答えた。




三蔵は の身体を 布団の上に ゆっくりと倒していく。

紅の塗られた唇は 濡れて 誘っているように 三蔵には見えていた。

口付けを交わす前に 2人はお互いの顔を 確かめどちらとも無く 微笑みあう。




「三蔵 お誕生日おめでとう。」は 囁いた。





 

 

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BY 「黎明の月」 
龍宮 宝珠